第58話:やってきた料理人
酒場部門の人選をマリーから一任された朝から、少しだけ時間が経っていく。
午前中の忙しいギルドの業務が終わり、昼の落ち着いた時間となる。
「……きたぞ、フィン」
客の落ち着いたボロン冒険者ギルドに、一人の男がやってきた。朝一でオレが連絡しておいた、酒場部門の担当候補者だ。
さっそく彼を連れて、オーナーのマリーに紹介することにした。
「オーナー、彼が酒場部門の担当候補者です」
「……カンダーだ。今日からよろしく頼む」
担当者はカンダーという名の、四十代半ばの中肉中背の男。少しだけ寡黙で、目つきがやや鋭い短髪な風貌だ。
「えっ? はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします、カンダーさん! 私はオーナーのマリーといいます!」
初対面のマリーはカンダーの寡黙さに少し戸惑っていた。だが若い彼女はあまり気にせず。経営者の面接は合格といったところだ。
オーナーとの話はすぐに済ませて、カンダーは自分の新たな職場に向かう。
「……厨房はここか。食材も相変わらずたいしたものだな。それならさっそく使わせてもらうぞ、フィン」
カンダーは自前の白衣コックコートに着替え、早くも仕事に取りかかる。オレの用意しておいた食材や調味料で、慣れた手つきで料理の下ごしらえを始める。
「えっ⁉ もう調理するんですか⁉ というか冷蔵魔道具の中に、食材も入っていたんですか、フィンさん⁉」
「はい、オーナー。オレの収納に入れておいた食材と、カンダーが使いそうな調味料も用意しておきました」
寡黙なカンダーの代わりに、オレが色々と説明をしておく。
料理人カンダーとは二年前からの知り合い。彼が好む食材や調味料は把握済みだ。
「えっ……フィンさんの二年前からの知り合いだったんですか。ん? なに、このいい香り⁉」
カンダーの調理スピードはかなり手早い。気がつくと既に料理を一品完成させていた。
オープン型キッチンから酒場コーナーに流れてきたソースの香りに、マリーは鼻をヒクヒクさせる。
「凄いいい香り……こんな美味しそうな匂い、今まで嗅いだことがないんですけど⁉」
「……食べてくれ」
完成したばかりの肉料理を、カンダーは酒場カウンターに並べていく。
皿の数は全部で四枚。状況的にオレとマリー、レオンとクルシュの4人の分だろう。
さて、ギルドの方にいる二人も声をかけておくとするか。
「……自分はフィンのように弁が立たない。これが名刺代わりだ」
そう言い残しカンダーは厨房にまた戻っていく。大きな鍋やまな板を用意して、料理の仕込みに取りかかる。
「それじゃ、さっそく試食してみましょうか、オーナー?」
「え? こんな美味しそうな物を食べていいんですか⁉ いただきます! う――――⁉ お、美味しい! ほっぺが落ちそうなくらいに、本当に美味しいよ、これ⁉」
よほど香りが好みだったのだろう。レオンたちが来るもの待てず、料理に我先にかぶりつき、マリーは絶叫に近い歓喜の声を上げる。
「うん! うん! 美味しい! 美味しいよう……」
我忘れながらマリーは、料理を次々と口に運んでいく。
少し遅れて弟レオンと受付嬢クルシュも、酒場コーナーにやってきた。同じように試食の料理を口にする。
「うん、美味しい! お姉ちゃん、の言っているように、本当に美味しいです、カンダーさん!」
「本当ですわ。こんな美味しい料理は、王宮の晩餐会でも口にしたとこがありませんわ」
試食品を口にして、二人もカンダーの料理に称賛を送る。酒場コーナーに若い少年少女の笑顔があふれていた。
「ふう……美味しかったわ……本格的だけど、こんな口に合う料理は、生まれて初めてかも、私……」
最初に皿を空にしたマリーは、放心状態になっていた。空になった皿を見つめながら、深いため息をついている。よほど気に入ったのだろう。
「こんな美味しい料理が……“聖女であるクルシュさんでも食べたことがない料理”を作れる人が、この世に中にいたんだ……凄い料理を作れる人……カンダーさん……ん? あれ?」
そしてマリーは何かに気がつく様子。黙々と仕込み作業をするカンダーの姿を、ちらりと確認する。
「あの……フィンさん、カンダーさんのフルネームって、も、もしかして“カンダー=キッチェル”とかですか?」
「はい、たしかそうです。それがどうかしましたか、オーナー?」
「や、やっぱり! 『それがどうかしましたか?』じゃないですよ、フィンさん! “カンダー=キッチェル”といえば伝説的な王都の料理人……大陸でも三人しかいない、あの五つ星シェフなんですよ! たしか二年前に突如引退していたという噂だったけど、どうしてフィンさんは知り合いだったんですか⁉ というか、どうしてウチみたいな小さなギルドの酒場にきちゃったんですか、カンダーさん⁉ そんな凄いスーパーシェフが⁉」
マリーは興奮しながら、何やら早口で叫んでいる。
たしかにオレが出会った二年前は、カンダーは店を構えていた。
だが色々あってオレが彼に料理を作ることになった。
オレの作った“平凡な家庭料理”を口にして、この寡黙な男は沈黙。
その翌日、カンダーはなぜか店を畳んで、二年近く大陸放浪の旅に出ていたのだ。
「……どうして、か」
そんなことをオレが思いだしていたら、カンダーが静かに口を開き始める。
「……オーナーも知ってのとおり、フィンは底が知れない。今までの自分の料理人生の根底が大きく変わっただけだ」
「そ、そうだったんですか……事情はよく分かりませんが、何となく共感できます、カンダーさん。あっ、でも、そういえば申し訳ないですが、ウチはカンダーさんみたいな凄い方に支払える給料は……」
マリーは経営者としての話をカンダーとしはじめる。
一般的に王都の料理人の給料は、ピンからキリまで。
今回のカンダーには関係はないが、噂では五つ星クラスのスーパーシェフの月給は二百万ペリカを軽く超えると聞いたこともある。
「……いや、給与は下町相場で構わない。金には特に固執していない」
「そ、そうなんですか⁉ 分かりました。それなら今日からよろしくお願いいたします。はぁ……それにしても、こんな凄い料理人が今日からウチの酒場部門の担当を……はぁ、今後はなんか嫌な予感しかしないです……」
カンダーと一言だけ話をして、マリーは何やら不安そうな顔をしている。
おそらくは未経験な飲食経営に不安を抱えているのだろう。ここは安心させるために報告をしておく必要がある。
「そういえばオーナー。カンダー以外のスタッフの求人も既に手配済みで、もうすぐ出勤してきます。彼の元スタッフばかりなので、さっそく今日の夕方からでもボロン酒場の営業は可能です。よろしいですか?」
「えっ、五つ星の超一流の元スタッフが更に勢ぞろいするんですか⁉ うちはただの冒険者向けの下町酒場ですよ⁉ と言っても、もう私じゃどうにもならないんですよね……はぁ……分かりました。今日の夕方から営業してください!」
マリーは何やら興奮しているが、経営者の全ての了承が得られた。これでボロン酒場は営業可能だ。
あと五時間ほどしか時間がないが、カンダーとスタッフの手際があればプレオープンは可能だろう。
「了解しました、オーナー。そういえば酒場用の玄関もオレの方で“増設”しておきました。これでギルドが閉店した五時以降も、酒場だけの営業が可能です」
ギルド部分と酒場部分は、基本的な構造では繋がっている。
だがギルドの営業時間が終わった後も、酒場は独自の営業となる。酒場用の玄関を増設しておいたお蔭で、近隣市民も気軽に来店が可能となるのだ。
「うっ……ほんの一瞬目を放しただけで、なぜか新しい玄関がまた増設されている⁉ 相変わらずフィンさんは……というか最初より自重しなくなってきたような……はぁ、とにかく私も午後の仕事を頑張って、カンダーさんの美味しいを食べるんだから!」
何やら全てふっきり。マリーは雄叫びを上げる。ギルドの自分の仕事机に向かい、一心不乱にオーナー仕事に取りかかる。
これも嬉しい誤算かもしれない。前にも増して職員のモチベーションも高くなっていた。
「これで酒場部門の開設はクリアか。さて、一息ついた次なる経営改革に着手するか」
こうしてボロン冒険者ギルドに新しい部門、ボロン酒場がオープンすることになった。
――――そしてオープン前から店の前は、大変なことになるのであった。




