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「セシ公」
「うむ?」
ユーノの呼びかけに、椅子に座って両手の指を組み、じっと、机の上に載せられた銀色の輪を見つめていたセシ公は、ちらりとこちらへ視線を流した。紫の長衣の下は素肌、無造作にはだけた胸元に、銀の輪から反射した陽光が踊っている。白髪と見えそうなほど淡い金髪が首筋に絡みついて乱れ、嘲るような笑みを浮かべた唇に独特の妖しさがあった。
「御用だと聞きましたが」
「…」
目を動かすだけの促しに、ユーノはセシ公の前の席に腰を降ろした。再び相手の視線が落ちた銀色の輪を見て、相手の顔に目を戻す。
「これは?」
「ご存知ではないようだな」
「はい」
「これは『泉の狩人』(オーミノ)の『使者の輪』だ」
「『使者の輪』?」
改めて、机の上を見つめた。
ちょうど人の手首を飾るぐらいの大きさの輪だ。8本の細い銀の輪が組み合わさっているが、1本1本は繋がっておらず、それぞれ別々に動くようになっている。正真正銘の銀とは言えないかもしれない。だがちゃらちゃらと明るい光ではなく奥底からじっくりと光を跳ね返すような輝きは、純銀のものと見比べても見劣りはしないだろう。惜しむらくは、そのうちの4本が鉛色に変化しくすんでおり、ところどころ斑に銀色の輝きは残っているものの、意匠としては不気味な印象になってしまっている。
「かなりの細工物ですね」
ユーノは率直な感想を述べた。これだけの細さの輪を、これほど丁寧に複雑に組み合わせ、しかも1本1本の輪には継ぎ目が見当たらない。まさか金属の塊をここまで削り出したとも思えないが、巧緻を極めている。
「この4本が惜しいけれど」
「そう…私達は既に8日、失ってしまった」
「…え?」
セシ公のことばを聞き違えたかと、ユーノは瞬きした。
「この輪の1本が2日、全部で16日間、それが私達に与えられた時間だった」
セシ公がそっと変色している輪を撫でる。
「だは、そのうちの8日を失ってしまった、そういう意味だ」
きらりと光って自分を見返してくる瞳に、ユーノは真顔になった。
「どういうことですか」
「アシャは半死半生で『泉の狩人』(オーミノ)と接触した」
「それは私も聞きました」
「だがそれは、不十分な会見だったに違いない。普通なら、誇り高い一族である『泉の狩人』(オーミノ)が、そんな不手際を許すはずがない。使者は屠られ、彼らの贄となっていたはずだ……たとえ、アシャであろうとも」
ぞくり、とユーノは身を竦めた。
「だが、いくら『泉の狩人』(オーミノ)とはいえ、真の勇士に対しては敬意を払うものだ。その使者がどうしても遣いを果たせなかった場合、そして彼らが、その使者を、確かに彼らが待つに価すると認めた場合のみ、この『使者の輪』を託し、その与えた期間内にもう一度使者のやり直しをすることを命じる時がある。アシャは8本、つまり16日の時間を与えられたのだろうな。だが、それが果たせなかった時は…」
「その時は?」
「アシャを改めて屠りに来るか、信義を守るにふさわしくない相手であるとして、『泉の狩人』(オーミノ)がラズーンを見限り、『運命』につくか」
「しかし…」
ユーノは思い出して確認する。
「『泉の狩人』(オーミノ)は『太皇』には従うのでしょう? ならばなぜ『運命』に?」
「……『泉の狩人』(オーミノ)は『太皇』に従う、のだよ、ユーノ殿」
微かな苦笑がセシ公の唇に漂った。
「ラズーンに、ではない。むしろ」
世界が滅びても『太皇』さえ無事なら全く構わないと考えている連中なのだ。
「そこには『太皇』の意志はない。『太皇』が自らを殺すような決断をするならば、彼らは『太皇』を拘束するかもしれないな」
「…そんな」
それでは『泉の狩人』(オーミノ)とは一体何のためにいるのか、そう考えてユーノははっとする。
「……なるほど……泉の、狩人、か…」
『人の世』を保つためのものではない。泉の中心を守るためにのみ存在するものなのだ。世界が滅びようと『太皇』とそれを保つ仕組みさえ無事ならば、人の種は存続する。今のこの世界が壊れようとなくなろうと、人の種さえ存続すれば、新たな世界新たな仕組みが生まれ出すだろう、そう考えるものなのだ。
ラズーンの仕組みから言えば、それは至極自然なことだ。基本的には、泉を管理するものである『太皇』のみが、唯一必要な存在となる。『太皇』が再生し続けるのなら、本来、『正統後継者』は意味がない。それは元々『人の世』に関わる存在なのだ。
それなのに、ラズーンにおいても『正統後継者』が選ばれるのは、『事故』があった時の代替え品だということだろう。再生を繰り返すための、体質や他の何かの適合条件があるのかも知れない。それらに適合しそうな者を数名選び、表向きの政務を教え込み、やがて隠されている泉の管理について学ばせる。『太皇』に万が一の『事故』があった場合に備え、ある時点から『正統後継者』の体も準備されるのかも知れない。
(だから…か)
『正統後継者』であるはずのアシャがラズーンを離れることができたわけが、初めてわかった気がした。他の諸国の王族ならば、『正統後継者』が国を離れることは大変なことだ。国の存続に関わることだ。
だが、アシャがたとえ諸国で果てようとも、ラズーンには大きな影響はない。彼は『その候補』の1人にしか過ぎないからだ。
(だから…アシャは)
『正統後継者』ということばが周囲に与える印象を知っていた。国の礎となる者として敬愛を受けているという意味があることを意識していた。そして、ラズーンの『それ』が全く意味が違うことも理解していた。敬愛とはほど遠い現実と、それでも『正統後継者』と呼ぶ人々が抱く羨望をも。
ユーノの頭に、溢れるような笑顔を向けてくる人々の姿が甦る。
ラズーンへ入った時、アシャを迎えたあの熱狂。
あれは確かにアシャに向けられていたものだ、アシャの才能や美貌や人格や、つまりはアシャの存在に向けられていたものだろう。
だが、アシャはそう思っていたかどうか。
誰も知らないところで世界を安定させるために、数百年の時間を死と再生を繰り返しつつ過ごす、いわばある種の人身御供を見送る人々の安堵の声でしかなかったのではないか。




