4
「つっ!」
キン、と鋭い音をたてて跳ね上げられた剣が頬を掠め、思わず片目をつぶる。
(冗談じゃない、ほんとに殺られそうだ)
強く舌打ちして、改めて剣を構え直しながら叫ぶ。
「聞けよ、リヒャルティ!」
「先にその口を閉じてやるか!」
「く、そっ」
身を引いて距離を取り、瞬時小さく息を吐く。少々荒っぽいが、この際仕方がない。感覚を研ぐ、意識を沈める、呼吸を調整する。緩やかに剣を動かす、円を描くように、腕と手で空間を幾つもの塊に区切る、すぐにそれを崩してかき回し、滑らかに並び替えていく。アシャ直伝の視察官の剣法だ。
(相手の動きの規則性を読み取る……無意識に撒き散らされる防御の動きと攻撃に移る動きの違いを見分ける……そして、その全てを遮る…)
カッ……カン! カン!
「んっ?!」
今までかなりきわどくユーノの懐に突っ込めていた剣が、突然ことごとく受け止められ始めてリヒャルティがぎくりとした顔になった。
(次に、相手の空間を読む……どこまでをどのように支配したがっているのか……どこから手放してもいいと考えているのか……そこに何が隠されているのか…)
アシャの声がユーノの耳元で響いている。攻撃を受け止めながら、囁かれる声に従ってリヒャルティの剣を追う目が、次第次第にある一点に吸いつけられていく。
(見えるはずだ……防御でも……攻撃でも……なぜか絶対に支配されない空間がある……道筋と言ってもいい)
脳裏で甦る、鮮やかなアシャの笑顔と、翻るしなやかな指先、細身の腕が信じられない角度から一気に競り上がってくる衝撃、それはまるで目の前まで浸している闇の中から突然飛び出す蝶のよう、驚きに目を見張った瞬間に視界を覆われる攻撃、見惚れたとたん全てが終わっている。
そうだ、視察官の剣は全ての空間を満たすように構築されている。だが、普通の剣は、その本人には見えない死角が必ずある。目の前に迫る敵に立ち向かおうとして剣を抜き放った瞬間に地面から突き上げられる槍のように。ここからの攻撃はあり得ない、そう自分で密かに決めつけている盲点、それが『限界』というものなのだ。
今ユーノはリヒャルティの剣の『限界』を見つけ出そうとしている。
(見えた!)
閃く短剣の軌跡、その無数に重なる攻撃の中に、木の葉一枚ほどの微かな空間がぽかりと開いている。
「そこだ!」
「えっっ」
はっとしたリヒャルティが、それでも咄嗟に剣を持ち直した時には遅かった。剣から吸いつけられていくように馬の背から離れたユーノが飛びかかり、見えた僅かな隙を貫いて相手の首筋に刃を突き立てようとする。
「く!」
リヒャルティもただ者ではなかった。振り放せないと見るや、体を捻って自ら馬から滑り落ち、迫った剣を置き去ろうとする。
だが、ユーノの剣はリヒャルティの首から離れなかった。狙いすませたように泥の中に転げ落ちたリヒャルティを追い、そのまま泥を跳ね上げつつ転がって逃げようとするのを一瞬で封じる。さすがにぎょっとしたのだろう、残りの4人が、イルファへの剣を凍てつかせて振り返る。
「う」
泥を離れ、乾いた地面に仰向けになったリヒャルティが、顔を歪めてユーノを見上げる。首には長剣、腹には短剣を突きつけられて、逃れようがないと観念したのだろう、青ざめた顔で、それでも瞳の殺気だけは消そうとせず、吐き捨てる。
「殺れよ。オレは未来永劫、てめえらに属する気はねえからな」
「ふう」
ユーノは息を吐いた。きょとんとした相手に笑いかける。
「やっと話を聞いてくれる気になったね?」
「は?」
リヒャルティがぽかんと口を開ける。
「いい腕だけど、言わせてもらえるなら短気すぎる。『金羽根』の長だと言ったね? 私はセレドのユーノ、セシ公の所へ連れていってもらえないかな。ミダス公の手紙を持っているんだ」
「…じゃ……お前……」
「頼むよ、リヒャルティ」
できるだけ穏やかに頼んでみる。と、見る見る相手が真っ赤になった。
「お前…お前なあっ!」
しまった、これはもう一戦か、と緊張したユーノは、続いたことばに慌てた。
「剣を突きつけたまま、そういう頼み事すんなっ!!」
「え、あ、ごめんっ!」
とりあえずまともに話ができそうならば、確かに剣は不要だろう。急いで狙いを逸らせると、ユーノの体を乱暴に押しやって、リヒャルティはけほけほと咳き込んだ。
「ごめん、そういうつもりはなかったんだ」
「何が、そういう、つもりはなかった、だっ」
咳き込みながら首と肩を回し、泥塗れになった衣に舌打ちして、くるりと脱ぎ捨ててしまう。下は腰布一枚の半裸、泥で汚れているからそれほど目立たないものの、夜闇に冴えた色で浮かび上がる裸身を恥じた様子もない。あちこちを適当に拭った衣を馬の背中に乗せたかと思うと、喉に手をあててじろりとユーノをねめつけた。
「ったく、どういう剣法使いやがる。暗殺剣法か? 万に一つも逃すつもりなかったな? 物騒な奴だ」
襲いかかってきたのはそっちだろう、とさすがにこれは突っ込めない。事実、アシャから教え込まれたのは敵を壊滅させるつもりの剣なのだから。そして、ユーノに必要なのは、まさに万に一つも敵を逃がさない剣、そうでなければ、とっくの昔に彼女自身が消されてしまっているのだから。
(でもそれは)
きっと『物騒』で恐ろしい剣なのだろう、平和な世界からすれば。
「誰に習ったんだ? なんであんな剣を使ってる」
「……基本は、視察官の剣だけど…」
「視察官?」
聞きとがめてリヒャルティが振り返る。訝しげに潜めた眉、煌めく瞳が改めて不審を満たす。
「お前……一体、何者だ?」




