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「……それならいい」
セシ公が呟いたのに目を開ける。ぼやけている視界に、薄く笑みを浮かべたセシ公が映る。
「醒め過ぎている統率者よりは、熱い魂を押さえ切れない方が、王としては好ましい………参謀としてのやりがいもあろうというものだ」
「……どういう意味だ」
アシャはセシ公の淡々とした顔を凝視した。
(ああ、こいつも)
予感がある。
「どういう意味とは?」
「ラズーンの情報屋としての名前を知らないとは言わない。ユーノに付いて、どんな得があるのかとも尋ねない。ただ聞こう、『セシ公』としては、何を狙っている?」
「人聞きの悪い」
くくっ、とセシ公は忍び笑いをした。薄い唇が皮肉っぽく歪む。
「名高いアシャ・ラズーンはお見通しというわけですか」
「……」
名前なんぞ意味がない、そう吐き捨てたくなる。
「私は単に、あの少女が気に入ったんですよ」
楽しげな声が応じる。
「あの娘が、この争乱の世をどう生きていくのかが見たい……だが、それだけの理由では納得してもらえそうにありませんね」
アシャは視線で無言の圧力をかける。
「では、ラズーンの情報屋として言いましょう、アシャ・ラズーン」
淡く陽を透かした茶色の瞳が、促しに応じて細められる。肘を窓にかけたまま、寛いだ様子でセシ公は続けた。
「まだ噂程度の情報ですが………『運命』に降りた大公がいる」
軽く肩を竦めてみせる。
「少なくとも私ではない。今動くには時期尚早ですから」
聞きようによっては物騒な台詞をこともなく舌に載せた。
「となると、アギャン公、ジーフォ公、ミダス公のうちの誰か…」
猛々しい光を満たしているはずのアシャの瞳を苦もなく見返しながら、
「だが、問題はそんなことではない。ラズーンの四大公のうち1人が、『運命』に回ったということです。つまり、こちらの手の内をよく知っている人間が敵側に居る、ということ」
にっ、と不敵な、なのに艶かしさのある笑みが、セシ公の唇から零れた。
「軍師としては、これ以上に、己の力量を試せる機会があるとは思えませんね。それに、あの少女の下にいるなら…」
微かに瞳を伏せると、一層、恥じらった少女のような妖しさが広がる。
「滅びも敗北も、それなりに楽しめようというもの」
す、っとセシ公は体を落とし、床に片膝を突いた。
「どうか、アシャ・ラズーン。私をユーノ殿の参謀としてお加え下さい」
(やっぱり、か)
また1人、アシャにとって手強く腹立たしい相手が増える。
アシャの表情を見て取ったのだろう、上目遣いのセシ公が薄く笑む。
「まだ何か?」
「……いやがらせか」
自分がユーノにとって最低最悪の付き人風情だったということを自覚したこの状況で、何と不愉快な申し出か。
「まさか」
セシ公はふんわりと笑みを深めた。
「ユーノ殿のご無事を願えばこそ」
ユーノの無事。
(ああ、確かに)
アシャもまた、そこから始めるしかないのだろう。
溜め息を一つつく。
「俺はユーノの付き人だ」
苦い声が混じらなければいいと思いながら口にしたが、セシ公相手には無駄だったようだ。返答を予想したのだろう、笑みを消し、深々と頭を下げる聡明さがむかつく。
「主人が許可したのなら、背くわけにはいくまい」
ユーノがアシャのことを頼んでいくほどの信頼を与えたのだ、アシャが拒むことなどできない。
(ユーノ、おれは)
頭を下げたセシ公の頬に、風に吹かれた淡い金の髪が白く光を跳ねて乱れる。それを見つめながら、遠く先往くユーノの背中を想う。
(お前は一体、いつまでおれを待っていてくれるだろう…?)
アシャは胸の塊を静かに抱えながら目を閉じた。




