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「これはこれは…」
淡い緑がかった透明感のある石を使った館の私室で、濃い紫の長衣に上着を羽織っただけの軽装で出迎えたセシ公は、待っていたユーノ達を認めると微かに笑った。まだ年若い、『銀羽根』のシャイラとそれほども離れていないだろう年格好、端正な顔立ち、銀色に近い金の長髪、右目の上に垂らした髪の奥から艶やかな茶色の瞳が笑うと、明らかに男性なのにどこか艶めいた、独特の妖しさが漂う。
「騒がしいと思ったら、こういうことか」
微笑を深めて椅子に腰掛け、肘掛けに右肘をついて顎を支える。どこか冷ややかに弟に声をかける。
「ずいぶんと派手な遊び方をしたらしいな、リヒャルティ」
遠回しに、お前が止められなかったのかと咎めているような口調でもある。
「見かけと全然違うんだぜ、兄貴、このユーノっての」
くい、と顎でユーノを指し示し、リヒャルティはふて腐れた表情で唸った。
「もう少しで殺られるところだったんだ」
決してを手を抜いてたわけじゃないって。
肩を竦めてリヒャルティは目で語る。
「申し訳ありません、セシ公」
ユーノは熱くなる頬で深々と頭を下げた。
もちろん、今夜のことはどう考えたってユーノが不躾で失礼だ。リヒャルティの備えを責められる謂れは全くない。むしろ、突然の侵入者に対して一歩も引かずにすぐに応戦できた、『金羽根』をこそ褒めるべきだ。リヒャルティの糾弾が続くようなら、とにかく悪いのは自分なのだと繰り返し訴えようと考える。
「こんな夜中に突然お訪ねして。急を要する事だったので、『金羽根』の方に理解って頂く暇がなかったんです」
「構わないよ。どうせ、リヒャルティの方が先に手を出したんだろう」
セシ公はちらりとリヒャルティを眺めた。
「だが、それを腕尽くで黙らせたとなると、なかなかの遣い手だな」
声は軽いが瞳は笑っていない。だが、空気を読まない男がここに一人居た。
「ま、そりゃな」
イルファが自慢げに、にかりと歯を見せる。
「何せ、アシャ直々に剣を習ってた奴だしな。野戦部隊にいたこともあるし」
「え?」「野戦部隊?」
異口同音に問いかけるような顔でセシ公とリヒャルティが自分を見るのに、ユーノは思わずイルファを窘めた。
「イルファ、それは」
「いいじゃないか。これから手を貸してもらわなきゃならないんだ。それに遅かれ早かれわかることだろ」
なぜ俺に文句を言われるんだ?
そういう顔でイルファが瞬きする。
「それは…そうだけど」
「ふうん、アシャに、な…。それに野戦部隊……」
セシ公は目を細めた。
「そういえば、一人他所者で名を上げた人間の話を聞いたことがある。確か、『星の剣士』(ニスフェル)…」
「っ」
ラズーンへ入ってから、野戦部隊と同行していたと聞いても、その名前をユーノを結びつける者はいなかったのに、セシ公は易々と見破った。
「『星の剣士』(ニスフェル)?!」
リヒャルティが素っ頓狂な声を上げる。
「『星の剣士』(ニスフェル)って、あの、『星の剣士』(ニスフェル)?! 本当かよ!」
「えっ、あ、うん」
相手の興奮に戸惑いながら、ユーノはおずおずと頷く。
「ちぇーっ! オレがかなうわけねえ、勝てるわけねえじゃねえかあっ、『星の剣士』(ニスフェル)相手じゃ!」
リヒャルティはきりきりしながら癖のある金髪をかきむしる。
「まあ、そう嘆くな、リヒャルティ。それより」
セシ公は薄ら笑いを浮かべて、半裸姿の弟を促した。
「さっさと着替えてこい。そこで覗いている女どもがうるさくてかなわん」
「ん?」
「きゃあっ」
きょとんとしたリヒャルティが振り返ると、戸口のあたりにこっそりと集まっていたらしい女官達が、真っ赤になって慌てて走り去っていく。
「真夜中だ、あんまり刺激的な格好をするな」
「じゃあ、昼ならいいのか?」
と、わかっているのかわかっていないのか、リヒャルティは滑らかな背中を反らせて髪をかきあげ、戸口を見やる。セシ公が軽く溜め息を重ねる。
「それに、女性の前だぞ、少しは慎め」
「女? もう逃げたろ? どこに残ってる?」
きょろきょろ周囲を見回し、セシ公の視線を追ってユーノに辿り着く。
「へ? おい……まさかっ」
引き攣った顔になったせいで、美少年が一気に間抜けに見える。ユーノは仕方なしに苦笑いを返した。
「いやだってそんなカッコ」
「まさかとは何だ。わかったら早く行け」
ぴしりとセシ公が遮って命じる。
「あ、あ、うん、あの、えーと、すまん、な?」
慌て気味にユーノに向かって片手を上げ、急いで部屋を出るリヒャルティを見送ったセシ公は、小さく吐息をつくとさらさらと髪を揺らせて振り返った。
「どうも無作法な奴ですまない、ユーナ・セレディス」
「!」
またどきりとして目を見張ると、相手は薄く微笑んで続ける。
「本名を? そういう顔だな?」
ユーノの驚きを楽しむように、くすくすと笑う。
「私は別名、ラズーンの情報屋とも呼ばれている。事の真偽はもちろん、些細な噂も世界の一大事も、ラズーンまで届く情報はまず私の耳に入る……だが」
す、っと、刷毛ではいたようにセシ公の表情が変わった。長衣の肩に乱れた髪を軽く払い、隠されがちの右目でユーノを射る。
「さすがの私も、今夜の訪問の理由はわからない。アシャほどの男が直接手に掛け育て上げ、かの野戦部隊のシートスが、他所者にも関わらず額帯を贈ることを許した人間が、『金羽根』に連絡を取ることもなく、こんな夜半に分領地の境を越える、その理由が。……話してもらえるのだろうね?」
それまでの、どちらかというとなよやかに見えた気配が一変した。容赦のない、隙のない、鋭く尖った牙を向ける獣の顔、穏やかな口調だけにぞくりとする。
ユーノは思わず背筋を正して向き合い、しっかりと頷いた。
「はい、是非お聴き下さい」




