第54話:新たなるステージに向けての序章
冒険者ギルド協会の副理事長ゼノスから、《冒険者ギルドランク特別昇格試験》の話を聞いてから数日が経つ。
試験の内容がまだ分からないため、ボロン冒険者ギルドの雰囲気は前と変わらず。
だが内心では誰もが落ち着かない、ここ数日だった。
今日もそわそわしながら午前のギルド営業時間が過ぎ去る。
「ちょうどお客さまも途切れたので、お昼ごはんにしますか、オーナー?」
「あっ、そうですね、フィンさん。それじゃ、レオンとクルシュさんも、休憩しましょう!」
昼の十二時から午後一時までは、王都民は昼食を食べる習慣がある。そのため冒険者もギルドを訪れる者はほとんどいない。
冒険者ギルド職員も昼は休憩する時間帯なのだ。
「ふう……今日も忙しい午前だったけど、お昼ごはんが食べられるのは有り難いわね!」
マリーが少し疲れているのも無理はない。
冒険者ギルドの午前中は新しい依頼を狙う冒険者で、ギルド内がごった返す、一日で一番忙しい時間帯なのだ。
「そうだね、お姉ちゃん。ありがたいことに、今日もたくさんの来訪者があったからね。はい。これが今日のお弁当だよ!」
「いつもありがとう、レオン。ん? この香りは……やっぱり、今日は唐揚げが入っているのね⁉ やったー!」
「お姉ちゃんの大好物だからね!」
ギルド職員の多くの者は、昼食を弁当で済ませることが多い。理由は昼食時、近隣の食堂が混みあっているため。休憩時間が足りないのだ。
また基本的に冒険者ギルドの職員の給料は、それほど多くはない。そのため弁当で節約とするのだ。
各自が弁当を出して、ボロン冒険者ギルドの昼食タイムとなる。
「それじゃ……」
「「「いただきます!」」」
マリーの掛け声でランチタイムが開始。これが最近のボロン冒険者ギルドの昼食スタイルだった。
「もぐもぐ……うん、美味しい! やっぱりレオンの作る唐揚げは最高ね!」
弟の手作り弁当を口にして、マリーは満面の笑みを浮かべる。料理上手なレオンの弁当は、とても十歳の少年とは思えない完成度なのだ。
「あら、マリーさま、その茶色の食べ物は……?」
マリーの弁当を、向かいの席のクルシュが不思議そうに見ていた。おそらく初めて目にする食べ物があったのだろう。
「え? これは唐揚げ、ですよ。もしかして、初めて見るんですか、クルシュさん?」
「はい。恥ずかしながら大聖堂では、自由に食事をとることが叶わなかったので……」
神官であるクルシュは、幼い時から大聖堂の中で育ってきた。そのため一般市民の食事にも知らないものがあるのだ。
興味津々な瞳で、マリーの唐揚げを見つめている。
「あっ、よかったら、一個食べてみます?」
「え、本当ですか⁉ はい、よろこんで!」
マリーとクルシュは年が近い同性同士。最近では友だち感覚、マリーは唐揚げをお裾分けする。
ジロリ!
――――その時だった。
ギルドの窓の外から“何者かの強烈な視線”が飛んでくる。更に間髪を入れずに、厳しい声も。
「えー、ごほん。申し訳ありませんが、マリー殿。以前もお伝えしましたが、そちらにいらっしゃるクルシュ様は“やんごとなき存在”の方。そのような毒見もされていない庶民の食べ物は、ご遠慮ください」
厳しい視線と警告を発してきたのは、強面の騎士。大聖堂の直属機関である神聖騎士団長の一人だ。
「あと、今後もくれぐれもご自重していただければ、我々は護衛の者も助かります、マリー殿」
騎士団長の背後には十人近い神聖騎士が控えていた。
彼らはクルシュが初出勤の日から、毎日ギルドの周りに待機していた護衛団。
まるで『彼女が一般神官ではなく、《聖女》クラスの身分』であるかのような不思議な対応だったのだ。
「あ、あっ、ごめんなさい。私も、つい忘れて……」
「いえ、マリーさま、謝る必要はありません! ハンスよ、最初に言ったとおり、ここでの私はいち事務員。影ながらの護衛は許しますが、口出しすることは許しませんよ!」
「はっ……失礼いたしました、クルシュさま」
クルシュの厳しい言葉を受けて、神聖騎士団長ハンスは視界から消えていく。先ほどまでと同じように、ギルドの建物影で待機する。
「マリーさま、気分を害せさせて、まことに申し訳ありませんでした。今後は気になさらず、私には普通に接してくださいませ」
「は、はい、分かりました。ふう……そういえばクルシュさんは大陸でも一人しかいない《聖女》さまだったわね。フィンさんが規格外すぎて忘れてしまうけど、よく考えたら常識的にあり得ないことよね、聖女さまがウチにいるなんて……あと、クルシュさんのお弁当は毎日、まるでプロの料理人が作ったかのように豪勢だし」
昼食を再開しながら、マリーは何やらブツブツと独り言を口にしている。
経営者としては未来ある彼女だが、たまにこうして自分の世界に入ることがあるのだ。
「それではレオンさまの作った唐揚げを、私もいただきます。……うん、とっても美味しいです! こんな美味しい肉料理は初めて口にいたしました!」
唐揚げを口にして、クルシュの明るい声がギルド内に響き渡る。初めて口にした唐揚げの味に感動しているのだ。
「でしょ? クルシュさん? ウチのレオンの唐揚げは、王都一なんだから!」
「もう、お姉ちゃん。それは褒めすぎだよ。それにどうしてお姉ちゃんまで、そこまでドヤ顔ができるの?」
「えっへっへ……ごめん、ごめん。ちょっと私も自慢過ぎたかも」
「いえいえ、ご謙遜なさらずに! こちらの“唐揚げなる食べ物”は、間違いなく王都でも随一の味だと、私も感じております!」
三人は何やら唐揚げトークで盛り上がっている。若い同士で盛り上がる感性が近いのであろう。
今は客もいない時間帯なので、オレも特に注意せずに見守っておく。
「そういえばオーナー。こちらの資料をまとめておきました。昼休憩が終わった後でも確認しておいてください」
「あっ、ありがとうございます。ん? そういえば前から不思議に思っていいたんですが、フィンさんって、いつ昼食をとっているんですか? 一度も見たことがないけど? もしかして昼は食べない派ですか?」
資料を受け取ったマリーが不思議に思ったのは、オレの昼食について。従業員の健康面が、経営者として気になるのだろう。
「いえ、昼食なら先ほど先に頂いて終わりました。これが空き箱です」
「えっ⁉ いつの間にか食べていたんですか⁉」
マリーが目を丸くして驚くのも無理はない。オレは仕事中の昼食は、早めに食べるようにしていたからだ。
理由は空いた時間を、未熟な自分のための仕事にあてるため。今日の弁当も、つい先ほど五秒ほどで完食していた。
ちなみに仕事中以外の食事時間は、ゆったりとるようにしている。食事は人生の中でも大事な楽しみの時間の一つだから。
「うっ……そんな巨大な弁当箱の中身を、私たちが気がつかない短時間で食べられる、フィンさんの胃袋って、いったい……というか空の弁当箱だけど、残り香だけでも尋常でないいい香りもしてきたし……」
オレの空の弁当箱を凝視しながら、マリーは何やらまた呟いている。
もしかしたら弁当の中身が気になったのだろうか?
それなら今度は彼女の分も多めに作ってきた方がいいかもしれない。
ちょうど“あまり大きくない獣”の肉を、先日狩っておいたものがあるのだ。
「い、いえ、けっこうです。フィンさんのお弁当の中身は、見ない方が私の心の臓のため……そんな予感がします。とにかく私は自分のお弁当だけ集中します!」
何かをふっきり、マリーは自分の弁当を一心不乱に食べ始める。何か精神的なショックを受けたのだろうか。
年頃の少女の気持ちは難しいので、あまり触れないでおくことにする。
「そうですか。あと昼食が落ち着いてからでもいいので、《冒険者ギルドランク特別昇格試験》について再確認をしておきましょう、オーナー?」
「そ、そうだったわね。いったい何があるのかしら……」
こうして昼食時間を終えたオレたちは、ギルドの一番の問題である《冒険者ギルドランク特別昇格試験》の対策を行うのであった。