5
「何が悪い」
カザディノは、かかか、と高らかに嗤った。その声はあまりにも唐突で、怪鳥のような叫びに聞こえた。真夜中の居城、寝床には苦しみ悶えた屍体、豪奢な衣服が煌めくのも、悪夢の飾りのようにしか見えない。
「ラズーンはもう滅びるのだ」
喜色をたたえて、カザディノはゆらゆらと立ち上がった。
「我らの天下だ、わしと『運命』のな!」
小鼻の張った脂ぎった顔に、禍々しい笑みが広がった。見えないものを追うように室内を見渡し、やがて恭しく何かを受け取り頭に押し頂く仕草、同時に部屋の闇よりどす黒く濁った何かがカザディノの体を取り巻いて、側の明かりさえ薄暗く見える。
「わ、私は…っ」
扉を開いて逃げ出したい。だがどれほど逃げてもすぐに追われるだろう。ルソンの前任者は国境まで何とか逃げたものの、そこで手足の先から少しずつ切り落とされて息絶えたと聞く。なぜ彼が逃げたのか、今ならルソンはよくわかる。きっとこうした、国の表では明らかにされない非道な振舞いに耐えかねたのだ。
床の上の少女、黒い霧で覆われたようなカザディノ、何度も何度も見比べてついに、何も考えられなくなって、ルソンは目を閉じ、激しく首を振った。
「無理です、我が君! 私はそういう男ではない、放逐なさって下さい、城下へ追い、最下層で働けと命じて下さい!」
「ルソン、お前の腕は知っておる」
「だめだ、だめだ我が君、私は医術師としてラズーンに学び、ラズーンに誓い……!」
きらっと背後で光ったものをルソンは見ることはなかった。たとえ見ても、何もできなかっただろう、飛び離れた首からでは。
どんっ、ごろごろごろ。
転がり落ちた丸いものは、どす黒い染みを吐き出しながら、高価な敷物を汚していった。
「おい」
カザディノは眉をしかめ、ルソンの背後の男達に唸る。
「この敷物は特注品だ。場所を考えて欲しいものだな」
「それは悪かった」
ルソン、いや、かつてルソンだった首のない胴体の後ろから、黒マントの男は全く悪かったと思っていないような口調で応じた。
「とにかくそれらを片付けてくれ。それから話を聞こう」
カザディノは、うっとうしそうに転がる2つの屍体に向けて丸い指を振る。その横柄な口調に腹を立てた様子もなく、男達のうちの数人がすっと二手に分かれ、寝床の上の少女と寝具、ルソンの首と胴体、汚れた敷物を片付けていった。残った2人がそれを見送り、その後、カザディノに向き直る。
「それで、どうだった?」
「静かなものだ」
ルソンの首を刎ねた男は淡々とことばを継いだ。
「人々は豊かに富み、穏やかに平和に暮らしている。丸一日、皇宮の回りをうろついたというのに、兵は平和に慣れ切っていて、我らの存在を気にも止めん」
「あの国は元々そういう国なのだ」
毒酒の入っていた水晶のグラスを弄びながら、カザディノは貪欲な微笑に唇を歪ませた。
「小国ながら国内は落ち着き、この200年というものの、ただ平和と繁栄の道を歩いて来た……わしが手を伸ばすまでは、な」
「手を伸ばしてからでも、ではないのかな?」
自負の塊のようなカザディノの話し振りを男は嘲笑った。
「あれは全て、あのくそ忌々しい小娘のせいだ」
カザディノは苦々しい口調で唸った。
「あの小娘一人に、どれほど多くの部下が殺られていることか」
「……」
男は、カザディノの罵倒に苦笑した。部下の命の心配ではないことは誰もが承知、カザディノが悔しがっているのは、たかだか17、8の『小娘』に自分の力が及ばないという事実だ。
「こちらは次々と腕利きの者を繰り出すのに、レアナどころか皇宮を襲うこともままならん。何もかもあの小娘のせいだ。わしの行く先々に、ふてぶてしい笑いを浮かべながら立ち塞がり、決して引き下がりおらん。あいつにはきっと、戦の女神の守りがあるに違いない」
「神など」
男はふっと笑みを消して口を挟んだ。
「この世に存在せぬ。この世を継ぐのは始めも終わりも、我ら『運命』のみだ」
「待て……わしを忘れてもらっては困る」
カザディノはこずるく笑った。
「『運命』が世を制圧した暁には、わしにもそれ相応の地位を与えるという約束だぞ」
「忘れてはおらん」
男はちかりと瞳を光らせた。
「しかし、そんな小娘に何年も押さえられているような男では、こちらも待遇を考えなくてはなるまい」
「わかっておる!」
カザディノはむっとして席を立った。手にした水晶のグラスを窓枠に叩きつける。カシャンッ、と鋭い音がして グラスは粉々に砕け落ちた。
割れたグラスを見つめるカザディノの脳裏には、飲まされた苦杯の数々が甦る。
ユーノが12歳の頃。初めてレアナを手に入れようと夜襲をかけた。だが、ユーノ始め皇達の抵抗めざましく、ゼランを使ってユーノを封じ、かろうじて撤退に成功した。