第60話:やってきた覆面調査員(後編)
《覆面調査員の話:後半》)
プロの覆面調査員ポールネットはボロン冒険者ギルドに調査にやってきた。
受付係りの対応を調査するため、あえて意地悪な一般客を演じることにする。
「お待たせいたしました。あら初めての方ですか?」
だが受付の少女に声をかけられて、ポールネットの作戦は予想外の方向へむかう。
「ようこそボロン冒険者ギルドへ! 本日はどんなご用件ですか?」
何故なら受付の少女は、“まるで聖女”のような笑顔で……いや“本当の聖女のような純粋無垢な笑顔で”声をかけてくれたのだ。
「えっ? えっ? は、はい……実は飼っている猫が行方不明になってしまいました」
こんな眩しく純粋な少女の笑顔は、今まで見たことがない。あまりの想定外のことに、ポールネットは頭の中が真っ白に。
事前に用意していた、意地悪な質問はどこかに飛んでしまう。代わりに口に出てきたのは、素直で何の変哲もない依頼だった。
「なんと猫ちゃんが行方不明ですか? それは大変でしたわね……それなら私どもにお任せください! 必ず猫ちゃんを見つけ出してみせます。あっ、その前に、こちらの申し込み用紙に記入してください」
「あっ、はい、分かりました。……それではお願いします……」
ポールネットは言われるがまま依頼を申し込み。ほぼ放心状態。
その後も職員の対能力を調査するどころか、何もせずに列から離れてしまう。
「……ん? はっ⁉ 私はいったい何を⁉ そ、そうか……あの受付の少女があまりにも神対応すぎて、時間が飛んでいたのか、私は⁉」
少し時間が経ちポールネットは我に返る。周りを見回しギルド内の“異様な状況”に気がつく。
「そ、そうか……そういうことか。あの受付の少女が凄すぎて、先ほどの大行列もあっという間に対処していた、のか⁉」
自分勝手でわがままな冒険者たちに対して、少女はすべて神対応。そのため誰もがゴネることなく処理されために、ギルド内は円滑に回っていたのだ。
「な、何ということだ……それによく見てみると、隣の少年も凄まじい対処力だ……少女と同じくらいのスピードで、仕事を回しているぞ……」
もう一人の受付係りは、信じられないことにまだ十歳くらいの銀髪の少年。だが荒くれの冒険者たちを丁寧に、しかも正確に対処していたのだ。
「信じられない……あれほどの人材が二人も、こんな下町のギルドにいたとは……ん? しかもよく見てみると、このギルド……カウンターや掲示板の配置、それに対する動線が完璧な理想形じゃないか⁉」
次にポールネットが驚いたのは、店内の間取りについて。これほど完璧なギルド配置は今まで見たことがない。
まるで“人の動きや思考”を先読みしたかのような配置なのだ。
「これは経営に関わるものの仕業か⁉ 資料によると確か経営者は“マリー”という銀髪の少女……つまり……いた、彼女か、そうなのか⁉」
カウンターの奥に、一人の銀髪の少女がいた。状況的に彼女が間違いなくボロン冒険者ギルドの経営者マリーだろう。
「あの若い少女がこの完璧な間取りを⁉ そして、あの有能な受付係りを見抜き雇い、教育していたのか⁉」
銀髪の少女は“何やらお茶菓子のようなもの”を隠れて食べている。
普通のギルドでは繁忙時間、オーナーはお茶菓子など口にしない。だが彼女も普通の経営者ではないのであろう。
おそらくはアレも何やら経営的に理由があるに違いない。
覆面調査のプロであるポールネットにはそう確信があった。
「こ、このボロン冒険者ギルドは……どういう場所なのだ⁉ 私の採点能力の範囲を超えているぞ⁉ ……ん? なんだ、この香ばしい香りは?」
だがポールネットへの驚愕が終わらなかった。どこからともなく香ばしいソースの香りが流れてきたのだ。
これはいったい……。
「……失礼します、お客さま。よかったら飲食コーナーで軽食でもいかがですか?」
「えっ? ひっ⁉」
気がつくとポールネットの背後に、黒髪に青年が立っていた。まったく気配がなく出現したため、ポールネットは思わず情けない悲鳴を上げてしまう。
「け、軽食⁉ あの扉の向こうに飲食コーナーがあるんですか⁉」
更に驚愕した青年の言葉だった。
何故ならボロン冒険者ギルドに飲食コーナーがあったとは、資料には書かれていなかったのだ。
つい数日前に書かれたばかりの資料だから、その事実は間違いないはずなのに。いったいどういうことなのだ?
「ご、ごくり……え、ええ、ちょうどお腹も空いていたので、ありがたいです」
疑問は尽きない。
だが流れてくる香ばしい香りの誘惑に、ポールネットは抗うことはできなった。食欲の本能が理性に勝ったのだ。
「ではご案内します」
黒髪の青年の案内されるまま、ギルドの扉を開けて移動。ボロン酒場を書かれた場所へと足を踏み入れる。
「「「いらっしゃいませ!」」」
きっちりと教育された給仕スタッフが、元気な声が出迎えてくれる。飲食店の覆面調査も行うポールネットの目から見ても見事な接客だ。
「……いらっしゃい」
少し遅れて、調理場から不愛想な男性の声がある。コックコートを着ていることから、あの男性が料理人なのだろう。
こんなに食欲をそそる料理を作っているのは、いったいどんな料理人なのだろうか?
ポールネットはチラりと顔を確認してみる。
「ん? え? そ、そ、そんな馬鹿な……あ、あの人は、“あのカンダー=キッチェル”⁉ あの伝説的な料理人……どうして、こんなところに⁉」
料理人の顔を確認して、ポールネットは腰が抜けそうになる。何故なら男はただの料理人ではなかったのだ。
“食聖カンダー=キッチェル”……大陸でも三人しかいない、五つ星シェフであり、二年前に突然引退した伝説のシェフだったのだ。
プライベートでは料理通でもあるポールネット。自身もカンダーの料理を味わうために、何度も足を運んだことがある。
だからこそカンダーの顔を見間違えるはずはない。
「“あのカンダー=キッチェル”がこんな下町に戻ってきただと……だが果たして下町の庶民には高すぎて……ん? ば、馬鹿な⁉ “本日のランチが980ペリカ”……だと⁉ あの一皿数万ペリカは当たり前のカンダー=キッチェルの料理が、たったワンコインで食べられるだと⁉」
席に座ってから覆面調査員ポールネットの思考能力は停止しまう。
放心状態のまま本日のランチを注文。
その後、運ばれてきたランチの美味さとコストパフォーマンスの高さに驚き、衝撃を受け更に放心状態の連続。
そして何より我を忘れさせたのは料理の味。
“食聖”と呼ばれていたカンダー=キッチェルの料理の味は、価格は安いが以前と同じ……いた更に以前よりも増した創造力と味だったのだ。
そのためプロのポールネットは冷静な調査などできなかったのだ。
――――それから少し時間が経つ。
「うぅ……ここは? ああ、そうか。ボロン冒険者ギルドの外……か?」
ポールネットは我に返える。いつの間にか食事を終えて、ギルドを後にしていた。
先ほどまで自分がいたギルドの建物を、ポールネット魂の抜けたような顔で見つめる。
「ああ……そうだ……採点して協会に提出をしないと……いや、私には無理は、ここを採点することなど……」
ポールネットは首を横に振り、採点用紙を鞄の中に静かに戻す。
調査員にもっとも大切なのは“冷静に客観的に調査する”こと。だが今日の自分は入店直後から冷静さを失っていた。
そのことを思い出しためポールネットは調査を断念したのだ。
「ふう……これは仕方がない。さて、依頼人……冒険者ギルド協会の専務には、見てきたとおり報告をしよう。だがあの気難しい専務のことだ……ただでは済まないかもな。私も、このギルドも……」
こうしてプロの覆面調査員であるポールネット=ライスの潜入調査は不発で終わる。
だが新たなる脅威に、ボロン冒険者ギルドは襲われる前兆もであったのだ。




