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ユーノの帰還を喜んだのは、レスファートやイルファだけではなかった。リディノもまた、ユーノの無事な姿を見るや否や、薄緑の澄んだ瞳から零れる涙を拭おうともせず、ユーノにしがみついてきた。
「…………」
今は夜半。
片手をレスファートに預けながら、ユーノはもう片方の手で、そっと頬を撫でる。リディノがしがみついてきた時に触れた濡れた頬や、金の巻き毛の感触が、未だにくすぐったく甘ったるく、肌に残っているような気がする。
(私には、あんなことはできないな)
微かな苦笑を浮かべて考える。
肩を震わせて泣く。零れる涙を拭きもせずに誰かにしがみつく。
それらの仕草は確かに少女に与えられた特権なのだろうが、ユーノにはずっと許されなかった。
肩を震わせて泣いている間に、セアラやレアナ、ミアナ皇妃を守らなければならなかった。しがみつける腕を探して振り返れば、そこにはいつも誰もいなかった。涙を流す間に剣を覚えなくてはならなかった。
それはユーノにとって、当たり前のことだった。
その日々を悔いる気持ちはさらさらない。そうしなければ、ユーノは今ここで、生きてなどいなかった。
(けど…)
リディノのように、素直に自分の気持ちを晒す少女、それも同い年の少女に出くわすと、無性に自分が哀しくなる時がある。
(きっと)
きっと、ずっと、こうして生きていくしかないのだろう。
自分を守ってくれる腕は、一生求めてはいけないのだろう。
誰かに縋れるなんて、考えてはいけないのだろう。
(すっと、一人だ)
その想いは、ユーノの心の奥に、決して開くことのないその場所にいつも、淡い色の苦い澱を作る。
(だから、いっそ)
『正統後継者』として、ラズーンを継いだ方が良いのかも知れない。
「……」
くうくうと、柔らかな寝息を立てて眠っているレスファートを見つめながら、ユーノは『太皇』のことばを思い返す。
「どういうことですか?」
緊張した声で、たじろぐことなく、『太皇』を見つめてユーノは尋ねる。
たとえ、どれほど『太皇』が老人に見えようとも、200年間も『一人の人間』が生きていられるとは思えない。だが、今、『太皇』が口にしたことばは、今ここに居るこの老人が、『200年間』『太皇』としてラズーンを治めてきたように聞こえた。
「聞いた通りじゃよ」
老人は淡々とことばを継いだ。
「わしは、200年前、この世を治める『太皇』となった」
静かな声だ。
「もうお前は既に、父母からではなく、この世に産まれる者がいることを知っている」
「はい」
ユーノは警戒しながら頷いた。
『氷の双宮』の地下にある、幾つもの透明な筒の中に浮いていた、様々な生き物のことを思い出す。それは大きな衝撃だった。だが、予めユーノに施された『洗礼』が、その衝撃を多少は和らげていてくれた。
「あの中に、色の違う筒があったのを覚えているはずだ」
「ええ…、……っ!」
再び頷いて、ユーノはぎくりと体を震わせた。
次に『太皇』が言わんとすることがわかった。
まさかそんな。
その思いとともに、ユーノの理解は『太皇』にもすぐに通じたらしく、相手はどこか物憂げに頷き返し、一言一言区切るように続けた。
「そうだ。『太皇』の勤めは、祭りから祭りまで。すなわち、200年を、己の肉体を新しく生み出しながら治めていくのだよ。体が老いさらばえれば、それまでの記憶を記録し、己の体から細胞を採って再生装置にかける。次の新しい体ができあがった時に、わしは水槽に身を横たえ、眠りにつき………ほんの一瞬後に、新しい体を持って目覚めるのじゃ」……
(新しい体と…古い記憶と…)
ユーノはことばもなく、『太皇』のことばを聞いていた。
自分の体を見捨てるというのはどんな気持ちだろう。新しい体が用意されていて、自分は死なないのだとわかっていても、その体が『確かに』自分なのかという不安は、常につきまとうに違いない。
200年は決して短い年月ではない。親しい者が次々と死んでいく中、『太皇』だけは己を再生し続けて生きていかねばならない。
それは何と孤独な時の旅だろう。
(1人、時の谷間を歩き続けるのと、アシャとレアナ姉さまの側に、2人の幸せを見ながら居続けるのと、どっちが辛いだろう?)
そう思って、くすりとユーノは笑う。
いつか、アシャの笑顔も、レアナの細く白い二の腕がアシャにかかることも、笑いあう2人にも、胸の痛みを感じなくなる時が来るのだろうか。ただ黙って、2人を守り続けながら、何気なく天空を見上げて微笑できる日が来るのだろうか。




