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ダイン要城は黒々とした夜にその身を潜ませている。
人の気配はしない。
灯が一つだけ微かに、奥まった一室にともっているのが、妙に眩くユーノの目を射た。
(姉さまはあそこに居る)
ごくり、とユーノは唾を呑み込んだ。滑らせた手に慣れた剣の手触り、吹き抜けた風は近くの沼沢地の生臭さを含んで、体に重い。
(よし!)
ユーノはそっと、隠れていた茂みから走り出した。掘に渡した橋に見張りの姿はない。イルファ達が起こした騒ぎに引き寄せられているのだ。
影が移り進むように橋を渡り切ったユーノは、ひた、と城門横の小さな潜り戸の近くに身を寄せた。そろそろと片手をずらせていきながら力を加える。ぎぃっ…と微かなきしみ音に、体中の神経が張りつめる。
敵はまだ気づいていない。
僅かに開いた隙間に静かに体を押し入れた。気配を殺して、城門奥の広場を見回す。
隅に篝火が赤々と燃え上がっている、その側にも人影はない。
にっと笑って奥へ向かって走り出そうとしたユーノは、ふいに視界の端に過ったものに体を硬直させた。
篝火のちらつく光の中、それは、まるで人形のように、壁に突き立てられた鉄棒から吊り下げられている。俯いた横顔は、赤っぽい光の中でもそれとわかるほど蒼白い。
(誰…?)
そろそろと覗き込んだユーノの目に、見慣れた柔らかそうな栗色の髪が映る。そして、それに囲まれた優しい顔立ちは…。
「姉さま!」
体中の血がどこかの虚空に吸い込まれる。視界が暗くなる。よろめく足を踏みしめて、ユーノはその人影に近寄った。震える手、触れた体の冷たさに頭の中心が空白になる。
「ど…うして……姉さま……私が……来る前に……?」
呟くことばが遠くの闇に谺する。
「姉さま…」
答えないのは、死の酷さに口を噤んだため…。
「姉さま!」
返ってくるのは、ユーノの悲鳴だけ。
「姉さまーっ!!」
絶叫してしがみつくユーノの手に、ぬめりが伝い落ちる。
(ね・え・さ・まーっ!!)
「あ…う!」
びくんと体を震わせて、ユーノは目を開けた。溜まっていた熱いものが目元を再び滲ませて零れ落ちる。
「夢…か…」
呟いて、のろのろと目元を擦った。
外から差し込む陽はかなり高くなったものだろう、くっきりとした輪郭を持つ影を、部屋の隅々に刻みつけている。
「は…ぁ…」
深い息を吐いて、ユーノは手の甲を額に当てた。冷や汗でべったりと濡れそぼっているのは額だけではなかった。緊張で強張っている体も、ぐっしょりと重い汗に包まれている。
しばらくじっと目を閉じ、胸の鼓動がおさまるのを待っていたユーノは、やがて静かに目を開けた。
(冗談じゃない)
体を起こし、両手で顔を覆い、粘りつく汗を拭い、髪を後ろへかきあげる。
(そんなことにさせるもんか)
ぎりっ、と奥歯が鳴った。
「ユーノ!」
いきなり、激しい音を立てて扉が開かれた。そちらへ顔を振り向けると、イルファが不審そうな顔で突っ立っている。
「どうした? 何か呻き声が聞こえたぞ」
「あ…あ、ごめん」
噛み締めた顎を無理に開け、強いてにこりと笑ってみせる。
「ちょっと嫌な夢を見たから」
「それならいいが。セシ公が呼んでるぜ、出かけてもいいかって」
「わかった」
上掛けをはね除けた。どす黒く濁る想いを振り切るように、首を振って立ち上がる。
「行くよ」
握りしめた剣がいやに冷たく固かった。




