#15 察しのいいデブは懈い
細井が借りたアパートは、駅から徒歩で凡そ十五分離れた場所にあった。
閑静な住宅街の風景に溶け込む外観は、築年数の浅さを窺わせる。灰色の壁には汚れもなく、駐輪場にはパ白のパイプスタンドが設置されていた。
どこぞのデザイナーが設計したと言われても納得してしまうほどの美しい長方形を見て、「家賃は幾らなんだ」と堪らず細井に訊ねた。すると、細井は「それについては追々話すよ」とお茶を濁した。
それもそうか。
他の居住者に家賃を知られるとトラブルの元にもなるしなと納得したけれど、まさかこの話がとんでもないことになるなんて、この時の俺は全く想像していなかった——。
案内された部屋は、日当たり良好な二階の角部屋だった。白い壁紙がより光を反射して、部屋全体を明るくさせる。
薄暗い俺の部屋とは大違いで羨ましいのは山々だが、一人暮らしで2DKはやりすぎのようにも思う。細井に彼女がいれば話は別で、いずれは一緒に住むんだな、と頷けるけれど、そのような女の影を見受けたことは一度足りともない。
部屋に入ってすぐに待ち受ける、横長に伸びるダイニングキッチンに置かれた丸型テーブルの上に、スーパーマーケットで購入した寿司パックを広げた。
細井は電気ケトルに水を入れて、本日二度目の昼食の準備を始めた。
男の一人暮らしは大雑把になりがちだが、細井は見かけに寄らず綺麗好きなようで、小綺麗に部屋を使っている模様だ。
驚いたのは収納の細かさである。
家具量販店で購入したであろう三段作りのカラーボックスには、百円均一で揃えたと思わしきファイル入れや、用途不明の小物入れを用いて整理整頓されていた。
それだけでも見事と言わざるを得ないのに、調味料の入った瓶のボトルにはマスキングテープを貼り、マジックペンで名前を記入する徹底ぶりだ。——このデブ、只者ではない。
「はい、緑茶どうぞ」
「ありがとう。——細井って綺麗好きなのか?」
「うん? 別に普通だけど」
これが普通のラインだとするのなら、俺の部屋は犬小屋か何かだ。
湯呑みは寿司屋でよく見る物で、表面には……力士の名前がずらりと書かれてあった。
「ああ、それいいだろ? 本場所を見に行った際に記念で買ったんだ」
「確かにこれは趣き深いな」
「一つで二五〇〇円もしたんだぜ? 本当は限定デザインの座布団が欲しかったんだけど、諦めるしかなかったよ」
細井は昔を懐かしむかのように語る。しかし、相撲の本場所って国技館とかだよな。まるで音楽フェスにでも行ったかのように話すものだから、つい勘違いしそうになる。——あ、そうだ。
「家賃の話は?」
細井の几帳面さと相撲の話で忘れそうになったが、一番気になっているのは家賃である。
二階の角で日当たり良好、洋室が二部屋、広々としたダイニングキッチン、スーパーマケットと駅のライフラインも充実していれば、月一〇万と言われても疑わない。——だが。
「忘れてた。敷金礼金なしで、月々五万五千円」
「ごまんごせんえん!? 破格にも程があるだろ」
「ま、この部屋、事故物件だからさ」
さらっと物騒なワードを言ったように聞こえたが、
「今、事故物件って言ったか?」
「そ、事故物件。最初に入居したカップルの片割れの女性が、ここで首を包丁で切って自殺したんだって」
なるほど。何かしらの理由がなければそんな値段にはならないとは考えたが、事故物件だったか……ん?
「ちょっと待て。その女性が自殺した現場って……」
「このテーブルの下辺りだけど、それが?」
「つまり、俺たちは、自殺の現場で暢気に寿司を食っているってことになるのか?」
「そうなるね」
……帰ってもいいだろうか?
幽霊や妖怪の存在に対して懐疑的な意見を持っているとはいえ、この場所でそういう事件が起こっていたと知るのは、あまり気持ちが良いものではなかった。
築三年で事故物件入りとは、大家さんも気の毒に。不謹慎ではあるけれど、そう思わずにはいられない。
「ここでいったい何が起きたんだ?」
訊ねると、細井は醤油を付けたマグロの握りをぱくっと口の中に放り込み、わさびを付けすぎて鼻をツンとさせながら、「ここだけの話だけど」と念を押した。
「不動産屋が言うには、二年前、この部屋にはカップルが住んでいたらしい。契約した当時は幸せそうで、『結婚前提なのかな』と思ったくらい仲がよさそうだったんだと」
出だしは如何にもありそうな話だ。さて、ここからどう血生臭い話に発展していくのやら、と耳を欹てる。
「それから半年くらい経ったある日、給料が支払われなくなったのを不審に思った大家が部屋を訪ねると、女性がここで倒れてたんだとさ。包丁で首の動脈を切ったらしく、辺りは大惨事だった」
「その時、鍵は開いていたのか?」
いいや、と細井は頭を振る。
「不動産屋から聞いた限りだと、鍵も閉めてあったし、チェーンもしてあったみたいだよ? 部屋も荒らされていた形跡はなく、警察は自殺として処理をしたんだとさ」
まあ、そうなるよな。
「遺書のような物は?」
「見つかってないけど、彼氏に送った最後のメッセージに、自殺を仄めかすような文章を送ってたって」
となると、自殺の原因は痴情のもつれによる衝動的な自殺が濃厚か。
「たーくんってもしかして、ミステリー大好き?」
「嫌いじゃないけど、創作物の中に留めておきたいな」
「だよね。たーくんは探偵って柄じゃないし」
「名探偵のような洞察力があれば、この仕事を選んでねえよ」
そりゃそうだ、と細井は豪快に笑う。
「警察が自殺と断定したんだったらそうなんだろう。怪しい点も見つからなかったんだろ? 片割れの男がどうなったかってのも気になるところだが、これ以上は警察のパソコンにでもハッキングしない限りわからねえよな」
ちらと細井を見る。
細井は冷蔵庫から三五〇缶のビールを取り出して、「飲む?」と目配せしてきた。昨日の夜に慣れないカクテルなんかを飲んで、若干二日酔い気味になっるってのに飲むわけがないだろう。
頭を振った俺を見て、二本とも自分のテーブルに置いた。——二本とも自分で飲むのかよ。さっきの「飲む?」みたいな視線は何だったんだと言いたい。言わないけど。
「しっかし、よくもまあ事故物件に住もうだなんて思ったなぁ」
喉を鳴らしてビールを飲む細井に訊ねる。ビール会社からCMのオファーが掛かってもおかしくない飲みっぷりは見ていて気持ちがいいけれど、今は酒を見たくないのが正直なところだ。
「細井は幽霊とか怖くないんだ」
「いやあ、男の幽霊だったら願い下げだけど、若い女性の幽霊なら共存してもいいかなって」
誰かコイツの煩悩を止めてくれ。
「その幽霊は出てきたのか?」
「いいや? 幽霊の『ゆ』の字も気配ないね」
細井の足の臭さは幽霊をも跳ね除けるらしい。いや、跳ね除けるのは幽霊だけではないのかもしれない。夏場は特に強烈だもんな。本人も気にして臭いを和らげるクリームを塗っているらしいが、容易くクリームを貫通してくる。
そういう事情も相俟って、自殺した女性の霊も姿を現わさないのだろう。
皮肉にも、細井の計画は自分の足の臭さによって破綻したのであった! 残念!
「たーくん、もしかして、今、すげー失礼なこと考えただろ」
ああ——、察しのいいデブは嫌いだよ。
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