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ラズーン 4  作者: segakiyui
10.幻遥けく
88/89

9

 夜は更けている。

 静かな暖かい晩で、風が微かにそよぐ程度、鳥も眠り馬も眠り、墓場で憩う死者達さえも眠り続ける、そんな夜だった。

 ミダス公公邸の一室、ユーノに与えられた居室には、ぼんやりと明るい月光が、開いた窓から差し込んでいる。

 ベッドで寝息をたてているのは、プラチナブロンドをくしゃくしゃにして丸くなっているレスファート、白い夜着に手足を縮め、時折小さな口を動かして何事か呟いている。

 当の部屋の持ち主、ユーノの姿はベッドにはない。

 開けた窓に腰掛け、窓枠に凭れて腕を組み、じっと彼方の空を見つめている。夜着でさえない服装ーチュニックに短い腹辺りまでの上着、腰には愛用の剣を吊るし、額に『聖なる輪』(リーソン)という出で立ちーで、ユーノがたまたま起きていたのではないと誰にでもわかる。

 遠くから風がゆっくりと吹き寄せて来て、ユーノは少し眼を伏せた。短く削いだ焦茶の前髪の毛先が、目元に乱れるのをそのままに、微苦笑を浮かべる。

(こんな夜に眠れない、なんて)

 ふと思い出した。

 以前、野戦部隊シーガリオンの野営の夜、見張りをしていたユーノにユカルが話しかけてきた。

 俺達はこんな平和な夜こそ眠りにつけないんだ。戦いがある時は、敵がどこにいるのか、何を待っているのかがわかる。けれども、こんな静かな夜は、敵の居場所さえも『夜の王子』(セトラート)の衣の影に隠れてしまってわからない。どこからかやってくる敵の匂いを、一瞬でも早く嗅ぎ取ろうと、静まった夜気にぴりぴりと神経を尖らせちまう。戦いから戦いへ、毎日を戦乱に明け暮れる俺達の性分というものかも知れないな。

(私も、性分かも知れない)

 静かな夜ほど心が尖る。この平穏が偽物ではないかと訝る心を持て余し、一人何度もセレドの街をレノで駆けた。

 これは真実か。

 それともたまさかの夢にごまかされているのか。

 それはいつも、心にあった危機感だ。平穏な日々という仮面を被って『何か』は確実に進み続けている。その『何か』に気づいていなければ、自分は大きなものを失ってしまうに違いない、と警告が響く。

(考えてみれば、カザドのことだけじゃなかったんだ)

 ユーノの敏感な心に聴こえていたのは、揺れ動く諸国動乱に踏み散らされる人々の悲鳴、日々の要であるラズーンが撓みきしんでいる音だったのだ。

 そして、ユーノはレアナの身代わりとしてにせよ、セレドから遥か遠く、故国においては世界の果てと言われたラズーンへ、ただひたすらな旅を続けて来た。この旅さえ済めば、世界を統べる府に辿り着きさえすれば、『何か』が明らかになる、『何か』の姿がはっきり見える、そう信じて。

(でも)

 多くのものを重ね見るほど、目に見えない渦の中へ巻き込まれている自分が、垣間見えるような気がする。

 ラズーンの崩壊、『運命リマイン』との戦い、『太皇スーグ』の交代、遥か昔に作り上げられ定められていた未来への流れ。

 それらは宙道シノイのように、数多くの背景を持ちながら、どれ一つとも関わらずにまっすぐある一点へと伸びている。

 ひょっとすると、世界というものはそのように成り立っているのかも知れない。その辿り着く先を見ようとして、人は数限りなく生と死を繰り返すのかも知れない……。

「、誰だ?」

 ふいに、扉の向こうに熱を感じた。人の立ち止まった気配、誰何して剣に指を触れる。

 もう、この公邸も安全ではないことをユーノは熟知している。ましてや、無防備に眠るレスファートを側に、一瞬たりともためらう気はない。

「私です」

「…ジノ?」

 殺気が届いたのだろうか、扉の向こうの人物はすぐに答えを返した。抜き放ちかけていた剣を鞘に戻し、ユーノは扉の方へ向かう。気配は身動きしない。

 レスファートを気にしながら、そっと扉を開け、薄暗い廊下に佇む相手の姿を認めた。

「どうしたの?」

 まるで手酷く詰られることを覚悟しているような俯き方、それでもそろそろと顔を上げて、ジノは瞬いた。

「少しお尋ねしたいことが。……入ってもよろしいでしょうか」

「うん、いいけど……レスが眠ってる。そっと入って」

「はい」

 ジノは頷き、しなやかな動きで扉の隙間から滑り込んできた。背後にリディノがいる気配はない。物音一つたてずに部屋に入ってきたジノに、ユーノは目を細める。

「前から気になっていたんだけど」

「はい」

「あなた、ただの詩人うたびとじゃないね? つまり、ねっからの詩人うたびとじゃないだろ?」

「…お察しの通りです」

 ジノは深い青の瞳に微笑をたたえた。月光の中では黒と見まごう色味が静かに瞼に隠される。

「9つの歳まで、地方の一都市で盗みまがいをして生きておりました。ミダス公に拾われ、姫さまにお会いしていなければ、あのまま今も、日々を盗み暮らし、やがては捕まってくびり殺されていたことでしょう」

「…そう」

 ジノの何を認めてミダス公が愛娘の側に置く事を許したのか、それは想像するよりないけれど、おそらくはリディノが強く懇願したのだろう。重ねた年月の中で、ジノはリディノを唯一の主として仕えることを選んだ、それが振舞いに見て取れる。

 そのかけがえない主の側にいることなく、ジノは夜更けにユーノを訪ねてきている。何か事情があることなのだ、とユーノは察した。

「ところで、何の用?」

「……どうしても、お尋ねしたいことがあるのです」

 再びあげてきた瞳は、光を吸い込んで重い。

「何?」

「アシャ様は、ひょっとして、あなた様を愛しておられるのではありませんか」

「っ」

 びくり、と思わず体が震えた。どうしてそんな、そう考える心が千々に切れる。

 そうであったらよかったのに。そうであるはずもないのに。そうではないのにどうしてそんな。

 波立つ心に抗うユーノを、ジノはじっと凝視している。ふざけたり、からかったりしている表情ではない。

「まさか」

 にじみ出てくる苦笑は、自分に対する自嘲。

 これほど望みがないことを、それでもことば一つにまだ揺れる、自分の甘さ愚かしさ。

「アシャが好きなのは、レアナ姉さまだよ」


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