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アシャ、17歳。
「反乱?」
「うむ」
『氷の双宮』で、『太皇』は額の辺りを微かに曇らせて頷いた。
「『黒の流れ(デーヤ)』流域、ガデロで付近の村々を荒し回り、ラズーンへも攻め上ろうと狙っている一隊がおる。視察官が出ているが、どうもおさまりがつかん」
アシャは軽く立ち上がって、『太皇』の示す地図を覗き込んだ。
『狩人の山』(オムニド)より発し、ジーフォ公とセシ公の分領地の境を成し、ガデロの端を掠めて海ヘと下って行く『黒の流れ(デーヤ)』のガデロ流域に、真紅の点がちりばめられている。
「一つの点が一つの拠点だ」
「本拠は?」
「おそらくは、この点だろうと思われるが」
『太皇』の枯れ木を思わせる指先が、ガデロとプームの国境近くの点を指した。
「守りは堅く、はっきりとはわかっておらん」
「そう…」
垂れかかってきた金髪を掻きあげ、アシャは薄く笑った。悪戯っぽく『太皇』を上目遣いに見つめて問いかける。
「視察官以外に誰が出てるの?」
「野戦部隊の一部、それに隊長のシートス・ツェイトスが出ている」
「それだけ出てるのなら十分だ」
アシャは体を起こして、問うような視線を投げ掛けてくる『太皇』に笑みを返した。
「5日以内でおさめてきます」
アシャが、かの有名な野戦部隊の若き長、シートス・ツェイトスに会ったのは、次の日のことだった。
疲労し切っている兵の中にあって、なおきびきびと動き、アシャがラズーンよりの使者と知っても、きつい目の光を毫も和らげようとしない。
だが、馬上のアシャを見上げてきた相手の額帯の下の瞳は、アシャの、どちらかというと女性的と表現される美貌を認めたのだろう、ほんの僅かに細められた。
こんなところへ、宮廷育ちの子どもが何をしに来たのか。
伝わってきた不信と侮蔑、少しでも地位を望む者なら、アシャ相手にそんな感情を見せることはないだろう。
(なるほど)
さすがに野戦部隊の荒くれを率いるだけはある。
「あなたが隊長?」
アシャは、淡い苦笑を浮かべて馬上のまま見下ろす。あからさまな挑発、だがそれもシートスには届かない。
「はい、シートス・ツェイトスと申します」
慇懃で冷ややかな応答、礼は失さないが、敬意の欠片もない。
「ラズーンよりの使者とお聞きしましたが、我ら野戦部隊に何をお望みですかな?」
それでも乱戦なのだろう、こんな偉丈夫がアシャのような小僧相手に喧嘩を売ってきている。
「鎮圧の様子を聞きたい」
アシャは、足音をたてずに馬から滑り降り、流れた金髪を払った。体重を消し去った動きに、シートスが少し眉を上げる。気を利かせたのだろう、野戦部隊の1人が、馬を天幕の外れに連れていって休ませてくれる。
「報告はしているはず…」
言いかけたシートスを振り仰ぐ。
「そして」
微笑む。たったそれだけのやり取りで、ことばを制されてむっとしたのだろう、シートスが不愉快そうに顔をしかめるのに、くすくす笑って続ける。
「今日から4日以内でおさめられる算段が欲しい」
「っ、」
「こちらへどうぞ」
アシャの天幕が用意されたらしい。はしこそうな少年が案内してくれるのに、ありがとう、と声を返して歩き始めると、背後で獣のような唸りが聞こえた。
「…ガキが…」
その夜。
アシャは与えられた小さな天幕の中で、旅装も解かずに戦略図を見つめていた。
風化しやすい紙ではなく、皮紙に描かれたその図をどれほど細かく検討しようが、従来の戦法を使う限り反乱を鎮圧することはできないだろう。
敷き詰めた毛皮に体を横たえて、アシャは目を細める。
小さな机に置かれた灯皿の光が、ちらちらと星のように張られた幕のそこかしこで金色の粒を遊ばせている。
ふ、と灯火の炎がふいに揺れ、アシャは頭を巡らせて入り口を見やった。
垂れ幕を掻き分け、呼びつけられたことが腹立たしいといった表情をあからさまに見せながら入ってくるシートスに薄く微笑む。揺らめく光の中でも、それを見つけたのだろう、敗戦の色濃い戦場でのうのうと寝そべっているアシャに、シートスはなお不快そうな縦じわをくっきりと眉間に刻んだ。
(いい男だな)
アシャはにやにや笑いながら体を起こし、ようやく肩に止めていたマントを外し始めた。好悪がはっきりしているのは好ましい。それを抱きながらも、食ってかからずに一応は話を聞こうとする対応はより評価できる。
(これならやれそうだ)
「御用だと聞きましたが」
どんな『御用』だかは知らないがな。
胸の内で続いただろうことばが想像できる険しい表情、不服そうな口調を隠しもしない。
それも、アシャには慣れたものだ。彼の外見と与えられた仕事に対する落差、綺麗なだけの婦人達を慰めるお飾り人形が、こんな難しい仕事に一体何の口出しをしようというのか、という軽蔑と嘲笑。
(俺もかなり人が悪い)
瞳の裏でくすくす笑う。
外見で決められる空しい評価、これだけ繰り返されれば、人のことばに信頼など置かない。本質を見極められる方法の1つや2つは工夫する。如何にも無能そうに振舞って、どこでひっくり返すかを楽しみにするような捩じくれた心も育とうというものだ。
もちろん、今回引き受けたのは決して楽な任務ではない。並の人間なら生死をかけた戦いになる。
だが、アシャにとっては、違う。
事は簡単で明瞭で単純だ、それをやろうとする発想と能力さえあれば。
(だが、あまりのんびりもしていられない)
名にし負う野戦部隊の猛者達に疲労の色が濃い。アシャのような新参をはねつける視線さえ少ない。一度怒らせれば一都をも灰燼に帰すという平原竜達の鱗の輝きがくすみ、鈍っている。
いやむしろ、野戦部隊だからこそ、まだここを持ちこたえている、と言っていい。一般の兵隊の集団ならとっくに瓦解し、軍の規律どころか、集団機能の維持さえならずに遁走しているところだ。
(だが、ラズーン守護のための野戦部隊が、ガデロに引きつけられたままというのは、まずい)
ラズーンの『正統後継者』としても、軍師としても、早急に片付け、終息させておくべき問題だった。
「シートス」
「はい」
「この戦いで、こっちが勝つのはどれぐらいの確率だと思う?」
外したマントを無造作に放り投げ、なお寛いだ格好で座りながら問いかける。目の前、戸口で仁王立ちしたシートスは近寄ろうともしない。じろり、と光らせた目がふざけるな、と言い返している。
「正直に言ってみてくれ」
反論を諦めたのだろう、わずかに視線を伏せ、シートスは抑えた声で唸る。
「……おそらく、3割強か、と」
「俺もそう思う」