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地下道の闇は不思議な騒がしさで満ちていた。静けさが生み出す幻聴なのか、遠くの方からざわめきが押し寄せて来ては、どこへともなく引いていく。とっぷりと密度濃い闇の中、ユーノとリヒャルティの手灯は、如何にも頼りなく心細い光を浮かび上がらせていた。
「こっちだ」
リヒャルティの声は発したと同時に、光があることでより深くなった前後の闇に吸い込まれ、反響もなく消えて行く。
「土壁だね」
「ああ。遥か太古に造られた道らしいぜ。要所要所は石壁になっているらしいけど、間は土のまんま。だから、その間を縫って、枝道が山ほどあるんだってさ。オレは、兄貴の地図を覚えてるからわかるけど、まあ、普通の人間にゃ無理…」
「しっ」
ユーノに遮られ、リヒャルティは口を噤んだ。そのままじっとユーノを見守る。が、周囲に満ちているのは、沈黙がもたらす、件の不思議な気配だけだ。
「何だ?」
「うん…」
ユーノは少し眉をひそめた。
「人の足音がした気がしたんだけど」
「足音?」
イルファが訝しげに、通り抜けてきた狭苦しい土のアーチの向こうを覗き見る。バルカが前方を透かし見ながら、
「俺には聞こえなかったが…」
「ぼくも聞いていない………足音ですか、ユーノ」
ギャティが確認する。
「うん…」
繰り返し尋ねられると、ユーノも確信がなくなってくる。気配を殺すようなヒタヒタとした足音が、さっきは確かに背後から迫ってくるように思えたのに。
「大丈夫だよ、ユーノ。さっきも言った通り、この地下道においそれと入ってくる物好きもいないさ。並の人間が入れば、1日で迷って5日で餓死する。もっとも『道』について、独特な感覚を持っている人間……視察官なら別だが」
リヒャルティが明るく言い放って歩き出す。
「その視察官に…」
はぐれまいと付いていきながら、ユーノは皮肉な口調になった。
「裏切り者がいるとしたら…?」
「な…、」
「!」
言いかけたリヒャルティが途中でことばを切った。同時にバルカ、ギャティがリヒャルティと同じ方向を振り返る。気の早いイルファが剣の鯉口を切る。
「どうやら……お前の耳は確からしいぜ、ユーノ」
リヒャルティが凄んだ声で言いながら、手灯を地面に置いた。手を伸ばしたギャティが手灯を持ち上げる。と、続けた一動作で背後の気配へと投げつけた。
「は、あっ!!」
間髪入れず、剣を抜いたリヒャルティとバルカが襲いかかる。どれほど手練の者と言えど、狭い地下道の中、突然のめくらましに続く攻撃に、無事には済むまいと思われた次の瞬間、投げた手灯の明かりに光の筋が闇を走った。掃いた光の源は、凝った造りの金の柄。
(視察官!)
ユーノは息を呑み、剣を握る。
ジャキッ! ガッ! ビッ…ン!!
「くっ」
剣と剣の触れ合う音に、ユーノも剣を抜き放とうとした瞬間、聞き覚えのある声が闇の中から響いた。
「『金羽根』は短気だと聞いていたが、噂通りだな」
「あ…」
(まさか)
呟いたことばが声にならない。誰よりも聞きたかった、だがまさか、こんな所で聞けるとは思っていなかった人の声……ユーノの胸に切ない苦しさが砕ける。
「、アシャ・ラズーン!」
ギャティが頓狂な声を上げ、壁に突き立った短剣の刃に吊られた手灯と、それに照らされた女性と見まごうほどの優しげな顔立ちを見比べた。どれほど優男に見えても、あの瞬間に、しかもこの狭い隧道の中で、投げつけられた手灯を短剣で壁に射止め、リヒャルティの剣を躱して手首を握って自由を奪い、バルカの剣をも叩き落とすという荒技は、ちょっとやそっと名を知られた程度の武人にできることではない。加えて、アシャの手には灯一つなく、それはこちらのちらつく光一つでリヒャルティ達の動きを読み取ったことを雄弁に語っていた。
「アシャ…どうしてここに…」
掠れた声が響いた。誰のものかと思えば、それが他ならぬ自分の唇から漏れたものだと知って、ユーノは少なからず動揺する。
(しっかりしろ。知られてしまうぞ、私がどんな気持ちか)
心の中で叱咤して、アシャを見つめる。
そうだ、知られてしまう、今どれほどの安堵が体を包んでいるのかを。
アシャはユーノの驚いた顔に、にやりと不敵な笑みを返してきた。
「いや、『狩人の山』(オムニド)から帰ると、お前がガデロへ向かったということだろう? レアナ救出に腕がいるかと思って駆けつけてきたんだ」
(レアナ、救出に…)
ずきりとユーノの胸の奥が疼いた。
(そうか……レアナ姉さまの、ため、か)




