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魔物との戦い、セシ公の協力、ダイン要城の崩壊と陥落、レアナ姫の奪回、『泉の狩人』(オーミノ)への使者、怪我をしたアシャの身代わりにユーノが『狩人の山』(オムニド)へ出かけたこと。
最後近くの話を聞いている間に、レスファートの顔色は瞳と同じぐらい青ざめていた。
「そ…んな……ユーノ…」
呆然と呟くレスファートの声を耳に、我に返ったリディノははっとした。
「ちょっと待って、アシャ!」
ごくり、と唾を呑み込む。背後の部屋に置かれた『聖なる輪』(リーソン)を痛いほど意識する。
「アシャなら知ってる?」
「何をだ?」
「……『聖なる輪』(リーソン)が鳴ってるの、ユーノが残していった」
「っ!」「!」
ぎくりとアシャとミダス公が同時に体を強張らせた。
「4、5日前からだって。そうよね、レス?」
「う、うん」
レスファートは状況が呑み込めないようだ、訝しくリディノに頷き返す。
「それでね、アシャ、その音がどんどん弱くなっているみたいなの、あれは一体……アシャ?」
強張るを既に通り越して殺気立った顔になっていくアシャに、リディノは思わずことばを切る。
「それは、どこにある」
詰問口調に、レスファートが怯えたように振り返った。視線の先の部屋を見て取り、アシャがリディノの側を厳しい顔で通り過ぎる、まるでそこに彼女などいないかのように。手に抱えていた花が一輪、勢いに花弁を散らすのに、リディノは慌てて振り返り、部屋に入る。
リィ……リ……リィ……ィイ……ィ……ィン…。
微かに鳴り続けている『聖なる輪』(リーソン)が、まるで魔物が封じ込められている小箱ででもあるかのように、アシャはしばらくそこで立ち竦んでいた。やがて、異様に丁寧な仕草で取り上げる。こちらに向けた背中、俯いた首筋に、目には見えないチリチリした光が立ちのぼり広がっていくようだ。
「アシャ…?」
『聖なる輪』(リーソン)を取り上げていない手が腱が浮き出るほど強く激しく握りしめられた。背中に宿った鋭い気配がそのまま拳に注ぎ込まれ、何かを壊しそうに見えて、リディノはもう一度声をかける。
「アシャ? …どうしたの、ねえ」
「……ユーノが危ない」
思わず背後のレスファートを振り向きそうになった。少年がいるこの場所で、これほど不用心なことばを発する男ではなかったはずだ。
だが、混乱するリディノを振り返るアシャの顔に、なおぎょっとした。
暗く翳った紫紺の目。真っ白な顔。さっきまでの微笑は影もなく、表情も根こそぎ削ぎ落とされたかのよう、白く干涸びた口が動かなければ、骸骨にさえ見えかねない。
「ア…シャ…」
「『聖なる輪』(リーソン)は持ち主の『死』とともに鳴り始める」
淡々とした感情のない声が応じた。
「鳴っている間は、心に共鳴を起こさせ、精神を死なせるのを防いでくれる………体が保っていれば、の話だが」
「ふ…」
意味を悟ったリディノと同じく、背後でレスファートが息を呑む気配がした。アシャが体を振り返らせる、気のせいだろうか、アシャの体に黒々とした巨大な穴が開いているように感じるのは。その足下が今にも細い草木のようにくしゃくしゃと崩れそうに見えるのは。
これほど弱々しく空ろに見えたアシャを、リディノは知らない。
「鳴り終えたとき……持ち主の全ては失われる…っ」
最後のことばを言い切った瞬間、すううっ、とアシャの顔に血の気が戻った。いや、血の気ではない、そんな生易しいものではなくて、煮えたぎる憤怒の色だ。ぎゅっと『聖なる輪』(リーソン)を掴んだまま、大きく足を踏み出して、まっすぐリディノの方へやってくる。
「あ…」
迫り来る凶悪な気配にリディノは思わず身を引いた。腕から零れた花が散る、それをぎしりと踏みつぶして、アシャは目の前を急ぎ足に立ち去っていく。
「アシャ! 待ってよ、アシャ!」
レスファートが高い声で叫んで、身を翻すのを見やり、リディノはのろのろと視線を落とした。
「アシャ……兄…さ…?」
踏みにじられた花、小刻みに震える体、まるで何かに頬を強く殴られでもしたように、リディノは花を手放し、滲む涙に顔を覆った。




