#11 酔っ払いが懈い
二軒目にと細井が選んだ店は、高架下に構えるこぢんまりとした酒場だった。
日中に幾度か店の前を通ったことがあったものの、実際に入店するのは初めてだ。宵闇に溶け込むような黒の外観は、どこかギャングの隠れ家を彷彿させる。
細井は何度かこの店を利用したことがあるらしく、「とっておきの店なんだ」と快活に笑う。
その口調から、本当は、片想いしていた篠崎さんを誘いたかったんだろうと察した。相手が野郎ですまん。
アンティークなドアハンドルを握り締めてドアを開くと、左に八人が座れるバーカウンターがあり、右の壁側には四人用の丸テーブルが四つ等間隔に並でいる。
床の材質は薄暗い店内で転倒してしまわぬように、ゴムのような材質を使っていた。テーマパークを思い出す感覚だ。テーマパークなんて片手で数えるほどしか行った覚えはないのだが。
天井を見上げると、剥き出したになった太いパイプと細いパイプが迷路のように入り組んでいる。
このようなデザインの天井は、高校生時代に一度だけ訪れたライブハウスとそっくりだ。そういえば、ビールを始めて口にしたのもこの時だったように思う。
友人のバンドがよく対バンする先輩バンド、と紹介されたそのバンドのフロントマンは太く編んだ青髪のドレッド頭で、両腕にはタトゥーを掘っていて怖かったけれど、絡んでみると愉快な人だった。
周囲の人たちから『ジョニさん』と呼ばれていたのも、某海賊映画に出演している俳優に似ているから、らしい。
見た目こそカリビアンな海賊風だったが気さくな人柄で、「今日は楽しんでってくれよ?」とビールを奢ってくれたのが始めての飲酒経験だった。
しかし、未成年にお酒を勧めてくる辺り、良い大人ではない。バンドマンなんてそんなものだろう。
俺と細井は三人並びの手前側のカウンター席に座った。左隣には緑色に染めたショートヘアの女性が座っている。見た感じは二十歳そこそこ。
奇抜な髪色をしているその職業は、美容師か、バンドマンか、動画投稿を生業としていると相場が決まっている。言わずもがなではあるが、偏見だ。
ライダースジャケットを椅子の背凭れに掛けているところから察するに、バンドマンの線が濃厚だろう。
アレンジした白のダメージTシャツにプリントしてある薔薇と骸骨が、たわわな胸部によって更に強調されて——あまりじろじろ見るのは良くないよな、と視線を細井に戻した。
「たーくん何飲む? オレはスパニッシュタウン頼むけど」
「スパニッシュタウンってどんなカクテルだ?」
「オレンジキュラソーを数滴入れたカクテルですが、ほとんどラムのストレートです。度数が高いカクテルなので、お酒に慣れた上級者向けですね」
俺の質問に答えたのは、バーカウンターにいる男女のうちの一人、男性のバーテンだった。
細面で清涼感のある顔立ちだが、鼻にピアスを付けている。若い頃にやんちゃしてたのかもしれない。とはいえ、俺よりも若そうではあるが。
「説明ありがとうございます」
座ったまま頭を下げた俺に、バーテンは「いえいえ」と頭を振った。
しかし、参ったな——。
バーと名の付く店ってメニュー表を用意しないものなのか? 多分、あるところにはあるのだろうけれど、この店は置いていない様子である。
俺が知る限りのカクテルは、よく名前を聞くようなメジャーどころしかない。
知ったか振りして恥をかくのもなんだし、取り敢えず「ジントニックを」と注文した。
「んじゃあ、乾杯しよう。ごっつあんでーす」
毎度のことだが、細井の乾杯はいつも「ごっつあん」だ。
これで力士イジリを許さないってなんなの? とグラスを重ねて思いながら、ジントニックをちびりとやる。……おお、これはなかなか。
居酒屋のジントニックしか飲んだことがないせいか、べらぼうに美味く感じる。
使っているジンが美味いのか、それともトニックウォーターが特別なのか。
どっちにしろ、素人同然である俺には判断しようがない。
「美味いな、これ」
ストレートグラスを傾けながらそれっぽく言ってみた。
透明なジントニックを通して見えるリキュールと、英語で『オープン』と書かれたネオンライトが煌びやかに映る。
面白いな、と思った。
グラスに浮かぶ氷も相俟って、宝石を詰め込んだみたいだ。
バーは大衆居酒屋と違い、店の雰囲気や空気も一緒に飲む場所なのかもしれない。
……などと、ちょっぴり格好つけてみるバー初心者が、ここにいた。その人物はまごう事なく俺だった。乾き物が欲しいと望む、二十八歳の俺である。
「スパニッシュタウンも飲んでみる?」
「いや、それはいいや」
さすがに四〇度もある酒を呷りたくはない。
そんなことをすれば、俺の胃が悲鳴を上げる。
バーに入る前にコンビニでウコンドリンクを買って飲んだし、胃薬も買っておいた俺に隙はないが、無茶をする場面でもないだろう。
「それにしても、たーくんってモテるよなぁ」
「なんだよいきなり」
「だって、女子高生と連絡先を交換するとか、オレからすれば奇跡としか言いようがないんだけど? なに? 自慢っすか? 女子高生と連絡先交換したオレかっけーっすか? まじごっつあんだわー」
ごっつあんの使い方ってそうじゃねーだろ。
この店に向かう道中、昼にあった出来事を細井に話した。というか、三越の件を問い質されて、半ば強引に聞き出された。数時間前に「無理には聞かない」と言っていた男のやることではない。
「んでえ? その女子高生は可愛いかったん?」
「まあ、稀に見る美少女ではあったな」
フラットタイプは言わなかった。
マウンテンサイズ趣向の細井に言う必要もない。
余談だが、俺はふとももフェチである。
……余談が過ぎた、忘れてくれ。
「三越ちゃんに言い寄られてえ? 今度は女子高生をはべらせてえ? ……なんだかムカついてきたんだけど、張り手していい?」
細井はご自慢の右手をグーパーして、ウォーミングアップを始める。
分厚くて大きな手を開くと、なんだかヒトデみたいな手だ。ヒトデなんてまじまじと見た記憶はないけどな。海、行きてぇなぁ……。
「やめろ、俺はまだ死にたくない」
「冗談だって」
そう笑う細井の目は本気だった。
相撲の知識は皆無に等しい俺だが、相撲という国技は投げ技を主体としたスポーツではなかっただろうか。
張り手やかち上げといった荒っぽい技は、昨今の相撲ではあまり見られなくなっているように思う。多分。知らんけど。
「冗談に聞こえねえんだよ、細井の冗談って」
「マジで女子高生に手を出そうってんなら話は別だけど、たーくんは未成年に手を出すようなクソヤロウじゃないとわかってるし」
「まあ、な」
ジントニックを一口飲んで、決まりの悪さを誤魔化した。
連絡先を交換したのは止むを得ぬ事情があってだが、立派な大人を演じると、厳格な態度で突っ撥ねるのが正解だ。
ゆえに、事実だけを鑑みれば、下心がなかった、とは言い切れない。無論、美佳に対してどうこうするつもりは更々ないけれど。
「頼むからここだけの話にしてくれよ? 変な噂が立つと面倒だ」
「そうだなぁー。家に帰るまで楽しければ、その限りでもないんだけどぉ?」
現金なヤツだなと肩を竦める。
「わぁかったよ。ここは俺の奢りだ。それでいいんだろ?」
「さっすがイケメン。モテる男は話が早くていいや」
奢るのは吝かではないけれど、メニュー表がないってことは値段もわからないわけで——恐る恐るジントニックをちびちびやりつつ、細井が満足するのを待つしかできなかった。
【修正報告】
・報告無し。




