第59話:やってきた覆面調査員(前編)
《覆面調査員の話:前編》
ポールネット=ライスはパッと見の外見は、なんの特徴のない四十代男性。
だが彼の裏の顔はプロの覆面調査員である。
今日も冒険者ギルド協会から依頼を受けて、王都を下町へと向かっていた。
「さて、今回の調査店は『ボロン冒険者ギルド』……というギルドか」
協会は各ギルドに対して《覆面調査》を行う権利がある。今回は特別なギルド特別昇格試験の一環として、彼が派遣されるのだ。
「下町の冒険者ギルドか……残念ながらあまり期待はできないな。今までの経験からいって」
ポールネットの得意な調査分野は、一般店舗やギルドの調査。その中でも冒険者ギルドは今まで三十件以上も調査してきた専門的な分野だ。
事前に協会から受け取った対象ギルドのデータの用紙を、最終確認しながら眉間にしわを寄せる。
「このデータを解析した感じだと、このギルドは個人経営で今は二代目が引き継ぎ。ここ一ヶ月の業績は多少順調のようだが、ランクBへの昇格は難しいだろうな」
冒険者ギルドランクの中でも、Bランク以上への昇格はかなり審査が厳しい。
売り上げ高いことはもちろん必須。それ以外にも職員の対応力や知識。
また依頼内容の適切なランクつけや店内の配置、顧客へのサービスなど調査内容は百項目にものぼるのだ。
「おや、看板が見えてきたぞ。あそこか」
下町の奥に“ボロン冒険者ギルド”の看板が見えてきた。いよいよ本日の仕事が幕を上げるのだ。
「ふむ。まず『立地項目』は残念ながら百点満点中……十点、といったところだな」
冒険者ギルドの調査項目には『立地項目』もある。顧客サービスの一環であるために、通いやすさの目安である『立地項目』も重要な項目なのだ。
「次の『店舗外観項目は』は……ふむ、こちらは四十点。可も不可もなく。この冒険者ギルドが乱立するご時世、あれでは地味すぎだな」
ボロン冒険者ギルドの外観は、一言でいえば『昔ながらの冒険者ギルドの外観』そのもの。古き良き雰囲気を大事にしているのだろう。
だが現在の王都には百件近い冒険者ギルドが乱立している。外見的な特徴がなければ差別化は難しい。
何の特徴もない外観に、ポールネットは心の中で落胆をする。
「さて、ギルドの中に入っていくか。だが店前で、この静けさだと、中も期待はできないな……」
繁盛している冒険者ギルドは、開店直後から活気に溢れている。繁盛店は店の外までに冒険者たちの声が溢れて出てくるものだ。
だが玄関前だというのにボロン冒険者ギルドの中からは、人っ子一人の声さえ聞こえてこない。
冒険者ギルドが一番賑わうのは、この午前中の時間帯。おそらく店内には客一人いないのだろう。
「ふむ。資料にあった勢いは、先月までの偶然……だったという訳か、これでは。仕方がない。」
早くも失念の感情がポールネットを襲う。
だが彼はプロの覆面調査員。どんな店でも冷静に調査するのをもっとうとしている。
「さて、入るとするか……ん⁉」
だが店内に足を踏み入れて、ポールネットは自分の耳と目を疑う。
何故なら店内は予想と、はまったく逆の様子だったのだ。
ガヤガヤガヤ……ガヤガヤガヤ……
「なっ――――なんだと……こ、こんなにも沢山の客で溢れかえっていた……だと⁉ そんな馬鹿な⁉」
驚いたことにボロン冒険者ギルドの店内は、数十人の冒険者がいたのだ。
活気ある話声がいきなり耳に飛び込んでくる。店内はまるでオーケストラの演奏が行われているように賑やかだったのだ。
「ど、どうして、こんなことが⁉ 店の外は無音だったのに⁉ はっ、そうか! もしかしたら《防音》の魔道具が外壁に使われているのか、この建物には⁉ 近隣住民に配慮していたのか⁉ だが、あんな高価な魔道具を、信じられないな……」
《防音》の魔道具は、一般市民が入手できる安価な素材ではない。貴族や大商人ですら、特別な部屋にしか使えないほどの建築費用がかかるのだ。
「こ、これは予想外のことだったな……だ、だが私もプロ。店内が混みあっているパターンも想定済みだぞ……」
いきなり度肝を抜かれたポールネットだが、小さく深呼吸をして気持ちを切り替える。
何故ならこの男は王都に覆面調査員の中でも、プロの中のプロ。調査員の中でも特別な訓練を受けていた。
だから表情を顔に出さないことと、気持ちの切り替えだけは誰にも負けない自負があるのだ。
「ふう……さて、店内がこれほど繁盛している場合は、逆に問題も生じるはずだ。キャパオーバー……つまり受付カウンターは、これほどの数は対応できまい」
多すぎる客は逆に、店のシステムを混乱させてしまう。パッと見たところのカウンターの長さ的に、冒険者に対応しているギルド職員は最高でも二人であろう。
だがそれに対して、並んでいる冒険者の数は三十人以上。今までの調査の経験上、これは明らかにキャパオーバーの状態なのだ。
(特に冒険者という連中は、自分勝手でわがまま。学もないために、誰も受付係りの話をちゃんと聞けないからな……)
一般的に行列の解消していくために必要なのは、客の質と受付係り対処能力。
だが多くの冒険者は学もなく、人の話も聞かない性格な者ばかり。そんな客を相手にした場合、どんな有能な職員でも、この数はかなりの時間がかかってしまうのだ。
「さて、私も一般依頼人のふりをして、この大行列に気長に並ぶとするか。この分だと何時間待たされるか、分からないがな……ん? ば、馬鹿な⁉ い、いつの間に大行列が解消されていた……だと⁉」
ふと視線を戻し、ポールネットは再び自分の目を疑う。
何故なら先ほどまで三十人以上は並んでいた行列が、今では最後の数人までに解消されていたのだ。
なにが起きたか分からず混乱してしまう。
「では、次の方、どうぞ」
「えっ? は、はい!」
だが間髪を入れず、自分の順番も回ってきた。
若い女性の職員に呼ばれて、ポールネットは混乱したまま、受付カウンターに向かう。
(ふう……落ち着けポールネット=ライス……私は王都でも有数のプロの覆面調査員……今は『些細な問題を依頼できるか? 確認しにきた一般市民』を演じるんだ!)
受付カウンターに向かいながら、ポールネットは心の中で何度も深呼吸する。
混乱する自分の精神を無理やり切り替え。一般市民のふりをして受付カウンターの前に立つ。
(ふう……よし、気持ちは切り替わった。さて、仕事に取りかかるとするか。受付担当者には申し訳ないが、事前の予定通り“少しだけ厄介”な質問をさせてもらうぞ)
ギルドの職員の質を調査することも、ポールネットの大事な仕事の一つ。そのため事前に用意していた専門的な質問を、受付係りに行うのだ。もちろん一般市民の依頼者を自然に演じながらだ。
かなり意地悪な調査に思えるかもしれないが、これもプロの覆面調査員として大事な仕事。それほどBランクへの昇格は難易度が高いのだ。
(さて、質問をするぞ……)
ポールネットは心を鬼にして、意地悪な一般客を演じる覚悟を決める。
「お待たせいたしました。あら初めての方ですか?」
だが受付の少女に声をかけられて、ポールネットの作戦は予想外の方向へむかう。
「ようこそボロン冒険者ギルドへ! 本日はどんなご用件ですか?」
何故なら受付の少女は、“まるで聖女”のような笑顔で……いや“本当の聖女のような純粋無垢な笑顔で”声をかけてくれたのだ。