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滝宮天馬はもう懈い  作者: 瀬野 或
一章 滝宮天馬はもう懈い
19/28

#19 奢らレイヤーが懈い


 月曜日、想像以上に寝すぎてしまったせいで腰が痛む。


 齢三〇近くもなれば体のあちこちにガタが来ても不思議ではないが、毎年恒例の健康診断の結果を見れば、日々の不摂生が祟っているのは明らかだ。


 だとしても、一人暮らしの会社員がのんびり自炊などする暇はなく、料理をする時間があればベッドの上で寝ていたい。休みの日は極力、自己再生に努めるのが社会人の流儀とも言える(俺調べ)。


 駅に到着したのはいつもの時間よりも三〇分前。別に、美佳と会うのが気まづいから早めに部屋を出たわけではない。いつもよりも多く寝たおかげでアラームが鳴る一時間前に起きてしまい、折角なのでと早めに準備して部屋を出たまでだ。


 当然、この時間にいつメン——いつも一緒に乗り合わせるメンバーの略称——は見当たらない。


 スマホを片手に画面を見つめる者が多いのは相変わらずではあるものの、拳サイズに細かく畳んだ新聞を読む老齢企業戦士は久方振りに見た。おそらく、彼は、重度のストレスを受け続けてきたのだろう。毛髪の量が違う。


 おっさんとおっさんに挟まれながら電車に揺られること数一〇分、会社近くの駅に到着して電車を下りた。


 電車から吐き出された人々の圧に押されるように改札へと向かう途中、駅ナカにあるコンビニで煙草を買うのも忘れない。


 値上がりする度に禁煙するか一考するが、きっと俺は死ぬまで煙草はやめられないだろう。


 会社までの道のりを気懈い足取りで進んでいると、見知った巨体が俺の数メートル先を歩いていた。


 かつては横綱を目指していた太い男、細井泰である。


 本当に横綱を目指していたのかは知らないし、細井がどれほど強い力士だったのかも不明だが、細井の部屋にあった土鍋は立派だった。寒さが厳しくなった頃にちゃんこ鍋を作ってもらうとして——。


 よう細井、と声をかけて右肩を叩いた。


「おわっ! なんだ、たーくんか」

「なんだとは随分なご挨拶じゃないか」


 そして、たーくん言うな。


「それにしても、なんだよその顔。会社に行きたくないって顔に書いてあるぞ?」

「逆に聞くけどさ、月曜日の朝から会社に行きたい人間っている?」

「……いねぇな」

「だろう?」


 それでも会社に属する以上は会社に行かなければならない。


 風邪の日も林のようにどんと構え、火が出そうな高熱でも山のように動じない。これぞ、社会人の風林火山である——いや、そこまで酷い風邪なら休んでくれたほうがいい。インフルエンザでも出社してくるから、こっちだって酷い風邪を引いても休めないんだが?


「たーくんだって、朝起きたら会社が爆発してればいいなって思ったことは何度もあるでしょ?」

「俺の場合は会社じゃなくて地球その物だけどな」


 冗談だったのだが細井は本気と受け取ったようで、気遣わしげに眉を寄せた。やめろ、そんな目で俺を見るな! そんな目で俺を見るなァァッ!


「たーくん、もしかして病んでる? おっぱい揉む?」

「病んでねえし、野郎の胸部に興味ねえよ」


 とはいえ、細井の胸部は女性で言うところのBはありそうだ。

 ……いやいや、と頭を振る。


「唯一の救いは、うちの部署にいる女性社員のレベルが高いくらいだよなぁ……」

「おい細井、さすがにその発言は童貞がすぎるぞ」

「ごっつぁんしてぇ……」


 今すぐにでも女性社員と相撲取りに謝れ。



 * * *



 午前中の仕事がある程度片付いて「さあ飯だ」と背伸びをしたら、背後に三越莉子が立っていた。毎度ながらに思うけれど、見事な物である。——頂き女子の頂きは、誰もが羨むことだろう。


「たーくん先輩、お昼奢ってください!」


 ちゃっかりしているところは間違いなく『いただき女子』だ。いつもであれば苦言の一つや二つ、何なら三つや四つ返すけれど、土曜日に嘘を吐いて誘いを断った前科がある。致し方ない。


「いいぞ。——細井も行くか?」


 ちらと視線を向けると、細井は頭を振った。


「たーくん、オレの空気読んでから発言してくれる?」


 細井はパソコンの画面を睨みつけ、忙しなくキーボードを叩く。エンターキーはもっと優しく叩いてくれと部長の(つじ)(つま)(たす)()に言われても、染み付いた癖は簡単に直せない。


 強く叩きたい気持ちは重々理解できるが、細井はエンターキーを何度も壊している。その度に「また壊したのか……」と辻褄部長が呆れ顔をするのも幾度となく見てきた。


 そして、散々壊した結果、細井も申し訳なく思ったのだろう。自前でキーボードを用意して、それを使うようになった。


「安かったんだ」という理由でゲーミングキーボードを持ってきた際は、さすがの辻褄部長も驚きを隠せずといった様子で、「今日は仕方ないけど仕事で使うキーボードは光らない物を選んでね」と優しく諭していた。


 俺はこのとんでも話を、酒の席での鉄板ネタにしている。


 現在は光らないキーボードを使用している細井は、午前中に仕上げたかった仕事が思うように捗らず、悪戦苦闘を強いられていた。


 焦っているのか額に汗をかいて、オイリーさに磨きをかけている。


 これは空気読めていなかったな、と反省して、


「すまん、余計だった」


 軽く頭を下げてやると、細井は面倒そうに「はぁ」と溜息を吐いた。


「謝るのはオレじゃなくて……ああ、それをたーくんに求めてもしょうがないよね」


 その言葉に身を乗り出して反応した三越は、俺が座っている椅子の背凭れをガックンガックンさせる。


 だからそれやめろって。俺、結構な確率で酔うタイプの人間だぞ。車でもジェットコースターでも酒でも人知れずしれっと酔うくらいなのに、自分にだけはどうしても酔えないんだよなぁ……。


 一〇ガックンほどしたところで、三越はだらんと両腕を俺の肩に預けた。キャスター付きの椅子も相俟って、連邦軍のあの機体が脳裏を過ぎる。——やられ千葉ァ!


「細井さんはわかってくれるというのに、あたしの教育係ときたら」

「お互いに苦労するねぇ」

「ホントですよぉ」


 俺の文句で意気投合するな。


 言わせてもらうけどな、俺のほうがお前らよりも苦労しているぞ。当たり前のようにミスをする三越と、足が臭い細井の尻拭いをしているのは誰だと思っているんだ。


「つーわけで、たーくん。オレのお昼は焼肉弁当のご飯大盛りと味噌汁、付け合わせにハンバーグおにぎりとスモークタンをお願い」


 弁当があるのにおにぎりを付け合わる意味とは? あと、スモークタンは冷蔵庫で保存して持って帰る魂胆が丸見えだから買わない。


「ま、弁当くらいなら買ってきてやるよ」

「マジか、たーくん神ってるゥ!」

「任せろ」


 奢ってやるとは一言も発してないけどな。



 

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