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(誰かに護ってもらおうとは考えないのか。そうしてずっと、一人で生きていくと決めてしまっているのか)
いつかの問いに、ユーノは迷うような瞳でアシャに尋ね返したことがあった、「誰に?」と。
(俺では駄目なのか。お前の探している相手じゃないのか。おれはお前の見ている光景の片隅にも入っていないのか)
こんなふうに、邪魔な障害物のように殴られて置き去られていくなら、大抵の男は考えるだろう、消えてしまえと言われているんだろうと。自分の行く手を遮るな、と。
(俺はお前の何なんだ? ただの旅の道連れか? イルファやレスファートよりも遠い存在か?)
キスに抵抗しなかった、と思う。それを、自分への好意ととっていたのは、アシャの独りよがり、自惚れでしかなかったのだろうか。それともあれは、挨拶や謝礼がわりであって、ユーノは努力して『礼儀』を果たしてくれていたのか。
(……そうか……ユーノから、おれにすがりついてきたことなんて…なかったな)
そればかりか、アシャが差し伸べた手さえ時に邪険に拒んで、意識がある時は決してアシャの腕に身を委ねようとはしなかった。幾度も襲った命の危機にも、アシャを呼ぶことはほとんどなく、ただ無言で耐え抜くばかりではなかったか。
(おれは、お前が身を委ねるには……価しない、ということか……?)
ユーノに仕えている、いざとなれば、主の前に我が身を晒して護ることも厭わない従者だと自負していたのは、まるっきりアシャの妄想でしかなかったのだろうか。
ならば。
(どんな奴になら……身を委ねる、ユーノ)
じりじりと身をこじ開けるこの闇の炎は、自分が足りないと思った瞬間にこそ燃え始めるのだ、と気づく。
(おれ、ではなくて、)
「そうですか」
「っ」
セシ公の声が響いて、アシャは息を呑んで瞬きした。視界が薄暗く眩んでいたのにようやく気づき、ついで、自分が部屋に居るセシ公の存在を全く無視していたのにぎょっとする、ラズーンのアシャともあろうものが。
(俺は)
「では、アシャ・ラズーン」
セシ公もセシ公で非常に稀なこと、アシャの反応よりも自分の思考に没頭していたらしい。引き続き、考え込んだ顔で陽光跳ねる外庭に視線を向けながら、
「もし、自分1人と配下5人、生き残る機会が五分五分だとしたら、それでも配下の方を護る人間でしょうか」
娘、が、人間、に変わった。
「ああ、もちろん」
アシャは苦笑した。
「いや、たとえ、自分1人と配下1人が五分五分の確率で生き残れるとしても、あいつは配下を救いに走る」
(そうだよな)
それは愚かなことだ、戦略的にも現実問題としてもやってはならないことだ。
だが、『そうしてくれる』と知るからこそ、たとえユーノ一人でも生き永らえることができるようにと、周囲は粘る、頑張る、ぎりぎりの状況をしのぐ。いざとなればユーノが駆けつけてくると『知っている』から、自分にはとても越えられないと思っていた限界を、這い上がり蹴り崩し飛び出していける。
そうして周囲は戦いを終えて、自分に向けられた誇らしげなユーノの笑みに気づいてわかるのだ、ああ自分はまた大きくなった、と。
(今ここで、命を賭けて悔いはないと確信できる)
そして、その成長を共に喜び、誇りに思ってくれ、楽しみにしてくれる、あの瞳の前で、自分もまた自分のことを、どれほど誇りに思い信頼できるか。どれほど満足し、愛せるか。
(ああ…そうか)
アシャはふいに切ないほど強く理解する。
(だから、おれは)
ユーノが欲しかった。ユーノに支配されたかった。ユーノの側で、自分の中で縮こまり竦み、満たされないまま成長を止めてしまった存在を見つけて、それを育て上げ、認めてもらい、愛したかった、自分自身で。
(あいつは……ユーノは……おれにとって、長、なんだ)
ならば、当然ではないのか。
衝撃に一瞬目を閉じる。
アシャは、いやアシャもまた、ユーノを『護るべき存在』としては見ていなかったということだ。
レアナのように、セレドの皇宮の人々のように、アシャもまた無意識に、ユーノを自分の生きる拠り所としたということだ、それを背負わされる苦痛を十二分に理解しているはずのアシャが。
最終最後では、自分が一人、戦わなくてはならない。
ユーノは、そう『知って』いたはずだ。
アシャは、ユーノの『付き人』なのだから。
決戦に出向くのは、従者ではない、主であるのは理の帰結。
(わかっていなかったのは、おれ、か)
だからこその、この、事態。
(おれ、は)
何と情けない男なのか。
「く…」
怒りに視界が眩んだ。体中が泡立ち、自分の愚かさに自らを粉々にしたくなる。
(当然だ、何もかも、当然なんだ)
セレドの世情不安はラズーンの制御力の低下が引き起こしている。
だが、その根本に座すはずのアシャは、ラズーンの統治責任を放棄し逃げている。
ラズーンに戻ることをユーノが選択し、付き従って引き戻されることをアシャが選んだのは、愛情でもなんでもない、彼女の強さに従えば、責務を果たせるとどこかで察知していたからだ。
同様、旅の空の下、いやラズーンに戻ってからさえ、ユーノに忘れ去られ置き去られることにあれほど怯えたのも、恋でも何でもない、自分一人では崩壊しつつある世界を支え切れないとわかっていたからだ。
だから。求めた。
(好きだ? 愛している? 大事に想う?)
くそくらえだ。
それは自分の安全を保障し、未来を救ってくれる身代わりだからだろう。
生まれた意味を抱え切れず、突きつけられた現実を受け止め切れず、そんな自分の弱さや脆さを認めることさえできない男が、手に入りやすくよく動いてくれそうな人形を一つ見つけた、そういうことではなかったのか。
そして、その、アシャの奥深くにある『狡さ』を、おそらくユーノは気づいていた。
(お前は逃げなかった、ものな)
理不尽な状況から、ただの一度も逃げることなく、全てを背負い切ってきたのだ。数々の裏切りを重ねられても、なお人への信頼を失わなかったのだ。
その生き様が暴いたアシャという男は、どれほどみっともなかったことだろう。
胸の底から崩れていくような虚無感。
(なのに、今もまた)
ユーノはアシャの身代わりに『狩人の山』(オムニド)に一人向かっている。
(こんなおれからも、お前はまだ逃げずに居てくれる)
ならば、アシャは。




