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「レス!」
静まり返っていたミダス公の花苑に、イルファのどら声が響く。
「どこにいる?! レス!」
浅黄の膝下までのチュニックから太い脚を放り出し、幅色の茶色の革ベルトを締めた堂々たる体躯、溢れかえるように咲いているラフレスの花の中に少年のプラチナブロンドの輝きが見えないかときょろきょろ見回しながら歩いていく。
午後の陽射しは温かだった。ラフレスやライクの薫りが辺りに満ちるのを助けるように、花々に万遍なく光を注いでいる。
「ん? ……あそこか」
花弁の波の中に、一瞬、湖に光が跳ねるような輝きを見つけて、イルファはそちらへ大股に歩み寄った。ラフレスの花が所作の荒さに引っ張られ弾かれて、はらはらと花びらを散らす。おかまいなしに散った花弁を踏みしだき蹴散らして、花の中で膝を抱え込んで踞っているレスファートの側へ近づく。
「ここにいたのか。返事ぐらいしろ」
「…」
少年はちらりと、イルファの巨体をアクアマリンの目で射抜き、再び考えに没頭するように前方を凝視して身を沈ませた。
「おい、レス」
やれやれ。
溜め息まじりにしゃがみ込み、イルファはレスファートの頭に手を載せる。数回、頭ごと揺さぶるように手荒く撫でた。
「何をまた、しょぼくれている」
「……ユーノ、本当に帰ってくる?」
ようよう小さな細い声が応じた。は、と笑いかけたイルファに、
「笑いごとじゃないの。シンケンなんだ」
きつい口調で訴える。
「なら、真剣に答えるかな」
顎をごしごしと擦り、イルファは安心させるように笑って見せた。
「アシャが言ったろ? 何があろうと、ユーノは、一度はここへ帰ってくるって」
「その後は?」
「は?」
打てば響くようにレスファートの問いが返って来て、イルファは瞬いた。まじまじと、真っ白のチュニックに薄紅の帯という、儚げで綺麗な姿の相手の隣にどっこらせ、と腰を降ろした。
「なあレス、その後って」
「だから、その後は?」
レスファートは一途な調子で繰り返した。
「ユーノは一度はここに帰ってくる。でも、その後は? ……ユーノ、ぼく達と一緒に、国に……帰ってくれる?」
語尾が微かに震えた。
イルファは顔を引き締めた。レスファートが体に溢れようとする不安に耐えようとしているのに気づいたのだ。
「……どうしてそう思うんだ、レス」
ゆっくりと低い声で問いかける。
「確かにあいつは、ラズーンに招かれてやってきた。たぶん、『太皇』に謁見して…何かを伝えるか伝えられるか…ま、そんなとこだろう。けれど、それで仕事は終わりだ。やることさえ済めば戻るに決まってるじゃないか。仕事が終わったのに、その後、どうしてユーノがここに留まらなきゃならない?」
肩を竦めてみせる。
「あいつには守るべき家族が居て、大事な祖国がある。ここに留まらなきゃならない理由なんて、どこにもないだろ?」
「……うん…」
レスファートは不承不承頷いた。が、すぐに、
「でも…変なんだ」
「何が」
「ユーノが変なんだ…」
頼りない口調で繰り返す。
「なんか…迷ってるみたい……帰ろうか、どうしようか、って」
「おい、レス!」
思わずイルファを眉を寄せた。
「お前、また、ユーノに心を近づけてるな! あれほど、アシャが、今はユーノに近づくなって言って」
「だって!」
イルファの大声に負けず劣らず、レスファートはきつい声を張り上げた。
「心配だったんだもん!」
「俺達も心配だぞ、だが」
「それに、止めようがないんだもん!」
高い声がイルファのことばをぶった切る。真正面からこちらを見返す瞳が、薄い色なだけに固く冷たくぎらぎらと光を反射する。
「どうしてもユーノに引っ張られてく! どうしても、何か、すごく、奥の方で!」
「レス…」
イルファはぽかんと口を開け、やがて深く溜め息をついて首を振った。
もし、レスファートがもう少し年上ならば、100年、いや1000年に一度の恋ということになるのだろうか。自分の名前を捧げるほどの相手なのだから、そう言えなくもないのだが、レスファートの場合は母親の姿も重ねているから始末が悪い。人生の中で最も大きな意味を持つ二人の女性が、ユーノというたった一人に集約されてしまっているのだから、レスファートが拘るのも無理はないとも言える。
(そのうち、厄介なことにならなきゃいいが)
さすがのイルファも悩ましい。
他の娘ならば、彼とてそれほど心配しない。
たとえば、リディノであるならば、いつかはレスファートも成長する。男として育っていくにつれ、体も変わり欲情も芽生える。自分が何を求めているのか、何が本当に欲しいのかに気づくまで、放っておいてもそれほどの害はない。
あるいは、レスファートがレクスファの王子、つまり人の心象に過敏なほどに感応力が強い少年でなければ、ユーノであっても問題がなかったかも知れない。
だが、相手がユーノ、加えてレスファートが感応力に長けているだけに心配だ。
ユーノは何と言っても、宮殿の中でふんわりと育ってきたレスファートとは生い立ちからして違う。強靭な精神力はどんなに追い詰められても屈することを知らず、気性の激しさは事の渦中に飛び込んでこそ本分となる。
ユーノだからこそ耐え抜けている試練の数々を、もしレスファートがそのまま感応するようなことがあれば、少年の精神の方が引き裂かれかねない。
そんな危険性など重々承知しているだろうに、レスファートはユーノに盲目的な想いを寄せており、引く気配さえないのが二重に困ったことだ。
かと言って、今レスファートをどうやってユーノから引き離すかというと、妙案もなく。
 




