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炎華繚乱 昊耀国女帝伝  作者: 悠井すみれ
天遊林の朱い華
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22.仕方なくない

 朱華(しゅか)はそっと室内を見渡し、彼女を案内した侍女がちゃっかりと姿を消していることに気付いて溜息を吐いた。良いように考えれば使用人の耳目を気にしないで済むように気を利かせてくれた、ということなのかもしれないけれど、どうにも子供の守りを押し付けられたような気分が拭えない。


「ええと……あの、私、《闘神》の《力》をお持ちの方は初めてですわ。そんなに細身でいらっしゃるのに、これほどの力だなんて──すごい、ですわね……?」

「…………?」


 自棄のように、とにかくも間を繋げるために。朱華が精いっぱい微笑んでお世辞めいたことを口走った。(さい)弘毅(こうき)と間近に会ったことがあるのは隠した方が良いと、咄嗟に計算できたのは良かった、のだろう。とはいえ礼儀に叶った褒め方なのかは分からない──というか、頬を染めていた(しゅう)妃が怪訝そうに眉を寄せて首を傾げるのを見ると、ひどく的外れなことを言ってしまったのかもしれない。ほんの少しだけ歩み寄れた気がしたのが無に帰してしまうのかと、焦った朱華は慌ててまた別の言葉を探す。でも、寝台を微かに軋ませて、周妃が近づいて来る方が早い。


星黎(せいれい)宮の……(とう)妃、様……? あの、何をなさりに来たのかしら。私……てっきり、(なじ)られると思っていたの。大それたことを言ってしまったから……それか、あの、何か脅す……とか?」


 周妃が指先だけで破った(しとね)の裂け目から、中の羽毛がふわふわと漂いはじめている。白い羽根が舞う中で、ほっそりとした少女が戸惑いの表情を浮かべている様は、実に絵になって可愛らしい。周家の者たちは、きっとこの少女が志叡(しえい)皇子の心を捕らえることを期待して妃に推したのだろう。本当に、何もかも噛み合わないということはあるものだ。


「そんな、脅すだなんて……」


 咄嗟に首を振りながら、朱華はふと首を傾げた。


(そういえば私、何しに来たのかしら)


 朱華の訪問の目的は、もちろん周妃に会うこと、だった。そして、流産の真相について問いただすこと。こうして周妃の寝室にまで上がり込むことができたし、明言はされていないものの、使用人たちや周妃本人の言動からして朱華の推測は当たっていたということで多分間違いない。ならば、彼女の目的は達成できてしまった訳で。実際、さっきまでは帰ると切り出す隙を窺ってさえいたのだけど。でも──せっかく()()が撫でさせてくれようとしているのに、背を向けてしまうのはもったいない気もする。


「ええと……周妃様。こんな格好も何ですから、座りませんか? 周妃様のお部屋で、差し出がましいことですけれど……」

「ああ……私ったら何て失礼な……! 秀琴(しゅうきん)! 陶妃様にお茶とお菓子をお持ちして!」


 周妃が声高く呼ばわると、扉の外から慌ただしい足音と人声が聞こえ出した。どうやら、すぐ外で侍女たちが聞き耳を立てていたらしい。


「あ、お茶もお菓子ももう十分いただいたので……!」

「いいえ、そういう訳には参りませんから!」


 周妃は頑固なところがあるようだった。虚言を打ち明けることができなかったのも、今日は寝台に篭ろうとしたのも、きっとその性質の表れだろう。それと同じ頑固さで、毅然とした眼差しで言い張られては、朱華が否という隙はなかった。




 周妃の寝室で、改めて朱華は部屋の主と茶菓を囲むことができた。こんな奥に入れるのは、普通ならごく親しい友人だけなのだろうけど、場合が場合だから初対面の朱華が図々しく上がり込むのも仕方ないことなのだろう。多分。


「改めまして、周芳琳(ほうりん)と申します」

「陶雪莉(せつり)ですわ」


 茶器を載せた卓を挟んで深々と頭を下げる周妃に、朱華も改めて名を名乗った。そもそも雪莉から改名するためにこの間の騒動があるのだから、今、こちらの名を告げても良いのかどうかは自信がなかったけれど。


(なんだか、やりづらいわね……)


 寝台から降りた周妃──芳琳は、衣装の皺や髪型の乱れを気にしたように落ち着きなく視線を彷徨わせ、指先同士を合わせて(いら)っている。(こう)妃や、辰緋(しんぴ)宮のほかの妃たちの油断のならなさや怖さに比べると、あまりにも普通の少女なのだ。多分、この娘だって夫が同席していたり、公の場だったりしたら相応に優雅な振る舞いができるのだろうけど。子供のように駄々をこねて閉じ籠る、なんて姿を見た後だと、見た目以上に幼い相手のように思えてしまってどのように接したら良いか分からない。()()()雪莉や、皓華(こうか)宮の佳燕(かえん)のように、儚くてか弱いから放っておけないのともまた違って──朱華に妹がいたら、こんな感じなのだろうか。


(知らない相手にお姉様面されても嫌だろうけどさ)


 それに、何より。子供のような華奢な見た目は、芳琳の真実の姿ではない。指先だけで布地を引き裂く《闘神》の《力》を目の当たりにしたばかりだし、夫を()()()知っているという点では、この少女はある意味朱華よりも()()なのだ。


「その……では、お身体はお障りないということでよろしいのでしょうか……?」

「……はい。ご推察の通りです。皆様も、ご存じなのでしょうけど……!」


 おずおずと切り出した朱華に、芳琳は軽く唇を噛んでから、小さく──けれどはっきりと頷いた。彼女は最初から懐妊などしておらず、したがって流産も、それが陰謀の結果だということも虚言だったのだ。皇子を欺く大罪を告白して、芳琳のもともと白い肌は臘のようにさらに白く、死人のような顔色になってしまっている。罰や夫の怒りを恐れる少女には悪いけれど、朱華にとっては大事な成果だから、相手には気付かれないようにそっと、息を吐く。


「少なくとも、悲しいことや恐ろしいことが起きたのでないなら、良かったですわ。二の君様もきっと安心なさることでしょう」


 気休めを言うなと怒られるかもしれないな、と思ったし、実際気休めでしかないのは朱華にも分かっていた。けれど芳琳は、先ほどまでの気の強さが嘘のように俯いて、弱々しく呟いた。


「……そうかもしれません。私の長春君様は、そういう方なのですわ……」


 年若さにも可憐さにも似つかわしくない、深々とした陰鬱な溜息が物語っている。こんなことをしでかしてしまった芳琳だって、夫の志叡(しえい)皇子の気質をよく知っているのだと。気付いた上でもそうせずにはいられなかったのか──あるいは、この一件で気付かされたのか。朱華には軽々しく問うこともできないけれど、幸か不幸か、芳琳の心の(せき)は、今はとても脆くなっているようだった。


「辰緋宮の妃は幸せなのだと言われて参りましたの。容姿や《力》の程度や実家の権勢によって寵が偏ることなく、誰もが公平に扱われているから、と。まして私は幼いですし、この《力》も天遊林(てんゆうりん)では役に立つ機会も少ないですし。ほかの方を押しのけて、なんて思ってはいけなかった……いいえ、思っていなかったのですけど……!」

「分かると、思います。誰でもに同じように接するということは、誰も想っていないように見えてしまいますものね……?」

「不敬で、不遜なことです。私は、長春君様を疑ってなどいません……!」


 形ばかりの慰めは、今度は芳琳の胸には届かなかったようだ。きっと鋭く睨まれて朱華は言葉を失い、相手の困惑に気付いた芳琳は頬をほんのりと染めてまた俯いてしまう。


「そうではなくて……私から、どのようにお仕えすれば良いのか分からなくて。だって、私でなくても、相応の家の娘なら誰でも良いのではないかと思ってしまったから……だから、もっとお話がしたかったのです。お菓子や、料理の味付けのお好みとか、どんな遊戯をなさるかとか……」

「二の君様は、答えてはくださらなかったのでしょうか……?」

「いいえ。丁寧に教えてくださいました。少しだけですけれど、笑ってもくださいました」


 そう言いながら、芳琳の顔色はまったく晴れない。実際の会った時の志叡皇子の様子や、炎俊の言動とも照らせば朱華にもどういうことだか何となく分かる。

 あの兄妹は、聞かれたことにはちゃんと答えてくれるのだ。日ごろ皇族として振る舞うだけあって、というか、所作も言葉遣いも優雅なものだし。だから──芳琳も、最初は礼儀としての丁寧さを自身への好意だと思ったのかもしれない。でも、それは特別に興味や関心があることを保証はしないのだ。それに──


「自慢したつもりは、なかったのです。ただ、嬉しくて、大姐(おねえさま)がたに言ってしまった……私が、愚かだったのでしょう」

「ああ……」


 ほかの妃たちからすれば、夫と仲良くなろう、だなんて不心得になってしまうのだろう。()()()()()をしたところで夫を帝位に近づける役には立たない、ということになるのだろうから。


(嫉妬とか競争心というよりは……あの方たちなら、本気で馬鹿にしていそうね……)


 ほかの宮でのことならば、若く可愛らしい妃の抜け駆けを恐れるものなのかもしれないけれど。少なくともこの辰緋宮においては、妃自身の容姿や振る舞いによって寵愛が偏る恐れはない。()()志叡皇子の愛を望むとか、そんな()()()ことをするよりも、ごく冷静に事務的に、夫を利用して実家の栄達の糧にしようとする方が、きっと楽なことなのだろう。彼女たちがその境地に至るまでに、芳琳のような努力があったのかどうかは分からないことだけど。


大姐(おねえさま)がたにもお会いなさったのでしょう。……なんと仰っていましたか」

「……残念なことだったけれど、二の君様はお咎めにはならないだろう、と。いずれ次の機会もあるだろうから、と」


 事実が明らかになってみると、彼女たちの言葉もまた違った意味で聞こえてくる。御子を殺めた犯人が、決して露見しないと高笑いしているのではなくて──いや、高みの見物で嗤っているのは同じなのだけど──芳琳の必死の虚言も、志叡皇子にはなんら顧みられることがないと、事実を語っていたにすぎないのだ。


「そう、ですか……その通りなのでしょうね……」


 大人しく頷いた芳琳は、先輩格の妃たちの人柄もよく分かっているのだろう。それだけ頭が冷えた、ということなのか。とにかく、彼女は居住まいを正すと丁寧な所作で朱華に頭を下げた。


「わざわざお越しいただいてありがとうございます。大変な無礼をしてしまって、申し訳ございませんでした。でも──少しだけ、すっきりしたように思います」

「周妃様……芳琳様?」


 芳琳の笑顔は、晴れ晴れとしているのにどこか陰があって不穏だった。朱華が眉を寄せるのにも構わず、彼女は続ける。その声も、明るさの中に必死に強がる気配が聞こえるようだった。


「私、長春君様にすべて申し上げます。大姐(おねえさま)がたが仰る通り、お咎めはない──小娘の乱心だと思われるに違いないのですもの」

「……他の方々に対しては? どのように仰られるか──」

「仕方ありませんわ。私のしたことですもの」


 つまり、芳琳は構って欲しさに虚言を弄する娘だとの評判を甘受する、と言いたいらしい。志叡皇子は気にしないのかもしれないけれど、同じ宮の妃たちから陰であれこれ言われても仕方ないのだ、と。あの美しくにこやかな刺々しさの中にこの少女がずっと晒されることを想像して──朱華は、思わず腰を浮かせていた。


「いいえ、芳琳様。きっと……いえ、絶対に、仕方のないことではありません!」


 余計なことを言った、と気付いた時には、もう遅い。


「陶妃様……?」


 芳琳の目は驚きに見開かれて──そして同時に、希望の光が確かに灯り始めていたのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ……本当に本当に普通の子だったんだなぁ。 それは朱華ちゃんも力入っちゃうよね! しょんぼりしてるとこ見ると、なんだか助けてあげたくなっちゃう……。
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