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『狩人の山』(オムニド)の頂上近くに建てられた神殿は冷気に満たされている。冷えて凍え、命ある者は、そこで永らえることは叶わない環境だ。
だが、『泉の狩人』(オーミノ)達はそこを居城としていた。世界の惑乱も、人々の嘆きもここには届かない。
彼らはとっくに絶望しているのだ、自分達の存在にも、人の世の在り方にも。
「ウォーグ」
神殿の中、呼ばれて振り返った『泉の狩人』(オーミノ)の1人、ウォーグは、近づいてくるセールを認めた。栗色の艶やかな直毛を優雅な仕草で肩から払って相手を待つ。しなやかな足取りで近づいたもう1人の狩人は、表情のない白骨の顔の代わりに、声に面白そうな響きを含ませた。
「シャギオは?」
「それが見つからないのだ。どこかで餌でも探し歩いているとは思うが」
ウォーグは静かに首を振る。
「餌探しも餌探し、面白い贄を相手にしているぞ」
セールの声は楽しげに応じた。
「何?」
「まだ年若い少年じゃ。何を血迷ったか、『狩人の山』(オムニド)に踏み込んだところを、シャギオに見つかった様子、今、長が水鏡でご覧になっている。そなたに確かめよとの仰せだ」
「それは面白い」
『狩人の山』(オムニド)が聖なる場所であることは、ラズーンは元より諸国にも伝わっていると聞く。寒風吹きすさぶ峻厳な山々に、好んで踏み込もうとする者などいない。ましてや、ここは『泉の狩人』(オーミノ)支配下であり、ラズーンの『羽根』どもと言えども、迂闊に足を踏み入れない。
「少年か?」
「おお、ほんの子どもだ」
セールに連れられ、ウォーグはいそいそと、蒼白く輝く、磨き抜かれた石畳を飛ぶように、奥まった一室に向かった。
神殿の一番奥、何本もの巨大な支柱の立ち並ぶ果てに、四方を石壁で囲まれ、青水晶をはめ込んだ天井の窓からのみ光が差し込む小部屋があった。つやつやした柔らかな織の黒布で周囲の壁が覆われ、数多くの襞に夜を潜めるその部屋には、中央に腰までの高さの机があり、その真ん中を八角形に彫り込んで水を溜めてある。八角形の水盤は細やかな飾り細工で囲まれていた。
『泉の狩人』(オーミノ)の長ラフィンニは、今しも、念を凝らして、じっとその波一つたたない澄み渡った水の表面を覗き込んでおり、周囲に集まった『泉の狩人』(オーミノ)達も、それぞれ思い思いの姿勢で水鏡を見つめている。
「おお、ウォーグ、来たか」
「お呼びに」
長はウォーグが青い衣の裳裾を素早く捌いて近寄るのに顔を上げ、楽しげに続けた。
「これは、そなたのシズミィ、シャギオと見たがどうじゃ」
「はっ」
ウォーグは長ほどの遠視力はない。しばらく目を凝らしながら無言で覗き込んでいたが、やがて静かに顔を上げ、
「確かにこれは、私のシャギオめにございます」
「よく見回ってくれるものよのう、早々にあの者を見つけ出しおった。まだ子どもじゃが、『狩人の山』(オムニド)の噂を知らぬとは言えぬほどの年嵩、何に眩んで聖域に入り込んできたのやら」
「長!」
それまでじっと水面を見つめていたセールが、はっとしたように声を上げた。
「この者、『使者の輪』をしております」
「何?」
訝しく、改めてラフィンニが水鏡を覗き込むと、確かに少年の左手首には銀色の輪が光っている。
「誰か、このような子どもに、『使者の輪』を与えた者はいるか?」
「……」
問いかけに、『泉の狩人』(オーミノ)達は応えない。困惑した気配で互いの顔を見合わせるうちに、1人の狩人が歩み出た。
「恐れながら、長ラフィンニ。ひょっとして、この『使者の輪』、かのアシャ・ラズーンに与えたものではございませぬか?」
「何? アシャに…」
考え込んで、水鏡を見つめていたラフィンニが、やがてにやりと嗤った気配を白骨の面差しに漂わせた。
「読めた」
「何ごとでしょう、長」
「アシャが、あの様で死にかけても会いたがった娘は、何と言ったかな」
「……確か、ユーノ……ユーノ・セレディスと。セレドの第二皇女とのことですが」
セレドじゃと、南の方の片田舎じゃ、ラズーン統治の南端であろうか、そう言ったざわめきが『泉の狩人』(オーミノ)達の間に広がるのを軽く制し、ラフィンニは続ける。
「その第二皇女よ、この子どもは」
「え…しかし、これはまるで少年…」




