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「ダイン要城はラズーン領とガデロ領の境近くになる」
瀟洒な造りに不似合いな重厚な雰囲気の部屋で、セシ公は机の上に地図を広げた。さらさらと音をたてて流れ落ちた髪を、優しげな仕草でかきあげる。
部屋の壁には所狭しと各方面の地図がかかっていた。それらの地図にはどれも様々な色や形の徴がつけられ、幾本もの線が引かれている。中央に置かれた机は人の背を越えそうな地図でも楽に広げ切ることができ、書き込みを予想してか途切れることない一枚石で作られている。部屋の隅にはユーノが見たことのない、だが、明らかに武具の一種と思われるものが立てかけられ、積み上げてある。何かの工夫を凝らそうとしたのだろう、縄や金具を取りつけたり組み合わせたりしてあるものもある。
この部屋はおそらくは作戦会議室として使われているのだ、平和が続いているこの今も。セシ公が自分で卑下するように、単なる情報屋ではないのは明らか、実戦込みの戦略家であることをまざまざと感じさせる。
「3重の掘に3重の壁が侵入者を阻み」
セシ公は説明しながら、女のように白く細い指先で、ダイン要城の回りを3度、円を描くようになぞった。
「兵は各守りの壁に最低20名、門には同様に最低15名、つまりは守りの数だけでも100名以上」
ごっくん、とイルファが大きな音をたてて唾を呑んだ。
「城内には選りすぐりの兵士が巡士として控え、その数35名以上、城主の私室は中央に配置され、そこに辿り着くためには複雑に組まれた回廊を渡っていかなくてはならない。私室の前には控え室があり、ここにも守り20名余…」
「はぁ」
リヒャルテイが改めて溜め息をついた。
「いつ見てもすげえな」
「その通り」
「最低限の兵の数だけでも、倒すべき相手は150名以上の城…」
「囚われているとすりゃあ、たぶん、私室だな」
「おそらくは」
「どうする、ユーノ」
セシ公とリヒャルティは同時にユーノを見つめた。
「正面から行っても死ぬだけだぜ」
「セシ公」
ユーノは食い入るようにダイン要城を見ながら、低く問いかけた。
「地下道はどうなっています?」
「やる気かよ!」
リヒャルティが大人しげな見かけに合わぬ台詞を吐く。
「無茶な野郎……おっと、お前は女だっけな」
ふ、と微かな笑みを浮かべて、今度は真正面からセシ公を見据える。
「セシ公、地下道の入り口はどこに開いています?」
「それがさ、ダイン要代の外なんだよな」
口惜しそうに呟くリヒャルティを振り向かず、
「違う」
「え?」
ぴしりと遮ったユーノは、一言半句ゆるがせにすまいとするようにことばを続ける。
「ダイン要城のどこに、地下道の入り口はあります?」
「おい、ユーノ、無理言うな」
イルファが、お前が焦るのは珍しいな、と割って入る。
「いくら四大公の一人だからって、そうそう、こっちの都合で、地下道の入り口をあっちやったりこっちやったりできるかよ」
「……どうです?」
が、ユーノは動じることもなく、セシ公を凝視している。セシ公も黙ってユーノを見つめ返す。しばらくの沈黙の後、唐突にセシ公が問いかけた。
「どうしてだ?」
「あなたは、甘い人間じゃなさそうだ」
ユーノは少し目を伏せ、力を抜いた。直感は告げている、相手のことばの裏にあるものを。だがそれをあからさまにしてくれるかどうかは別問題だ。本心を知りたいのなら、こちらが警戒に竦み、身を構えていては得られるものも得られなくなる。
「ラズーンの情報屋だと言われた。事の真偽はもちろん、些細な噂も、世界の一大事も、まずは私の耳に入る、と」
ゆっくりとセシ公の口調をまねる。
「それに、私を一目で『星の剣士』(ニスフェル)と見抜かれた………そのあなたが、今ラズーンが迎えようとしている動乱をご存知ないはずはない。なのに、あなたが動かれないのは、今『どちら』に動くにしても、勝算がないからだ」
きらりと光った目がユーノを捉えた。猛禽類を思わせる酷薄な光だ。
「世界の存亡に関してさえ、そこまで慎重なあなたが、私の、今回の無謀とも言えるダイン要城攻めを、ああも易々と認め、協力して下さるということは……少なからぬ勝算がこちらにあるはず……」
に、とユーノは唇を笑ませた。
「違いましたか?」
「……」
再びの沈黙が降りた。
外には陽が満ち、窓にもたれているリヒャルティの金の巻き毛を輝かせ、部屋に光を飛び散らせている。部屋の中では年若い2人の剣士が、己の目を信じて相手を牽制し合っている。
「……姉君は捕まっている」
先に口を開いたのはセシ公の方だった。
「一刻の時も惜しいだろうに、よくそこまで落ち着けたものだ」
「惜しいからこそ」
ユーノは一瞬歯を食いしばり、静かに口を開いた。
「万に一つの可能性も捨てたくない」
噛み切るような激しさで吐く。
ほうっ、とセシ公が溜め息をつき、微かに首を振った。その口許に楽しげな笑みが広がるのを、ユーノは見逃しはしなかった。
「私の負けのようだな。たいしたお方だ」
にっこりと鮮やかに笑って見せる。
「それだけの胆力があるのなら、事は成功するだろう。実は、地下道はダイン要城の外に開いているのが最後の口なのだが、その先がないこともないのだ」
「へえ?」
リヒャルティが体を起こした。
「オレも初耳だぜ、兄貴」
「だろうな」
びっくりした弟の声に、セシ公は冷ややかに応じた。
「お前のようなバカに教えて、要らぬ騒ぎを起こす気はなかったからな」
「ひでえの、それが実の弟に対するやり方か?」
ふて腐れるリヒャルティにはとりあわず、
「ずっと使っていなかったので、今も使えるかどうかはっきりしていないが、地下道の最後の入り口近くに隠し戸があって、そこからダイン要城の中へ入ることができるのだ」
「どこまで?」
「うまくいけば、城主の私室まで」
ほっと息を吐くユーノに、セシ公は付け加えた。
「私室から城主が脱出するために作られた地下道のこと、外から入るのは用意ではないはずだ。もっとも…」
誰を思い出したのか、懐かしげな笑みを浮かべる。
「特異な方向感覚を持つ視察官なら別だが」
(けれど、アシャはいない)
ユーノは唇を噛んだ。
(どっちにしても、結局は一人でやらなきゃならないことだ)
気持ちの拠り所を求めて、無言で剣の柄に指を触れた。




