#21 珍しい名前は懈い
「あたしの趣味はジャム作りです。手作りジャムの専門店をやるのが夢でした」
でしたってことは——。
「諦めたのか」
三越はこくんと首肯した。
「いつまでも小さな頃の夢を追うわけにもいきませんし、ジャム専門店を開業したとしても、売れるとは思えなくて。あ、別に凹んでるとかはないですよ? あたし、こう見えても切り替えは早いほうなので!」
自分で言うだけあって、三越の切り替えの早さは並の人間を凌駕する。余りにも切り替えが良すぎるので、失敗を反省しているのか疑問に思うほどだ。しかしながら、いつまでも失態を引き摺ってくよくよされるのも懈い。——そう考えると、三越の切り替えの早さは長所とも言える。
「最近はどんなジャムを作ったんだ?」
「お隣に住んでるおばあちゃんから沢山の柿をいただいたので、それをジャムに加工しました! これがもうとろっとろで、パンに塗って食べると優しい甘みが口の中に広がるんですよ」
目を爛々と輝かせて熱弁する三越は、当時の様子を余すことなく伝えようと身振り手振りで語る。やや過剰な動きとも受け取れるけれど、それだけ美味しくて、楽しかったのだろう。
「それで、あたしは思ったんです。とっても美味しく作れたので、おばあちゃんにもお裾分けしようって!」
「喜んでもらえたか?」
「すっっっっごく!」
「そりゃ何よりだ」
三越は天真爛漫な性格だから、近所の評判も良さそうだ。老若男女に愛されるのは人徳だけでなく、そういう人間に育てた両親の功績も大きい。俺の両親は冷めた放任主義だったので、三越越しに垣間見える三越家の温かさを羨ましく思う。
「そこまで豪語されると、一度食べてみたいもんだな」
口を衝いて出た言葉に、はっとして慌てて閉じた。
「あ、いや、今のはあれだ。その……」
胸中だけに留めておくつもりだったのだが、つい口を滑らせてしまった。迂闊にもほどがある。これではまるで、三越が住むアパートに行きたいと言っているようなものではないか。
「あたしが作ったジャムでもよければ、今度持ってきますね」
「そ、そうか。頼んだ」
危ない危ない。どうなることかと肝を冷やしたが……そりゃそうだよな。ジャムを試食したいってだけで、三越が住む部屋に行きたいと直に言ったわけではない。『ウチくる?』などという流れにならなくて良かったと胸を撫で下ろしたのも束の間、新たな問題が俺を襲う。
「たーくん先輩は何ジャムが好みですか?」
「はい?」
「折角ですし、たーくん先輩が食べたいジャムを作りたいので!」
「俺が好きなジャム……?」
実を言うと、俺はパンにジャムを塗る習慣がない。そもそも食パンを焼くのも懈いと思ってしまう始末で、朝はもっぱらゼリー飲料のみという生活が続いている。
どうしてもパンが食べたい時は、簡単に塗れるチューブタイプのマーガリンが冷蔵庫に入っているが、それだって既に賞味期限が切れているだろう。
「そうだなぁ……」
「はい!」
巨峰、メロン、スイカ——どこを見て連想した果物かな? スイカに至ってはシーズンがすぎているため入手困難。であれば、お手頃サイズのリンゴ? リンゴは嫌いではないけれど、買ってまで食べたいとは思わないし、ジュース以外に加工したリンゴは好みではなかった。
「パンに塗る以外の用途でも使えるジャムとか作れるか?」
三越は『考える人』のポーズで「そうですねぇ」と思考を巡らせている。脳内にあるジャム知識をフル動員して俺の期待に応えようとしてくれるのは嬉しいのだが、その角度は如何ともし難く、目のやり場に困る。
「たーくん先輩って料理しますか?」
「すると思うか?」
「……しませんね」
二十八年も生きていれば簡単なものは作れる——麺類だが。
「なるほど。では、程よい酸味と甘みがあるジャムがいいですね。炭酸水で割れば美味しいですよ。……それも面倒とか言わないですよね?」
「大丈夫だ。炭酸水は常備してる」
焼酎やウイスキーを割る用にネット通販で購入した、二五〇ミリリットルの炭酸水が部屋にあるはずだ。使い道がそれだけで、未だに四本しか減っていない。
炭酸水で割れるということは、オリジナルカクテルなんかにも使えるのではないだろうか? と思い至った。帰宅途中にあるスーパーマーケットでウォッカを購入しよう。良いアルコールライフになりそうだ。
「贅沢に巨峰のジャムなんてどうでしょう?」
「巨峰!?」
「ブドウは嫌いですか?」
「そんなことはないが……勿体なく感じるな」
目が三越のある一点に注目しそうになるのを堪えた。
「もっと安価で手頃な材料でいいぞ?」
「うーん……であれば、大人な味のライムとか」
「ライムか、いいな」
カクテルの材料に使われるくらい酒と相性がいいライムであれば、ソーダとウォッカでシャレた味が出せるかもしれない。
「決まりですね! 今度の休みにライムを買って作ってみます!」
「よろしく頼む」
その日の午後、ライムジャムを使ったカクテルの味を想像しながら仕事をしていたのは言うまでもない。
* * *
「——というわけで、マスター。ライムジャムを使ったカクテルを作る際に留意すべき点はなんだろうか?」
仕事終わりに細井に教えてもらった高架下に店を構える酒場、『デンティ・ディ・レオーネ』に足を運んだ俺は、二人いるバーテンの片割れ、細面の鼻ピアスに話しかけてみた。
「ライムジャムのカクテルですと、フルーツカクテルのような味になりそうですね。有名どころを抑えるとサングリアでしょうか。白ワインにラム酒を加え、蜂蜜とたっぷりの果物を入れたカクテルです」
よろしければお出ししましょうか? と鼻ピアスバーテンに勧められたが、頭を振って断った。
「留意するべき点は、ジャムを使うと甘さが際立つことでしょうか」
「カクテルって難しいんだな」
そんなことはございませんよ、と鼻ピアスバーテンは微笑む。
「見ていただければわかりますが、この店で使っているリキュールは、スーパーでも販売している物が大半を占めています。それに、以前お召しになっていたカクテルだって、分量などを気にしなければ手頃に作れる物ばかりです」
そう聞くと、バーという店は結構ぼろい商売なのかもしれない。
「カクテルの意味には『異なる物が混じり合って渾然としている』も含みますので、アルコールと炭酸が混じれば、それはもう歴としたカクテルなんですよ」
「へぇ、それは面白い話が聞けた。バーテンさんは若いのに、知識が豊富なんだな」
「これでもこの店のマスターですから。——申し遅れました、大河内亜蓮と申します」
滝宮天馬です、と名刺を交換する。
大河内は俺の名刺をまじまじと見つめて、
「もしかして名前を弄られたりしてませんでしたか?」
「ああ、現在進行形だよ」
「やっぱり。自分もこの名前なので、学生時代はよくもまあ揶揄われましたよ」
そうなのだ。珍しい名前は自分が何もせずとも一人歩きしてしまう。俺の名前は天に馬と書くがゆえに、『うちの学校にペガサスって名前のヤツが在学している』と噂になったりもした。
それだけであればまだ我慢もできるのだが、体育祭のマラソンランナーを決める際に『天馬はペガサスだから足が速い』と、クラスの陽キャたちが勝手に決めつけるのだ。——忘れてないからな? 小学校六年で一緒だった東堂と、中学三年間ずっと俺を『ペガサス』と呼び続けた重岡。
忌々しい記憶でトリップしそうになっていると、大河内は俺の眉を読んで苦笑いを浮かべる。『亜蓮』という名前である大河内も、俺と同様に苦い経験をしてきたのだろう。
「今ではこの名前でよかったと思いますけどね」
「そうなのか?」
ええ、と大河内は頷いた。
「大河内亜蓮って名前を一度でも聞いたら、そうやすやすと忘れられませんし」
それもそうだが、鼻ピアスのほうが印象に残るんじゃないか?
【修正報告】
・報告無し。




