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ラズーン 4  作者: segakiyui
6.魔物(パルーク)
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9

「っ」

 はっとした。周囲の気配を探り、ユーノはそろそろと部屋を出る。うろうろしているのが見つかれば、怪我人が何をしているとまた見咎められるだろう。足音を忍ばせ廊下を進み、教えられていたアシャが眠る部屋の前に立つ。

(アシャ…)

 流れた血は多かっただろうか。傷は深かっただろうか。耐えていた痛みは激しかっただろうか。

(気づかなきゃいけなかったんだ)

 どこか蒼い顔、リヒャルティも言っていた、血の匂いがするようだ、と。

(今夜一晩)

 一歩扉に近寄った。

(ちょっとだけ、顔を見るだけでも)

 手を上げ、扉を叩き、声をかけようとする。が、寸前で、ユーノは手を握りしめて俯いた。

(今さら)

 唇を噛んで、少しずつ離れる。

 部屋に入ってどうしようと言うのだ。レアナが既に付き添っている。その側で、何をしようと言うのだ。

 少し離れた戸口から外へ出て、屋敷に沿って回り、アシャの部屋近くに身を寄せる。そっと覗き込んだ視界に、ベッドに寝ているアシャと、そのすぐ側に座り、アシャの片手を握り、優しい眼でアシャを見守るレアナの姿が飛び込んできた。

「…ぁは…っ…」

 ずきりと疼いた胸の痛さを笑いで紛らせる。

(何て、似合ってる、んだろ)

 それは、想像していたよりもずっと眩い光景だった。

 まるで嵌め絵の最後の一片のように、レアナは何の苦もなくアシャの側に納まり、全く違和感がなかった。白い指先が布を挟み、アシャの額に浮いた汗を拭き取る。苦しげに寄せられていたアシャの眉が、ほっとしたように緩む。

(安心、してるんだ…)

 膝の力が抜け落ちていくような気がした。

(アシャ……姉さまが居て、安心してるんだ……)

 長く一緒に旅をしてきたユーノではなく。ずっと離れていて、旅のあれこれも全く知らなかったレアナが側に居て。

 それはきっと、アシャが求める相手だから。

 ただ一人、自分が心を預ける人だから。

(私じゃ…駄目なんだ…)

 少しはアシャの近くに居たと思っていた。ラズーンの秘密を知り、正統後継者候補となり、そっくり同じではないだろうけど、アシャの抱えていた秘密や傷みや苦しみを、少しは分け合えたと思っていた。

 それでも。

 それでも。

(姉さま…)

 心の中で呟いた。

(私だって、それでも、夢見ていたことは、あるんだ)

 あなたは全く考えもしていなかっただろうけど。

 愛しい人を守ろうと思った。心を尽くし、体一杯で守り切ろうと思っていた。

 それでも、もし愛しい人が傷ついたら、自分の全てで受け止めて、その傷を包んで癒そうと。ずっと側についていて、また再び笑えるようになるまで、一緒に守り支えようと。

(私だって……私、だって)

 ただ側にいたいと。

 それだけの夢、なのだが。

「でも…」

 無意識に呟いてぎょっとする。レアナが何かに気づいたようにこちらを振り返る気配、慌ててしゃがみ込む。静かに移動して窓の下に身を伏せるとほとんど同時に、レアナが窓を開いた。

「誰か居たような…」

 不安げに響いたレアナの声を追うように、掠れた声が呼ぶ。

「レアナ…」

「はい」

 レアナはすぐに窓を閉め、離れていく。

 そしてユーノは、目を見開いて零れそうになった声を殺す。

(こんな時でも…呼んでもらえない…?)

 レアナが何を知っているのだろう。ユーノとアシャの旅を、くぐり抜けてきた危険を、辿ってきた日々の出来事を、きっと何一つも知らないし、話したところで理解さえできないはずなのだ、だって。

(姉さまは……姉さまは…)

 ずっと、何も、知らなかったじゃないか。

「…っ」

 滲む視界、しゃくりあげそうになって口を押さえて踞る。

(何も、知らなかったじゃないか!)

 どれだけユーノが苦しかったのか。寂しかったのか。辛かったのか。

 痛くて、身動きできなくて、悲しくて、それでも。

(それでも)

 どれだけ堪えて、頑張ってきたのか。

(それでも)

「……は」

 溢れ落ち零れ落ちた涙を必死に殴り拭いながら震える体を抱き締める。

(それでも)

「…は……」

 しばらく泣き続け、やがてぽろ、と落ちた最後の涙を擦ると、後は喉と胸が切なくて痛いだけで、もう涙も零れなかった。

 胸に満ちる、一つの真実。

(呼ぶのは、姉さまの名前だけ、なんだもの、なあ)

「ひ、でぇ、の」

 イルファの口ぶりをまねて、くすり、と笑う。

(側に居たいと思うのさえも、許してもらえない人間っているんだなあ)

「ふ…ぅ…」

 目を閉じ、ゆっくりと呼吸する。自分の心臓の鼓動を感じた。

(結局、一人、か)

 誰かの鼓動が重なることはない。誰かの温もりに包まれることはない。ユーノの選んだ道は、こんなにも孤独で、きつい。

(それでも)

 閉じた闇の視界に、一つ一つ甦ってくる顔があった。レスファートの泣いた顔、イルファの驚いた顔、ハイラカの頷く顔、シートスの厳しい顔、ユカルの怒った顔、そして……アシャの笑った顔。

「…ん…」

 旅は、豊かなものだった。

「……うん」

 後悔などしない。もし生まれ変わって同じことがあったとしたら、やっぱりユーノは戦い、一人で旅立つ道を選ぶだろう。

 膝を抱え、そっと顔を上げた。

 背後の部屋では寄り添う二人が静かな時を過ごしている。

(今夜一晩、ここにいよう)

 ごめんよ、アシャ。

(邪魔はしないから。何もしないから。ただ)

 もし、死神が外からやってくるのなら。

 遠くの闇をしっかりと見つめる。

(私の命にかけて、通さない)

 誓いに応じるように、深まりつつある空に一筋、星が翔けた。


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