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ダイン要城の手前で途切れているはずの地下道は、近くにあった隠し戸から容易に先を辿ることができた。
もっとも常人では、そこから先の『正しい道』を辿ることは困難だったに違いない。これまでより数段複雑な枝道が交差しており、たとえ、リヒャルティが正確にセシ公の地図を覚え込んでいたとしても、長い間踏まれなかった道は、幾つかが崩れ落ち、幾つかが他の道と繋がり、とてもではないがダイン要城へ抜けられるようには思えなかった。
「く…そおっ!」
リヒャルティなぞ一度ならずも叫んでいる。
「道なら道らしくしろよな!!」
これが、一度『金羽根』を率いれば『羽根』の長にその人ありと謳われる、『緋のリヒャルティ』の二つ名があるのだから、人というのはわからない。
年月を隔てたために造られてしまった迷路を、リヒャルティ一行が何とか抜けられたのは、アシャという類稀な視察官が居たからに他ならない。
どれほど長く地下道を彷徨っていたのか、アシャはやがて一本の枝道で立ち止まった。
「アシャ?」
「そこか!」
訝しげなリヒャルティ、意気込んだ声のイルファをアシャは振り返った。額に滲んだ汗を押さえて、笑みを浮かべる。微かに上がる息を知られまいと声を張る。
「着いたようだ」
「は? 着いた?」
リヒャルティがアシャの側を通り抜け、立ち止まった周囲を不審そうに見回した。出口らしい出口はない、扉も、抜け出られそうな凹みもない。
「どっから出るんだ? ここから掘るのか、道具もなしで? 何か扉でも隠されてるってんなら別だがよ!」
アシャに喧嘩を売るように振り返り、平手でドン、と苛立った様子で突き当たりの壁を殴る。と、ミシッ、とどこかで何か、薄い板が圧力に耐えかねて剥がれていくような音が響いた。
「へ?」
驚いて振り返るリヒャルティの背後で壁が緩やかに向こう側に倒れていく。
「わ、わ…」
ドンッ!!
リヒャルティが差し伸べた手で無論止まることもなく、薄っぺらな板に土がこびりついたような造りの壁が倒れて土埃が舞った。直後、開いた明るい空間の向こうで、周囲の建物を震わせて、慌ただしい足音と人の声が入り乱れ始める。
「あらら、リヒャルティ」
「完全にみっかりましたね」
バルカとギャティがからかい口調で声をかける。密かに侵入するはずだった計画がぶちこわしだが、それにうろたえた風はなく、むしろ早々に一戦やりあえることを楽しんでいる声だ。
「リヒャルティ?」
だが、リヒャルティの耳には2人の声が入っていないようだった。彼の眼は今、部屋の隅のベッドに腰かけていた娘に引きつけられている。
殺風景な城に不似合いな娘だった。質素な目の荒い長衣を纏っているものの、見え隠れする肌は淡い光を放つような白さ、滑らかな腕から視線を這わせれば、肩から背中へと雪崩落ちる艶やかな栗色の髪が目に止まる。柔らかく波打った髪が包んでいるのは、卵形の白い面立ち、見張った瞳は極上の宝石を思わせる深みのある赤茶色、微かに開いた唇は震えながらもその輝きを失わず、どんな果実にもその膨らみの妙を例えられまい。
「あなた達は……誰ですか?」
一瞬戸惑ったようだが、娘は静かにしっとりと問いかけた。ぽかんと口を開いて見つめているバルカ、ギャティ、何だ何だと近寄ってきたものの、同じく茫然と突っ立ってしまうイルファ、リヒャルティがごくりと唾を呑み、慌てて問いに答えようとするが、さすがの彼も自分の無作法さに気持ちが向いたのか、見る見る薄赤くなってもぐもぐと口を動かすだけ、ことばは喉に詰まったらしい。
離れていた年月の間、その美貌はより大人びた優しさと甘さを増したようだ。
(無理もない)
自分だって初めてレアナを見た時は、似たような反応をユーノにからかわれた。
「レアナ様」
苦笑しながら、アシャは突っ立った仲間の横を擦り抜け、声をかけながら歩み寄った。
「ま…あ……アシャ! アシャですね!」
レアナはあどけないと形容したほうがいいような邪気のない笑みを浮かべて立ち上がり、進み出たアシャに飛びついてきた。細い腕が素直に自分を抱き締め、乱れる柔らかな髪から花の香りがする。細身には豊かな胸ごと抱きとめ、ふと、レアナの手首に赤い痣がついているのを見咎める。
「これは」
「ああ……少しの間縛られていたのです。でも、大丈夫ですわ」
手首を見遣って眉を潜め、けれどすぐにレアナは笑み返した。
「それよりも」
また不安げな顔になる。移り変わる表情の豊かさに相変わらず魅せられる。
「あなた達の方が危ないのではありませんか? ここはガデロと言う国だと聞いていますが……」
はっとしたように顔を強張らせる。
「ユーノは? アシャ、あなたがここに居るということは、あの子も居るのですか? どうしているのです?」
「あいつ、いや、ユーノなら大丈夫ですよ!」
ようやく我に返ったらしいイルファが、陽気な声を張り上げる。
「あなたは…」
訝しそうに見るレアナに、満面喜色をたたえ、
「俺、いや私はレクスファの剣士、イルファ。どうぞお見知りおきを!」
「イルファ、ですね」
レアナは繰り返して、ほ、と小さく息を吐き、アシャから離れた。にっこり笑いながらことばを継ぐ。
「私はセレド皇国、第一皇女、レアナ・セレディスです。ユーナ・セレディスは愛しい妹です」
「あ、お、俺は!」
バルカが咳き込みながら声を上げた。
「セシ公配下、『金羽根』のバルカで…」
「ぼくは『金羽根』のギャティ…」
同時に名乗りを上げたギャティの声が被る。
「バルカにギャティ…」
一人ずつ眩げに見やるレアナ、でろりと崩れる双子の顔に、
「俺はリヒャルティ、それはいいが、お姫さん」
割って入って、リヒャルティはくい、と部屋の扉の向こうを顎でしゃくった。
「詳しいことは後にしようぜ、うるさくなりそうだ」
「気づいてたのか」
アシャは笑いながら、レアナを扉から庇う。
「あたぼうよ。いくら別嬪だからって、ここで抜けてちゃ、『緋のリヒャルティ』の名が泣くぜ」
「レアナ姫は俺に任せとけ!」
イルファが叫ぶ。
同時に扉がきしんで叩きつけられるように開かれた。




