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ラズーン 4  作者: segakiyui
9.沈黙の扉
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7

「ずいぶん殺気立っているな」

「殺気立ちもしよう」

 そこは、水盤のある部屋とは別の小部屋だった。

 床の上に白い毛皮と黒い厚布を敷き詰め、周囲の壁は蒼い貴石、ところどころにかなり古い壁掛けを飾り、窓のない部屋の中を照らすべく、四方の隅と天井の中央から金属の灯皿が銅色の鎖に吊られている。

 その揺らめく灯の下で、アシャとラフィンニは穏やかに向き合っていた。

 伸びやかで美しい肢体を寛いで伸ばしているラフィンニが、細かい彫りが施された水晶のグラスにたたえられた酒を含む。

「しかし、奇妙な男じゃな」

 訝しげなアシャの視線に笑み返し、

「そなたは周囲が殺気立てば殺気立つほど、寛いでくるように見える」

「そうか?」

 アシャの方もゆったりと体を伸ばして肘掛けにもたれかかっている。とても敵陣に1人居る男の振舞いではないだろうが、相手は『泉の狩人』(オーミノ)、こちらが焦り苛立てば、余計に面白がるだけだろうとわかっている。

「剣も持たずに戦士が何をしに参った」

「確かに短剣は持っていない」

 所持品改めなどせずともお見通しか、と苦笑する。

「和平を申し込んだ相手と事を構える気はないからな」

「なるほど」

 ラフィンニは鷹揚に頷いた。白骨の眼窩の奥にちらちらと楽しげな色が浮かんだようだ。

「そなたは今、視察官オペでもなければ、ラズーンの世継ぎでもない、ただのアシャというわけか。して、その『ただの男』が何をしに参った?」

「……『ただの男』にふさわしいことを」

 アシャは笑みをたたえたまま、ぽつりと言い切る。

「ユーノを返してもらおう」

 ぴく、と、ラフィンニの手が止まった。傾けるグラス越しにアシャに視線を動かした気配があった。

 じじっ、と灯皿の芯が音をたてる。

 それ以外は、何の音もしない。

 この気配は『氷の双宮』の気配と似ているな、とアシャは思った。どちらも、その根本のところは、人の思惑に頓着せず、人の願いを感知しない。存在し続けることが全ての意味であり意義であり、その前にあっては『人』は余りにも脆く、か弱い。

「……ほう」

 通常の者には堪え難いぴりぴりとした沈黙の後、ラフィンニが静かに吐息した。迷う様子もなく、冷淡にことばを紡ぐ。

「断る、と言ったら」

「腕ずくでも」

 隣家で子どもが喧嘩しているのを止めてよ、そう言われたような気軽さでアシャは応じた。所詮人外の理、どれほどことばを尽くし願い奉ろうとも、叶わぬものは叶わないと知っている。ならば、何が何でも押し通る、その意志の強さを示すより他に道はない。

 平然と与えられたグラスを掲げ、中の酒を含んだ。鮮血がかくやと思わせるような深い紅、とろみのある甘さに強い芳香、紛れもなく最高の美酒だろうが、毒を入れられていない保証はない。濡れた唇が薄紅に染まっているのを意識したまま、にっこりとラフィンニに笑ってみせた。

「ここがどこか、心得ておろうな」

「聖なる『狩人の山』(オムニド)、『泉の狩人』(オーミノ)の神殿」

「私が誰だか、忘れてはいまいな」

「狩人の長、ラフィンニ」

「その務めは」

「死を司る者」

 ラフィンニは楽しげに、なお楽しげにことばを重ねる。

「それを確かめて、なお死に急ぐか」

「死に急ぎはするかも知れない、が」

 アシャは目を細め、笑みを深めた。

「あいつだけは連れて帰る」

「………『太皇スーグ』の助けがあったとは言え、『氷の双宮』からここまで宙道シノイを開くなぞという無茶をする男じゃ、本気だとは思うが」

「それほど無茶ではなかった」

 くすり、と笑う。

「この前の宙道シノイを繋げれば、後はここへ焦点を伸ばすのみ」

「安う言うてくれる」

 ラフィンニは少し視線を逸らせた。

宙道シノイは空間の虫食い穴じゃ、四方八方に開ければ『場』が崩壊することぐらい知っていよう。『狩人の山』(オムニド)と『氷の双宮』は双方特別な『場』、易々と繋げば、空間そのものが保たぬぞ」

 しかも、この位置を外部から特定するのは至難の技のはず。

「……視察官オペには、一度来たところなぞ、道案内もいらぬというわけじゃな」

 小さな吐息一つ、やがてくつくつと嗤って、柔らかな膨らみを包む青衣を整えて起き上がり、ラフィンニは酷薄な口調で断言した。

「あの娘は帰らぬ」

「…」

 じろり、とアシャは冷たく相手を見上げた。針の切っ先のような視線を受け止め見下ろしたラフィンニが続ける。

「我らのシズミィを傷つけ、勝手に使者を入れ代わる所行は許し難い。償いとして『沈黙の扉』に封じてある」

「…」

 アシャは舌打ちしかけたのをかろうじて堪える。噛み締めた奥歯が嫌な音をたてる。

「知っての通り、あの扉を開けるには沈黙の誓いが1つ、必要だ。我らをその沈黙で納得させねば、狩人10人で封じた扉は開きはせぬ」

 ラフィンニは淡々とした声で続けた。

「それに、あの娘は『死の女神』(イラークトル)に好まれておるようだ。シャギオに左肩を喰い裂かれ、心も死を求めておる。今、あの娘が生き永らえておるのは、『聖なる輪』(リーソン)の囁きあるがゆえ」

「だから、こそ」

 食いしばった歯の間から、アシャは無理矢理ことばを絞り出した。

「俺が、迎えに、来た。あいつを死なせるわけにはいかん。断じて許さん」

「あの娘は傷つき、疲れ切っておる。休息を与えようとは思わぬのか?」

 からかうような口調ではあったが、底にラフィンニの本心が透けた声音に盲目の導師を思い出した。ユーノの心に触れた者が、皆一様に訴える『もういいではないか』という囁き、だがそれはいつも、アシャに聴こえない、アシャだけに聴こえない。アシャがユーノの心深くまで触れられていないからなのか、それとも、アシャの欲望がユーノへの想いよりも勝っているのか、それさえもわからない、だが。

「休息なら…」

(俺の腕でとればいい。俺の胸で眠ればいい。もし、それでお前が寛げるなら、俺は)

 胸に弾けた激情はアシャからことばを奪い去る。

(俺は一生だって、お前を護り続けてやる)

「……なるほど」

 ふと、何か思いついたように、ラフィンニが続けた。

「わかった。ならば、アシャ」

 ゆっくりとアシャに笑みかける気配は決して友好的なものではない、むしろ。

「それでは、扉を開ける代償に、そなたの、あの娘への沈黙をもらおう」

「っ」

 思わず息を呑んで顔を上げた。アシャの反応に満足したのだろう、ラフィンニはこれまでより数段喜ばしげに声高く笑う。


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