2
「はいっ!」「わっ」「何だ!」
『氷の双宮』を囲む内壁の周囲にたっていた小さな市の中を、ユーノはヒストを蹴立てて走り抜けた。目指す門まではもう少し、壁に沿って回り込まなくてはならない。
「この…っ!」「乱暴者っ!!」「ごめんよっ!」
怒号の中を謝る間ももどかしく馬を駆けさせる。
(あそこだ!)
だがそれでも、ユーノが門に辿り着いた時は既に、ジーフォ公らしい騎馬が入り終え、扉が閉まろうとする直前だった。
「ヒストッ!」
掛け声一声、たじろぐ間もあらばこそ、強引にその隙間に飛び込んでいく。
「何者っ…」
ぎりぎりで扉の間を擦り抜けたユーノに、はっとしたように前に居た武者が向きを変えた。短い髪は細かく縮らせてあり、その下の太い眉、いかつい口許とともに、一目見て武官とわかる。これがジーフォ公だとすれば、ラズーンの四大公というのはかなり各々違った容貌が揃うのだろう。
「火急の用事、『太皇』にお会いする!!」
「ならんっ!」
間髪いれず、相手は叫んだ。ぎらぎらと闘志に燃える焦げ茶色の瞳がさっと彼女を一瞥する。年若い顔だが、その目には場数を踏んだ自信が伺える。
「貴様のような得体の知れぬ小僧を黙って通したとあっては、ジーフォ公はアギャンの腰抜けよりも阿呆と嗤われる!」
すらりと抜き放った剣は、朝の光を猛々しく跳ね返して、ユーノの目を射た。
「ここは俺を倒して通るがいい!」「!」
(くそっ)
ユーノは歯噛みして相手を睨みつけた。
構えからしても度胸からしても、相手はおそらくかなりの武人、剣を合わせれば貴重な時間を徒に食うだけだ。かと言って、ラズーン四大公の一人を切り捨てて通るというわけにもいかない。釈明するにしても、ユーノのことを頭から不法侵入者と決めてかかっている相手に、どこまでことばが通じるか…。
と、その時、もう一つの声が届いた。
「お待ち下さい、ジーフォ公。その方は怪しい者ではありませんよ」
「うむ?」「っ」
振り向くユーノの目に、短い直毛の金髪、深緑の目を輝かせた男が映る。
「視察官ジュナ・グラティアス…」
(視察官…?)
ジーフォ公の声に、ユーノは眉をひそめる。
一瞬、何か妙な感じを受けた。だが、それは捉えようとしたとたんに消え失せ、後にはどうにも説明し難い不快感だけが残る。
「その方はユーノ・セレディス。『銀の王族』で、ラズーンの『正統後継者』候補…」
「何?」
ジーフォ公がぎょっとしたようにユーノを振り返る。
(変だ…)
だが、ユーノは再び湧き上がった違和感に気をとられた。
(だけど、一体何が?)
答えは目の前にある。なのに、どうしても掴めない。
「そのような方が『太皇』に火急の用事とあれば、引き止めるわけにはいきますまい」
「む…」
納得し切れない表情で不承不承頷いたジーフォ公から、ジュナはくるりとユーノを振り返った。
「ユーノ様、どうぞ、お早く」
「っ、ありがとう!」
我に返り、ユーノはヒストの手綱を握り直した。一声高く声をかける。
「行くぞ、ヒスト!」
待ってましたとばかりに走り出すヒストの背のユーノの頭には、既に『狩人の山』(オムニド)のことしかない。見送るジュナが執拗に見守っている気配はしたものの、懸念は置き去って、ユーノは『氷の双宮』へとヒストを駆り続けた。




