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これだけの兵士を恐慌に陥れ、むざむざ死に追いやったものが、この上に居る。そして、そこには、誰よりも大切なアシャと、最愛の姉、それにユーノの無茶に付き合ってくれたリヒャルティ達が居るのだ。
(待ってて)
ゆっくりと速度が上がっていく。転がる屍体は上に行くほど数が減る。跨ぎ越えることも、飛び越えることも少なくなり、やがて始めと同じぐらいの速さになる。
(待ってて……私が行くまで無事でいて!)
角を曲がり、なおも上へ駆け上がろうとしたユーノは、突然立ち止まって目を見開いた。
「なんだ……あれは」
左の壁にぽっかりと開いた穴から、橙がかった銀の鱗に覆われた、ぬめぬめと光る巨大な縄状のものが、階段を横切り、そのまま右側の壁の穴に吸い込まれている。下部には赤黒い毛のようなものが生え、しかもびしゃびしゃとした悪臭漂う液体に濡れて、階段を湿らせている。
「魔物……」
ユーノはそろそろと上を見上げた。静寂と沈黙、これほどの惨状を作り出した元凶が、目の前に穏やかに横たわっているのが不気味だ。自分の動きで相手が動くかどうかを注意しながら、そっと近づいて左の、続いて右の穴を覗き込んだ。
(……凄い…)
ひゅうお…、と冷たい湿った風が、穴の底から吹き上げてくる。ちょうど魔物の幅ほどの間を開けて、少し奥にもう一枚の壁があり、手前の壁と奥の壁をところどころ太い柱のようなものが支え合い繋ぎ合っている。魔物の体は、左の壁の奥底にまで長々と伸びており、明かりもない暗がりに鈍く光る鱗が微かに見えるのみ、体の端どころか、壁の底も見えない。
よくよく見ると、手前の壁の穴は魔物が押し通って開けたものではなく、元々木の扉のようなものがあった様子だ。開かれた扉は魔物が通る衝撃に砕かれたのだろう、ねじ曲がった金属と木屑が周囲に散らばっている。
「ひょっとして……飼って、たのか…?」
地下牢で聞いた異様な物音が甦った。ダイン要城を外から見たときの光景も思い出す。とぐろを巻く巨大な怪物に似て、天へと伸び上がる塔はその頭とも見えなかったか。
城の中に魔物が通る間隙があり、その中でこの巨大なものが生息していたのかも知れない。そして、時に主の命によって、地下の暗い寝床から這い昇り、侵入者や不適切な主を片付ける役割をしていたのかも知れない。
(それを兵士達は全く知らなかったのか?)
だがもし、多少でも知っていたのなら、これほどうろたえて逃げることはないだろう。魔物の存在は、主を含む上位層にだけに知られていたのかも知れない。
冷たい風がふいと生臭い匂いを吹き上げてきた。熱をこもらせた不快な息吹、ざわめくように揺れる毛に顔をしかめ、ユーノはそっと体を引く。
何はともあれ、魔物は今動きを止めている。仕掛けるなら今だろう。それにアシャ達の安否も気になる。
足を忍ばせて、なお先を急ぐ。曲がりくねった階段を一段上がるごとに、周囲を取り巻くように潜む熱と、吐き気のする悪臭が強くなる。さっき見た体が取り囲む罠に飛び込んでいっている、そんな気持ちが強くなる。ユーノの不安を煽るように、灯火は揺らめく光で無数の影を散らせていく。
どれほど階段を上がっただろう。
「……シャ・ラズーンもいるとはちょうどよい」
「!」
唐突に低い嗤いを含んだ声が響いて、ユーノは身を潜めた。
「ここで葬ってくれるわ!」
「許せねえ!」
リヒャルティの叫びが空を裂く。飛びかかった気配、だがたいした攻撃もできずに跳ね飛ばされたのだろう、だんっ、と激しい音が続いて呻き声に変わる。
「く、そおっ!」「リヒャルティ!」「危ないっ!」
バルカとギャテイの呼び交す声に、ユーノは身を翻した。足音が響くのも構わず、目一杯速く駆け下り、さっきの魔物の体の所まで戻ってくる。魔物はまだ動いていない、いやずるずると蠢き移動を始めているようだ。この体が相手のどこに繋がっているのかわからないが、想像したように頭があの部屋にあるのなら、体を階段に巻きつけたような状態になっているのだろう。ここで押さえれば、すぐさま移動はできないのではないか。
魔物の体の横に立って向き合い、息を整え剣を逆手に持つ。少し眼を閉じ、柄を左手で握り、右の掌に押し当てる。肘を張り、目を見開く。
「ふっ…!」
気合いとともに、ユーノの剣は深々と魔物に突き立った。




