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(私、何を、姉さまのアシャなのに、何を!!)
庭を駆け抜け、厩へと走り込む。
「ヒスト!」
愛馬はぶるるっ、と鼻息を漏らした。飛び込んできた主に驚く様子はない。その体に抱きつき、顔を伏せる。訝るように首を巡らすヒストにしがみつきながら、
「ごめん……っ…ちょっとだけ……こうしてて……でなきゃ…っ」
この心が砕けてしまう。見えない傷が抉られるように口を開いて、血が溢れ出すのを感じる。
(レアナ姉さまのアシャなんだ、あの腕は私のものじゃない、あのキスは私に与えられたものじゃない)
何度も何度も胸の中で繰り返す。その度、魂の傷は容赦なくぎりぎりと広げられて新たに血を吐いていく。止まらぬ血はどこへともわからぬ心の深みに呑み込まれ、その重さが傷を求める。重さを見ないように、耐えられない自分を考えないように目を背け、そうして裂かれた傷が血を吐き、吐かれた血が傷を増やし……そして、心はズタズタになっていく。
(どこへ行けばいい? どこへ行けば、この想いを断ち切れる? 何度繰り返せば、アシャを求めなくなる? 何度言い聞かせれば、この心は納得してくれる?)
「う…」
顔を埋めた生き物の温もりに堪え損ねた嗚咽が零れた。ひどく寒く辛かった。
(どこまでいっても、一人なんだ)
どれほど多くの人に出逢い、どれほど親しい交わりが増えようとも、この胸の隙間を埋めてくれるのが誰だか知ってしまった今は、最後の瞬間、一人でいる自分しか思い浮かばない。
(姉さま……アシャ……私はどうして……どうして……私、でしか、ないんだろう…?)
果てのない自問の海に沈みながら、しばらくヒストにしがみついていたユーノは、やがて、ゆっくりと力を抜いた。
ほう、と深い息を吐く。
「しっかり……しろよ…」
そっと自分に囁きかける。
(お前はユーノ・セレディスだろう? こんなことでだめになるような、ヤワな育ちはしてないだろう?)
きゅっ、と唇を引き締める。
(わかっていただろ? あの、セレドを出た日から。それを承知で旅を続けてきたんだろ?)
いつかレアナに返さなくてはならない腕と知りながら、心を委ねてきてしまったのだ。返す時が多少早くなっただけのことだ。遅かれ早かれ、アシャの全てはレアナに注がれる。それをわかっていながら甘えてきたのは、アシャのせいでもレアナのせいでもない。全ては自分の弱さなのだ。
「大…丈夫…だろ…?」
何でもないだろ? たとえ一人で死ぬことになっても。
「…後悔なんか……しないだろ…?」
だって。
だって、私は。
「ユーノ、だろ…」
掠れて消えそうな声を飲み込んだ。
(そうだ、私は、ユーノだから)
「ユーノ! こんなところにいたのか」
「っ!」
背後から声をかけられ、ぎくりとして振り返った。すぐに何気ないふうを装う。
「リヒャルティ…」
「体の方は大丈夫かい?」
笑いかける。
「ああ。ったく、情けねえよな」
きれいな線を描く唇を不愉快そうにねじ曲げ、リヒャルティはふて腐れた表情で見返してきた。
「『緋のリヒャルティ』が何てザマだ、って、兄貴に散々言われた。それより、ユーノ、兄貴がさっきから探してたぜ」
「セシ公が?」
ユーノはきょとんとした。
「何だろう」
「さあ…何か『泉の狩人』(オーミノ)に関したことだって言ってたけど」
「わかった」
訝しそうに首を傾げる相手に、笑顔が足りないかと、なおにっこりする。
「兄貴は今作戦室にいるぜ……けど」
リヒャルティはどこか眩げに目を細めた。
「すぐに行かなくてもいいかも知れないけど」
「でもわざわざ探してくれていたんだろう? 行ってみるよ、ありがとう!」
身を翻した瞬間、リヒャルティが小さく舌打ちしたように聞こえた。