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滝宮天馬はもう懈い  作者: 瀬野 或
一章 滝宮天馬はもう懈い
10/28

#10 細井泰が懈い


 連絡先の交換をしなければこの場から離れない。と、頑なに言い張る美佳と連絡先を嫌々ながら交換した俺は、駅まで美佳を見送った足で会社に戻った。


 会議を控えているだけあって、部内の空気が若干ピリついている。いつも暢気に構えている部長も、社長が会議に出席すると聞いて顔色を悪くしていた。


 定刻となり、会議室に集まった。

 机と椅子が四角く円状に並べられている。


 三越を含む女性社員が用意した水のペットボトルは、ラベルが全て剥がされていた。


 どうしてラベルを剥がすのか、理由は不明だ。


 どうせ『ずっとそうしてきたから』とかいう理由で、作業的に剥がしているのだろう。


 五分ほど遅れて社長が会議室のドアを開くと、俺を含めた全員が立ち上がった。


「おはよう」と全員の顔を見回す。

 社長が着席したタイミングで俺たちも座った。


 我が社の社長は『人柄の良い北の将軍』と呼ばれるだけあって、温厚な表情をしている。だが、時折見せる眼光の鋭さは背筋が怖気立つほどだ。


 因みに、社長の名前は(きた)()(まさる)という。

 社会人の駄洒落センスの無さを舐めないでいただきたい。


 司会進行は、部長・(つじ)(つま)(たす)()だ。


 隣でニコニコしている社長の圧に耐えつつ冷や汗をハンカチで拭いながら、淡々と進行していった。


 会議に割く時間は一時間と決まっている。


 必要以上にだらだら時間をかけても仕方がない、というのが北野社長の方針だ。


 それゆえに、辻褄部長にかかるプレッシャーは相当なものだろう。


 俺たちのような下っ端も事前準備を怠れないのは、そういう理由があってなのだ。


 北野社長が温厚な表情を浮かべていても、会議は和気藹々とはならない。


 以前、共同プロジェクトを発足し、他の企業のお偉いさんが会議に出席したことがあった。


 会議を終え、喫煙室で一緒に煙草を吸っている際に、「キミたちはいつもあの空気で会議をしているのか?」と酷く驚いた顔をしていたのが印象に残っている。


 俺たちには当たり前の光景でも、他の企業から見れば異様だったようだ。


 辻褄部長の采配と俺たち部下の努力が功を奏したのか、北野社長の表情を崩すことなく、無事に会議を終えることができた。


 安堵して、ほと胸を撫で下ろした辻褄部長の肩を叩いたのは、社長の右腕と呼ばれる敏腕専務。


 辻褄部長の耳元で何かを囁くと、辻褄部長はその場で固まってしまった。顔面蒼白である。南無、と、俺は心の中で合掌して、同僚の細井と共に会議室を出た。



 * * *



 仕事が終わり、久しぶりに定時で帰れるともなれば、荒みきった俺の感情も高揚するというもので、これまた久しぶりに細井を焼肉に誘った。


「三越、お前も来るか?」

「行きません。さようなら」


 近くにいた三越にも声を掛けたが、素っ気ない態度で断られた。どうやら昼休みの一件を未だに根に持っているようだ。


 まあ、それならそれでいい。


 妙に親しい姿を同僚に見られるのも嫌だし、これを機に自立してくれれば教育係の俺も楽できる。


「三越さんと何かあったの?」


 焼肉屋に到着して、席に着いた細井の第一声はこれだった。


「別に、なんもねぇよ」

「なにもないって顔してなかったけど、三越さん」

「…………」

「ま、言いたくないってんなら無理に聞かんけどさ」


 すみませーん、と店員を呼んだ細井は、俺の分も考慮して注文してくれた。


 注文してくれたのはいいんだけど、本当に二人で食べきれる量なのか。ウコンドリンクを飲んでくればよかったと後悔しても、もう遅い。


 店員が運んできた四人分はあるであろう上タン塩を見て、覚悟を決めた。


「焼肉、ごっつあんでーす!」


 上機嫌に乾杯の音頭を取る細井。


 ビールジョッキをコツンとぶつけた勢いそのまま、ビールを一気に流し込む。気持ちのいい飲みっぷりは相変わらずだ。


 俺も細井の真似をしてビールを喉に流し込んでみたが、三割程度しか飲めなかった。


「会議が終わってから部長の様子がおかしかったよなー?」

「いつものことだろ」

「いんやぁ? ありゃきっと訳ありだね」


 俺たちの卓には、細井が注文した肉で溢れていた。


 次々と運ばれてくる肉に、俺はもう細井を焼肉には誘うまい、と心に誓う。八ヶ月前にもそんなことを誓った気がするのだが……?


 肉とビールに上機嫌になった細井は、早々にハイボールに切り替えた俺に、「そんなちゃらちゃらしたの飲むなよぉー!」と、(だる)(がら)みしてくる。


「ちゃらちゃらしたの飲んでるくせに、笑顔ウルトラゼットじゃないのかぁ?」


 面倒臭え……。


「つうかよお、たーくん」

「たーくん言うな」

「毎日のように昼休みを三越ちゃんと一緒してるんだろぉ? そろそろ『付き合ってない』って言い訳は効かなくなってくるぜぇ?」


 細井は酔っ払うと、女性社員を『ちゃん付け』で呼ぶ。


 それが気持ち悪いともっぱら噂されているけれど、細井にそんな陰口は通用しない。


 それもこれも、力士としてメンタルを鍛えられてきたからこそなのだろう。


 細井を凹ませることができる社員は、少なくとも俺たちがいる部署には存在しない。


 体型はプリンよろしくなくせに、メンタルは鋼なのだ! 俺が誇ってどうする。


「気持ちに応えてやれよー。かわいいじゃん、おっぱいもでっかいし。おっぱいには夢が詰まってるんだぞ? それ以上に何を望むんだぁ?」

「おっぱいが大きいからって、そこで判断したりしねえよ。俺はもう外見でああだこうだするの、やめたんだ」


 ふと網に目をやると、俺が丹精込めて育てていた上ミノがなくなっていた。


「肉も女も一緒で、取られる時は一瞬なんだ。なあ、たーくん。たーくんは三越ちゃんをどう思ってんの? あ、ビールおかわりくださーい。大ジョッキでよろしくでーす」


 質問するのかオーダーするのかどっちかにしろ!


「三越のことは嫌いじゃないけど、恋愛対象としては……どうなんだろうな」

「あーもうじれったいぃ! もうホテルに誘って一発やっちまえばいいじゃん! ……あ、豚トロ三人前追加で」


 ビールを持ってきた店員に追加オーダーした。つか、野菜を注文させてくれないだろうか。サンチェでもいいから! シーザーサラダ一枚でもいいからさぁ!?


「それとも他に好きな人いるの? まさか、例の元カノをまだ……」

「ないない。もう一児の母だぞ」


 細井は「ふぅん」と感心なさげに言う。


「じゃあ、杉山ちゃん? それとも、篠崎ちゃん?」


 杉山(ゆう)()と篠崎()()は、部内でも屈指の人気を誇る女性社員ツートップだ。


 杉山さんと篠崎さんは年下ながらも俺の先輩で、『仕事ができる女性社員』代表格でもある。


 仕事ができる女性社員がいるのに、三越が俺の下に配属された理由は単純明快で、俺が暇そうにしていたのを辻褄部長に見られてしまったからだ。疲れから欠伸しただけなのに!


「その二人、彼氏持ちだぞ」

「なん……だと……」


 細井の箸からレバーがぽろりと落ちて、焼肉のタレのプールにダイブした。


 弾けたタレがシャツに付いてもそれどころではない様子で、愕然としながら泣きそうな目をしている。


「それ、ソースあるの?」


 焼肉のタレだったら三種類用意されているけれど。


「三越が前に話してた」

「女子情報じゃ確定じゃん! うわ、マジかよぅ、篠崎ちゃんのこと狙ってたのに」


 細井よ、非常に残念だが、篠崎さんはお前のこと嫌いなんだって。


 ことあるごとに絡んできて迷惑だと言っていたから脈なんて全くなかったぞ。——というのは同僚の(よしみ)で心に秘めておいてやる。


「ああもう! たーくん、今日はとことん付き合ってもらうからな!」

「仕方がねえなぁ……。ま、俺も今日は飲みたい気分だったんだ。二軒目までなら同行してやるよ」

「そうと決まれば善は急げだ。この肉たち、片付けるぞぉ!」


 勢いづい細井は、網の上に肉の絨毯を描いた。


「元力士の胃袋の凄さを見せてやるぜ……」


 不敵に笑う細井に頼もしさを覚えたが、俺はちょっともう……トイレいってくるっ!



 

【修正報告】

・2021年10月4日……本文の微調整。

・2021年10月6日……同上。


【おねがい】

 ここまで読んで下さいまして誠にありがとうございます。もし面白いと思って下さるのであれば、ブックマークして頂けると大変励みになりますので、どうかよろしくお願い申し上げます。

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