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「あ……ぅ…っ」
どうしてこんなに自分は未練がましいのだろう。
どうしてこんな優しい人を自分勝手に思い込めるのだろう。
どうして自分はこんなに足りないのだろう、姿形も心も、魂までも脆い。
「うっ……ひっ……っく」
嗚咽にアシャは黙ってユーノを抱え続けてくれた。静かに髪に頬をあてて黙っていてくれる、その甘さに涙が止まらなかった。
もっと強くなりたい。
もっと、もっと、強くなりたい。
こんな時に誰かに慰めてもらうのではなく、厳しくなった状況に、大丈夫だと笑いながら次の一手を打てるような人間になりたい。
(でなきゃ、アシャを護れない)
「…ん…っく」
開いた空間を埋めるように、再びアシャが抱き寄せてくれる。遠くなっていたアシャの胸の鼓動が、また近くで鳴り始める。瞬きして、その音を聴く。
(生きている……音…)
鼻を啜り、目を閉じた。温もりと、鼓動と、繰り返される静かな呼吸に、気持ちが少しずつ穏やかになっていく。
(気持ちいい…)
人のぬくもりは、こんなにも、甘いものなんだ。
「ふ…ぅ…」
吐息をついて、その感覚をただひたすらに貪った。
「……」
どれほどの時間がたったのだろう。
夢現の世界を彷徨っていたユーノの耳に、再び雨の音が響き始めている。疲れ切っていた心が、いつの間にかもう一度、輪郭をはっきり取り戻している。
「…使者は……無事に済んだ」
雨音の合間を縫って、アシャの声が響いた。
「『泉の狩人』は『運命』につかない」
「…そう…なんだ…」
まだぼんやりしながら、ユーノはゆっくりと目を開けた。
視界がひどく明るく鮮やかに澄み渡って見えた。
「俺は、『泉の狩人』(オーミノ)達と…」
続くアシャのことばを、どこか茫然と聞き流しながら、ユーノは、ふいに、濡れた頬を押しつけている場所の違和感に気がついた。
ざらざらした布の感覚。
けれど、アシャは上半身は服を着ていない。
視線を動かし、頬の下にある真っ白な布を眺める。それはぐるぐるとアシャの胸に何回も巻きつけられた包帯だ。
「…!」
ずさり、と何か固くて冷たい刃が体の中心を落ちていった。顔が強張る。
「……アシャ…」
「で、俺は……え?」
「傷…治って、ないの?」
「…」
困惑したような沈黙。どんな顔で自分が見下ろされているのか考えるのが怖い。
「治ってないのに、来てくれた、の?」
あまつさえ、今ユーノはこんなふうに甘え切っている、傷ついたアシャの胸にべったりと。その傷みを思いやることさえなく。
「ユーノ、俺は」
「…ご、めん」
一気に干上がった口がなかなか開かなかった。顔が熱くて、体が熱くて、恥ずかしくて、辛くて、なのに心の中心が凍りつくほど冷えている。
「ごめん、やっぱり、私、疫病神なんだ……」
一体何を考えている。一体何をしている、こんなところでのうのうと。
脳裏を走った幾つもの顔にユーノは震えた。
「私がいる、から、レスやレアナ姉さままで、狙われて、あなたは、関係、なかったのに、こんな傷で、助けに来なくて、よかったのに」
ごめん。ほんとうに、ごめん、なのに、わかっていなくて、ごめ…。
「ユーノ!」「っ!」
突然ぎゅっと激しく抱き締められて、思わず声を呑んだ。左肩を掴まれなかったのが幸い、それでもじうんと熱を上げる肩に、アシャが顔を伏せた。ふっくらとしたものが、静かに押しつけられる。続いて叱りつけるような、そのくせ優しい声が響いた。
「ばか」
「…アシャ…」
「そんなふうに考えるんじゃない。レアナやセアラ、セレドをカザドから護ってきたのは誰だ? レスファートが捜し求めるのは誰だ?」
「で、も…」
私がいなければ、よかったんじゃ、ないの…?
(サルト)
視界を覆う涙に呻く。
「生まれ間違ったんじゃ…なくて……生まれなければ……よかったんじゃ……ないの……? このまま…じゃ……いつか……あなた、も…」
「違う」
「で……も…」
「違う」
俺は、大丈夫だ。
アシャはユーノの左肩に顔を伏せたまま、囁いた。
「何があっても、俺は、大丈夫だ」
俺の命を大事だと思ってくれるなら、お前の命も同じぐらい、大事だと思ってくれ。
「頼むから…」
アシャの声が詰まった。
「忘れるな、ユーノ、お前は、俺の」
「……アシャ」
「お前は、俺の」
アシャを振り向こうとした頭が静かに押さえられる。肩から首に傷を労るような小さなキスが落とされ、元のように抱え込まれた。
沈黙。
その代わり、与えられたのは、髪へ、こめかみへ、涙に濡れた目元に落とされた優しい唇。
その唇が、妙に震えて頼りなげで、ユーノは目を閉じ息を詰める。
私は、アシャの。
「………かけがえのない」
かけがえのない。
「………仲間、だ」
「…………」
一瞬強張った体を気づかれただろうか。見開いた視界から溢れ落ちた涙を、アシャはどんな意味にとっているのだろうか。
「……いつまで…?」
仲間。
「俺はお前の付き人だからな」
強いて元気そうに響く声。
「……じゃあ、セレドに戻るまで、かな」
「……ああ、そう、なる、な」
アシャの顔を振り仰げなかった。まっすぐに前を見たまま、何とか笑った。
レアナの妹で、セレドの第二皇女で、付き人であるアシャの、仲間。
(勝手に死ぬことも、許されなくなった)
「……わかった」
ゆっくり目を閉じる。
「……ボクは……アシャの、仲間で、いる」




