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あの夜から、昼となく夜となくセレドの皇宮を襲っていると言うのに、あの小娘は、まるで眠ることがないと言われるラズーンの『目』のように皇宮を守り、カザド兵を一人で撃退してきた。命からがら戻って来た部下は、悲鳴に嗄れた声で報告したものだ、あの剣捌きは女子どものものではない、と。
『あれは、名のある武人のもの、それも天性の才を備えた者のみが見分けられる隙を突いてくるのです! ……逃げられない……逃げられないんだ!』
それだけ訴えて事切れた部下の目は、驚きと恐怖に見開かれたままだった。
(まったく、ゼランの奴めが)
カザディノは心の中で、既にアシャにとどめを刺された男、ユーノのかつての剣の教師、実はセレドを裏切ってカザドに組していた男を鞭打った。
(もっと早く、そんな才能など潰しておけばよいものを)
いくらでも手はあっただろう。訓練を装って、剣を揮うには致命的な傷を負わせるとか、戦うことの恐怖を繰り返し刷り込むとか。
「ちっ……無能なものばかりが」
どうにもできただろう、たかが小娘一人なのだから、なのに。
(あの小娘だけは、ただ殺すだけでは飽き足らん)
カザディノはにんまりと笑み綻んだ。ユーノにかかされた恥とかけさせられた手間に苛立つ時、カザディノはユーノを捕まえたときのことを思って心を慰めて来た。
(剣で一刺しに貫くなぞは許さん)
じっくりと、全ての恨みを込めて、その死の瞬間を味あわせてやる……。
カザディノは脳裏に、ユーノの四肢を引き千切るさまを思い描いてほくそ笑んだ。
「カザディノ王」
辛抱強く、カザディノが妄想から醒めるのを待っていたらしい男がついに待ちかねたのだろう、呼びかけて来た。
「ギヌア様のご命令に従うのは、今しかないが?」
「う…あ、ああ」
我に返って、カザディノは大きく頷いた。
「セレドは無防備だ。加えて、姉のレアナは妹思いだ、今も」
「それに」
初めて、男の無表情な顔に楽しげな笑みが滲んだ。
「我らが宿敵アシャは、今、ギヌア様の手で『狩人の山』(オムニド)に引き寄せられている。動けるのはラズーンに居るユーノしかいない」
「しかし、ユーノが動くか?」
カザディノは不審気に眉を寄せた。人と人の繋がりや温かみなどを信じないカザディノにして見れば、これほど露骨に罠だとわかるような話にユーノが乗ってくるとは思えなかった。
「あの娘は乗ってくる」
男は瞳をぎらつかせた。
「そういう娘だと、ギヌア様もおっしゃっていた」
「ふむ…」
「誰だ!」
ふ、と扉の外の気配を感じ取ったのだろう、男が振り返って誰何した。もう1人が扉に走り寄りながら剣を引き抜き、開け放つと同時に相手に剣を突きつける。
「…これはけっこうなお出迎えだ」
扉の外、今しも部屋に入ろうとしていたらしい男は、上品な仕草で肩を竦めて見せた。両手を上げて、剣を突きつけている男、カザディノに向き合っている男、カザディノと順々に深緑の目を動かしていく。短く切りそろえた金髪は、カザディノの、趣味がいいとはお世辞にも言えない重苦しい部屋の中で、妙に眩く輝いた。
「ジュナ」
カザディノは吐息をついた。
「そろそろ出番だと思ったんだが」
ジュナと呼ばれた年若い男は、カザディノを見返した。
「その通りだ、ジュナ」
『運命』に体を明け渡した男が、命令口調で続けた。
「今こそ出番だ。セータの二の舞は踏むな」
「言われなくてもわかっている」
ジュナは目を細め、腰にある金の装飾的な短剣に触れた。
「相手は『氷のアシャ』だ。なまじなことで逃げられる相手ではない。殺るか、殺られるか……それをセータはわかってなかったのさ」
「そのことばに偽りがないように願いたいものだな」
「何度もユーノを仕留め損なっているお前らとは違う」
ジュナは挑戦的に言い放った。
「まあ、アシャが気づいて戻って来た時には、ユーノは既に冥界の住人となっているだろうさ」
くるりと背中を向けようとする相手に、カザディノは慌てて声をかける。
「待て!」
うんざりした顔で振り返るジュナに、カザディノはやや控えめに訴えた。
「ユーノは殺すな。殺さず、連れて来て欲しい」
「何?」
「恨みがあってな」
「ふん」
ジュナは唇の片端を上げて笑った。
「いい趣味とは思えんが、良かろう。ギヌア様が良いとおっしゃれば、死骸か、死ぬ寸前に持って来てやろう。……なぜか、ギヌア様も生きたままをお望みでな」
「……」
ギヌア相手では分が悪い。仕方なしにカザディノは頷き、部屋を出ていくジュナを見送った。