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ラズーン 4  作者: segakiyui
9.沈黙の扉
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10

「ほう」

「唇で声を封じるか」

 さて、どうしてユーノを助け出すのかと、戸口で見守っていたセールが微かな笑い声をたてた。他の狩人も、アシャの煩悶を格好の見世物とばかりに眺めている。

「さても気障な男じゃ。こんな時でも伊達男ぶりを発揮するとはな」

「気障なばかりでもあるまい」

「長…」

 ラフィンニの声に振り向く。

「考えてもみるがいい。ユーノ1人では身動きならぬ。娘を岩屋から連れ出そうとするのなら、抱いて運ぶしか手はあるまい。あの傷で抱き上げられ抱え込まれるのは激痛、自然、呻き声の1つや2つは零れよう。が、ここは『沈黙の扉』の中、声を上げれば無数の水晶の塊が彼らを押し潰し刺し貫く………ならば、如何にしてユーノの声を封じる?」

「猿ぐつわなりと何なりと」

 おどけたような声が響いた。

「そういう荒事ができぬ男でもありますまい」

 ラフィンニは微かに頷き、問いを重ねる。

「『あの』アシャが、己の命を引き換えにしようとまで惚れた娘に、か?」

「それに、猿ぐつわでは、呻き声を封じられぬ」

 くすくすと別方向からからかう口調が応じた。

「半端に開いた口で呻かれては、元も子もない。好き者ならば別であろうが」

「そう言えば…」

 ウォーグが思い出したように、岩屋の中のアシャを見やった。

「アシャの傷はまだ完治しておらぬはず」

「完治どころか、塞がってもおらぬわ」

 ラフィンニの促しに『泉の狩人』(オーミノ)達がどれどれと覗き込む。

「なるほど血の匂いがする」「また新しく滲む気配じゃ」「アシャにはよう似合うておるが」

「その傷をおして宙道シノイを開き、あの娘を救いに来たというのに、娘の命と引き換えに心に鍵を掛けねばならぬ」

 ラフィンニは珍しく、憂うような優しい口調で続けた。

「名のある戦士でも娘の体ぐらいは手に入れようともがこうに……さすがアシャじゃな、あの口づけ、娘への別れを告げるものと見た。武人の誉れも高いアシャのこと、おそらくは二度と娘の唇に触れまい」

 外でかまびすしく騒ぐ『泉の狩人』(オーミノ)達の声が聞こえているのかいないのか、ユーノを抱えて口を塞いでいたままのアシャが、緩やかに動き出した。抱え込み抱き上げる、その瞬間、苦しげに眉を寄せたのは、ユーノの口を塞いでいるためだけではないだろう。強張る体が傷みの元を教える。ひょっとするとユーノの口に、自分の悲鳴を注いだのかも知れない。

 だが、アシャは動きを止めなかった。抱き上げたユーノと口を重ねながら戸口へ向かって歩いてくると、静かに一歩、戸口の外へ踏み出したと同時に顔を上げた。

「ふ、ぅ…」

 口を離されたユーノが溜め息のような声を漏らして軽く仰け反る。それをそっと支えて我が胸へ抱き直し、アシャは優しく髪に唇を当てた。胸にもたれてくるユーノの頭に、目を閉じ、頬を寄せる。

 場所が『狩人の山』(オムニド)でなかったなら、双方傷を負っていなければ、それは穏やかな昼下がりを楽しむ恋人達の寄り添う姿に見えた。

 甘やかな時は数瞬。

 唐突にアシャは目を開く。自分達の逢瀬を興味津々で見守っていた目を照れもせずに見返す。

「では、頂いていく」

 むしろ爽やかな声音が宣言した。

「我らが聖女王シグラトルじゃ、大切にして頂こう」

「安心しろ」

 ラフィンニの確認に、冷淡に澄み渡った紫の瞳が応じる。

「二度とこんな目に遭わせない」

「そのことば、誓いと受け取っておこう。ユーノ様の傷は我らが念で包んでおいた。悪化はしておらぬはず」

「適切な処置に感謝する」

 淡々と言い放ち、くるりとラフィンニに背中を向ける。伸びた背筋、俯き加減の首筋に金色の髪が幾筋も汗で張りついている。

 アシャもまた、激痛を堪えている。

 すぐに、その傷みは目に見えた。渡り廊下を歩くことなく、雪の上を歩み去る足下は、薄紅に染まっている。

 だが、歩みは止まらない。ユーノを抱く腕が震えることもない。

 誰もどこへと尋ねなかった。アシャが進む前方の空間に、きらきらとした金色の輪が、陽の光が残した傷痕のように浮かんでいる。

「……」

 その前に立ち止まったアシャは、無言で念を込めた。ゆらり、とアシャの体の周囲が黄金の靄を漂わせ、揺らめく陽炎のように霞む。

 次の瞬間、ばこり、と不気味な音をたてて、その輪の中が真っ黒に変わった。透明な泉の中に突然現れた闇のよう、目にした誰もが踏み込むのを恐れるだろう底知れなさだ。

 アシャはたじろがなかった。ことさら身構えることもなく、むしろ薄い笑みを浮かべて足を踏み出す。

「…」

 所詮、俺は。

 呟いたことばの先は聞こえない。

 雪の上に点々と鮮血を滴らせた跡を残し、アシャは闇の中へと姿を消した。


 

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