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「うおおお……!!!」
「!」
息を切らせて塔の中ほどまで階段を駆け上がったユーノは、悲鳴じみた唸り声を上げて駆け下りてくる一団に出くわした。15、6人もいるだろうか、血走った目にはとても正気とは思われない色をたたえている。手にした抜き身の剣が、階段の各所に据えられた灯火の明かりを反射して輝き、ユーノを見つけると次々と高く振り上げられる。
だがしかし、それはユーノを迎え撃つというような意図的なものではなかった。遁走し、とにかく逃げ延びようとしている最中、目の前に現れた障害物を排除する、或いは背後に迫る何かから逃れ、抱え込んでしまった恐怖を紛らわそうとして戦いを求めるような、衝動的な振舞いに見えた。
「うぉう!」「うわあああっ!」
悲鳴とも気合いともつかぬ声を絞り出して、先頭がユーノに斬り掛かる。狭い階段内、避けることもままならない、本能的に抜き合わせた剣で応戦する。だが狂気を孕んでやたらに振り回す剣と、磨き抜いたユーノの剣では腕が違い過ぎる。たちまち数人が血煙に倒れ、階段を朱に染めて転がり落ちていく。
「く…っ」
それでも、男達の無謀な突進はおさまらない。そればかりか、仲間の血で一層興奮を掻き立てられたように、ユーノの構えも気にせず飛び込んでくる。
(どうなってるんだ)
ユーノは剣を振り上げる間も惜しく、脚を振り回し、立て続けに敵を蹴落とした。蹴られて呻いた男達は、次には階段を転げ落ちながら絶叫し、壁や段に叩きつけられる鈍い音とともに動かなくなる。曲がりくねった階段の角角で、転げ落ち切り倒された兵士達が次々と積み重なるのを顧みることもなく、それでもなかなか上に昇れなかったユーノが、さすがに肩で息をしながら、ようやく最後の3人と対峙したのはかなり後だった。
「老師から…聞いては……いた」
相手の1人が喘ぎつつユーノに体を向け直す。
「星の剣士……そう呼ばれた娘だと」
ユーノはぎゅ、と柄を握り直す。ぎらぎらと輝く瞳で凝視してくる、その姿には追い込まれた気焦りはない。遅まきながら、ようやく目の前の敵に意識が戻ってきたようだ。
「野戦部隊に、女として唯一認められた娘だと」
ぐぐぐっ、と左側に立った男が力を込めた。剣を構える太い腕がみるみる膨れ上がり、熱を孕んで震える。
「…この世の名残……お手合わせ願おうっ」
右側の男が吐き捨てる。今の今まで虚ろで追い込まれていた表情が、覇気を取り戻し、ユーノを睨みつける。
「何が……あった」
「…っ」
思わず問いかけたユーノの声にそれぞれの眼が揺れた。
「上で、何が」
「知る必要はない」
始めの1人が唸る。
「貴様はここを通さぬ」
「……」
ユーノは訝った。
3人の瞳は決死の色に染まっている。この場所が最後、ここより後には何もない、そういう崖っぷちの顔だ。だがしかし、背後には上への階段があり、主人の私室があり、駆け下りてきた兵士が全てというわけではなかろう、まだ味方も控えているはずなのだ。
(なのになぜ、この3人は、その安心を振り捨てている?)
じりじりと間合いを詰めてくる3人、それを等分に見比べていたユーノは、階段上を振り仰いだ。
(しかも、有利な位置を捨ててくる)
降りる必要はないはずだ、ユーノの数段後ろに小さな踊り場を見ていたとしても。振り降ろす刃を受け止める方が不利なのは、剣士ならば知っているはず、今ここで勝機が少ないのはユーノのはずだ、なのになぜ。
(静かだ)
先ほどまでの騒ぎが嘘のように、階上は静まり返っている、なぜ。
「い、ああっ!」
ユーノの仕草を隙だと勘違いしたのか、1人がふいに飛びかかってきた。ユーノの喉の辺りを狙う。数瞬おいて、残った2人が左肩と右腹に剣を突き出してくる。
「はっ」「なっ…!」「うあっ!」
短い気合いがユーノの唇を衝いた。身を沈めて喉を狙った剣を避け、剣で跳ねて方向を変え、左肩に伸びてきた剣を弾かせる。右腹へ突き出された剣先を柄で受け止め、すぐさま返して浮いた刃を上へ叩き上げる。
正面の男が突っ込んできたのに驚いた左の男が、剣を引いたまま受け止めきれずに激突する。右側の男の剣が光を跳ねて空に舞う、その隙に、ユーノは晒されて無防備な顎を蹴り上げた。
「ぐあっ!」「うわあっ」
左の2人がもつれ合って階段を落ちる。右の1人が背後の壁に背中を打ち付け、それでも必死に起き上がってくるのに突進する。蹴りを予想して腕を交差した相手、だが狙ったのはもっと下、かろうじて階段に踏みとどまっていた足首を目一杯蹴り込む。
「ぎゃああっ」
体を丸めて攻撃に備えていたのだから当然だが、足が崩れれば後は落下するしかなかった。どごっどごっと重い音をたてて転がった体が、ようやく立ち上がろうとした下の2人に命中する。悲鳴が上がり、再びの落下、それを追うように跳ね飛ばされた剣が落ちるのを横目に、ユーノは顔を振り上げた。
(なぜだ)
そんなに容易い相手ではなかったはずだ、本来なら。闘志が満ちていて、気力が萎えていなければ、ユーノごときの蹴りで揺らぐはずもなかっただろう。必死に保ってはいたものの、男達は怯えていた。ユーノと戦わなくては逃げられないから戦ったのだ、口ではああ言ったものの、倒すつもりがどこまであったか。
「……」
手にした剣は血に塗れている。右手がぬめっているのを、手近の屍体の衣服で拭おうとした時、掠れた声が屍体から漏れた。
「……ぱ…る……く」
「……ぱるく…?」
屍体だとばかり思っていたが、まだ息があったらしい。変形し、砕かれた鼻から血を流している男の潰れた眼を覗き込む。だが、残った僅かな時間は費えた。ひゅう、と息を吸い込んだ音だけを残して、男は命を終える。
「……魔物、か…?」
奔流をくぐり抜けた高揚感が不安にとって変わった。男のマントで剣と手を拭う。衣服がほとんど傷ついていない。剣を抜いた形跡さえない。仮にも城を守る兵士が、何かに怯え、ただただ遁走してきたのだ。
「……上に、居るのか」
ごくり、と唾を呑み込み、剣を提げたまま、再び階段を昇り出した。