#14 同僚がフリーダムすぎて懈い
細井が入店した回転寿司屋は、会社がある駅から三つ離れた駅の近くにある。
値段は一皿一三〇円からと、回転寿司の中ではワンランク上ではあるものの、上質で分厚いネタが人気だ。
土曜日の昼時ということもあって、店先にはちょっとした列が出来ていた。
主に目立つのは家族連れとカップルで、残りはリピーター客か評判を聞いてやってきた初見さんって風情だった。
待機列を無視して店内に入るのはどうにも気が引けるが、心を無にしてドアを開いた。酢飯の匂いが腹を擽る。
ああ、どうして俺は食事目的じゃないのだろう——一抹の寂しさを噛み締めつつ、財布を忘れた力士のなり損ないを目で探す。
蛇腹を描く寿司のレーンの一角に、達磨と見紛うほどの背中を発見した。
細井泰であることは明々白々だったが、念のために「後ろを見ろ」とメッセージを送信した。
背中を叩いて他人の空似だったら赤っ恥だ。事に至る場合は慎重に期するべき、と過去の俺から学んでいる。
その場の空気に当てられて、無計画で事に当たるのは愚か者のすることだ。……なんだろう、懺悔している気分だ。
数秒後、テーブルに置いた細井のスマホが振動し、達磨の背中がもぞもぞと動きを見せた。
画面を確認するまで待つ必要もないのだが、どんな反応をするのかという好奇心が勝り、細井が背後を向くまで待機してみようと思う。
画面を確認した細井は、座ったままの姿勢で体を捻るように背後を見た。
ばっちりと目が合うと、偉く安堵したような表情を作り、「おーい」と片手を振ってきた。暢気かよ。
細井のテーブルには、色違いのお皿が十枚単位で積み重ねてある。
皿の色を分けて重ねている辺り、従業員への配慮も忘れていないのは好印象だ。
俺は、回転寿司で色分けしない者たちが許せない質で、適当に重ねている席を見ると腹が立ってしょうがない。
何なのアイツら、皿を色分けしない自分かっけー、とでも思っちゃってる脳内漫画尽くしくんなわけ?
特にフリーター風の客によく見受けるが、お前ら、職場のバックヤードで客の文句を言う口だろ。
『皿を片付けるのは店員の仕事だ』とかほざいてそうだから教えてやるけど、お前らだって文句を言われる対象になってるんだからな?
……などと、フリーターに対する偏見が止まらない、おっさん間近の会社員が、ここにいる。というか俺だった。だからおっさんじゃねーし。
「たーくん、鬼みたいな形相になってるけど……いやほんと、マジでごめん。再三に渡ってごっつぁんです……」
ごっつぁんの使い方、フリーダムかよ。
「ああいや、すまん。別に細井にムカついてるわけじゃない。大人にはいろいろあるもんだろ?」
大人って本当に懈いのだ。
上司に媚び諂ったり、同僚にパシらされたり、源泉徴収を書くのが面倒だったり、残業代が碌に支払われなかったりと散々である。
早く大人になりたい、と幼少期は思っていたけど、中学、高校、大学と進学するにつれて、子どものままのほうが気楽だって真理に気づいちゃうんだよなぁ……。
「……たしかに、いろいろあるよね」
しみじみと言う細井も、様々な苦労と心労を重ねてきたのだろう。
元力士部屋出身である細井からは、厳しい稽古が嫌になって逃げだした、と聞いている。
けれど、それは酒の席で聞いた話であって、本音は隠していたように思う。——人生色々だ。
細井から伝票を受け取り、内訳を確認して、愕然とした。はっきり言って、お一人様のお会計金額ではない。
人間ってここまで食えるものなのか?
フードファイトにおいては得体と言えずとも、二回戦進出はできそうな胃袋だ。
いつの日か大食い大会があると告知があったら、イケメン弟の履歴書を芸能事務所に送りつけるお節介な姉のように、こっそりとエントリーしてみるか。しないけど。
会計を済ませて外に出た細井は、何も成し遂げていないはずの身でやりきったような顔をしていた。
満足そうに天を仰ぐその姿は、かの覇王を連想させる。いやいや、悔いはあるだろ。金返せ。
「助かったよ、たーくん。ありがとう」
たーくん言うな。
「月曜にまとめて全額返せよ」
釘を刺すと、細井は遠慮がちな笑顔を作った。
「わかってるって、ちゃんと返すよ」
「本当だろうな」
睨めつけると、細井は俺に背中を向けて、
「——勘のいい同僚は嫌いだよ」
財布を忘れてきたヤツの台詞じゃねえんだよなぁ……。
* * *
適当にそこら辺をぶらぶらしながら雑談を交えて、なぜ財布を忘れたのか、その理由が明かされた。
答えは単純で、休日の外出時に使うバッグに財布を入れてこなかったのが原因だった。
食事中に財布の中身を確認しようとして、部屋に忘れたと気づいたらしい。——なるほど、だから四千円以内に収められていたのか。
財布を持っていない以上、罪を重ねるわけにはいかないという心理が働いたその結果、お会計金額が四千円以内に収まったってオチである。
「あと一〇皿は入る……」
あれだけ食ってまだ入るのかよ。
「なあ細井よ。大食いチャレンジしたほうが効率いいんじゃないか?」
よくある『デカ盛りチャレンジ』ってやつだ。成功すると食事代が無料になったり、次回来店時に使用できる割引クーポン券が貰えたりと特典満載で、店によっては金一封を贈呈してくれたりもする。
大食らいには最適とも言えるイベントだが、細井は「あー」と渋い顔をした。
「それ、昔やってたんだよ」
「今もやればいいじゃないか。——どうしてやらなくなったんだ?」
「同じ店で何度も成功してたら出禁になったんだ」
「あ、そう……」
そりゃそうだろう、というツッコミは呑み込んだ。
「それにしても、わざわざここまで来させちゃって悪かったね」
スマホだけは持ち歩いていたのが不幸中の幸いだと、細井は耿然として言う。
すっきりしているところ申し訳ないけれど、こっちは貴重な休日を下らないことに費やされているのだが? 細井のこういう無神経なところは俺とよく似ているんだよなぁ……。
「同僚の誼ってことにしておいてやるよ」
同じ穴の狢でもあるし。
「たーくん、マジフツメン! ごっつぁんです!」
「そこは嘘でもイケメンって言えよ。あと、たーくん言うな」
そんなやり取りをしながら適当に歩いている途中、突然として足を留める細井。
「呼び出しておいてなんだけど」
「なんだよ、改まって」
「たーくんはこれからどうすんの?」
予定は? と訊かれて黙ってしまった。
主だった予定は組んでいないし、かといって暇すぎるということもない。
仕事を持ち帰ってはいるけれど、火急でもないもので……それは暇ってことになるのだろうか?
強いて言うのであれば昼飯を食べたい。
どっかの誰かさんのせいで食べっぱぐってしまったし、これまた誰かさんのせいで、無性に寿司が食べたい気分だ。
「帰宅途中にスーパー寄って、寿司でも買おうかと」
「だったらあの店でお持ち帰り用に詰めてもらえばよかったのでは?」
「皆まで言うな。俺もちょっと後悔してるんだから」
そもそもこうなったのは細井のせいだ。
寿司店に入って、寿司を食べずに会計だけする俺の気持ちを考えてみろ。
テーマパークに赴いて、アトラクションに乗らず風景だけを眺めるようなもんだ。
『夢の国でアトラクションに乗るのは情弱。普通は風景とショッピングだけを堪能するよね』って、どんなイキりプレイだよ。黒歴史確定演出で地獄ルート突入なんだよなぁ……。
「どうせ暇なんでしょ? だったらウチくる? ……今日、親いないんだ」
一人暮らしの独身男性なのだから当然だろう。
「男子高校生一〇〇人に聞いた、意中の相手に言われたい台詞ランキング一位をお前が言うな」
このまま女性経験なしを貫き通して、魔法使いになってしまえ。細井には『ゼロの魔法使い』の称号を与えてやるよ。『ゼロ』の数字が意味するところは、言わなくてもわかるだろう?
「帰り道にスーパーあるし、そこで寿司パック買えばいいじゃん。オレも買うし」
「まだ食うのかよ……つか、財布持ってねえだろ」
「電子マネーならある!」
「へえ…………」
あの寿司屋、電子マネーが使えるって、ご存知ない?
【修正報告】
・報告無し。




