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炎華繚乱 昊耀国女帝伝  作者: 悠井すみれ
偽の姫、天遊林に入る
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6.本性

「な……にを、仰いますか……?」


 一瞬にして喉が干上がるのを感じながら、朱華(しゅか)は辛うじて声を上げていた。


(驚いて良い……驚くべきところ、よね? これで、合ってるわよね?)


 声が震え引き攣り、脈が上がり、肌着を冷汗が濡らす。身体の変調を感じながら、頭の片隅は忙しく計算に動いていた。彼女が()()()良家の姫なら、こんな時にどう振る舞うか。初夜の床で身分を疑われて驚き狼狽えるのは、多分おかしな態度ではないはずだ。


「わ、わたくしは(とう)家の雪莉(せつり)でございます。他の何者でもございません。遠見の《力》を持つ者を求めてくださったと、先ほど仰ったばかりではございませんか……!?」


 舌を(もつ)れさせて言い募るのは、演技ではなかった。どこから不信を抱かれたのかは分からないけれど、炎俊(えんしゅん)皇子の疑いは、決して認めてはならないのだから。朱華は、どこまでも雪莉を演じなければならない。陶家の名誉などどうでも良いけど、皇室を欺いた大罪に、本物の雪莉を巻き込むわけにはいかないのだ。


 ()()として、淑やかさ上品さを失わないよう、けれど同時に必死に訴えても、炎俊皇子は表情を変えなかった。偽りを責めるというよりは、どこか面白そうな表情なのだけど。でも、だからといって安心することはできなかった。だって、この青年が何を目的に言い出したことなのか、朱華には見当もつかないのだから。


 とりあえずの言い訳が、どのように返されるのか――朱華が息を詰めて見守る中、寝台の柱に背を預けた炎俊皇子は、ふ、と唇を綻ばせた。


「確かに私は遠見の妃が欲しかった。何かと便利だろうからな。だから、私と釣り合う年頃の娘がいる家は前々から様子を()()いた」


 どこか遠くに焦点を合わせる炎俊の眼差しは、朱華にもよく覚えがあるものだった。遠見で彼方の出来事を見る時に、《力》を持つ者はよくこんな茫洋とした顔をする。陶家の一族や朱華の教師になった者たち、そして多分彼女自身もそうだ。


(視られてたの……? 全然、気付かないうちに!?)


 そもそも遠見とはそういう《力》だ。他の者が知らぬうちに、知らないはずの情報を得ることができる《力》。朱華もそれを利用して生きてきたし、他の者に視られる可能性を承知して立ち居振る舞いには十分注意を払ってきた。でも、それは天遊林(てんゆうりん)に入ってからのこと。それも、人前に出る時だけだ。


「無論、本邸は容易く()()を許すような隙はないのだが。だから当主が家族を伴って地方を訪ねるような、そんな機会を狙ったのだ」


 陶家の私的な外出も視ていたとさらりと告げられて、肌が粟立つのを抑えることができなかった。帝位争いも妃選びも、朱華が思っていた以上に油断ならないものだったのだ。それに、皇族が持つ《力》も。皇宮の中にいながら、地方まで《目》を届かせることができるなんて。遠見のそんな使い方を、朱華は考えたこともなかった。


 凍り付いた朱華には相変わらず構わず、炎俊皇子は続けている。どこか遠く――距離ばかりでなく時をも越えた、彼方の面影を見つめながら。


「偽の姫よ、そなたはくっきりとした顔立ちをしているが、雪莉姫はもっとこう……ぼんやりとした顔の娘ではなかったか?」


(雪莉様は優しい顔立ちをなさってるのよ!)


 首を傾げながら、手で宙に何か漠としたものを描きながらの言葉に、朱華の頭に血が上る。確かに朱華と雪莉では顔立ちがまるで違う。朱華がよく言えば華やかな、悪く言えばキツい印象を与える一方で、雪莉はその人柄が顔にも表れて、穏やかな笑みの似合う方だ。それは、ぼんやりとした、と言えなくもないけれど、遠見で覗いただけの皇子に、あの方の容姿を偉そうに語られる謂れなどない。


 怒りは、朱華に勇気と少しばかりの冷静さを取り戻させてくれた。まだ、大丈夫。完全に終わってしまった訳ではない。どうにか言い逃れるか言い包めることができないかどうか、教えられた技の全てを尽くさなくては。


 心臓がばくばくとうるさく鳴るのを聞きながら、朱華は微笑みを纏い、炎俊の方へ身を乗り出した。上目遣いに甘え、媚びる体で皇子の身体にしなだれかかる。


「女は化粧をすれば変わるものですわ。まして今日はこれだけ着飾っておりますもの。初めて御前に上がるのに緊張してしまって、怖い顔になってしまっているかもしれません。それに……殿下がわたくしを()()くださったのは、もう何年も前のことでございましょう?」

「結構賢いな……ますます気に入った」


 女の肌の温もりが伝わっていないはずはないだろうに、炎俊は何ら動じる気配を見せなかった。ただ、興味深げにゆっくりと瞬いただけで。相変わらず読めない相手の感情に怯えながら、それでも、朱華はどうにか笑みを保とうとした。述べたことへの自信が、彼女に辛うじて力を与えてくれていた。

 遠見で()()ことができるような外出に本物の雪莉が伴われたのは、朱華が拾われるまでのことだ。それ以来、あの方は屋敷の奥から出ることを許されていない。年頃の少女の顔立ちが数年かけて多少変わったとして、それは不審なことではないはずだった。そう、朱華はやっと思いつくことができたのだ。でも――


「ここの黒子(ほくろ)は化粧で消したのか? 目障りなものでもなかったのに」

「それは……」


 右頬を皇子の掌に覆われて、朱華は今度こそ言葉に詰まった。確かに、雪莉の右目の下には泣き黒子がある。決して大きすぎず黒すぎず、気にするようなものではない程度のもの。沈んだ表情の時は悲しげに見えるかもしれないけれど、笑っていれば愛嬌になる程度の。そんな細かな特徴まで、この皇子は視ることができるとは。


 頬を捕える皇子の手に触れようとして、すぐに引っ込める。この男に触れられているのは恐ろしい。でも、払いのけることができるはずもない。それは朱華の正体を暴露するようなものだ。


(でも、もう……!)


 雪莉の顔かたちのことまで細かに知られているなら、もう手遅れではないのだろうか。


「私……わたくしは――」


 それだけを呻いて絶句した朱華に、皇子は声を立てて笑った。心底楽しそうなその声は、むしろ彼女を怯えさせるのだけど。

 笑いの衝動に駆られるかのように、炎俊はぐいと朱華の身体を引き寄せた。抵抗など思いつくこともできないまま、朱華は皇子の腕の中に収まってしまう。


「そなたは、否定すれば良かったのだ。遠見といえど、必ず当たるものではないと知っているだろうに。そなた自身は覚えがないかもしれないが、百花園(ひゃっかえん)の女どもには大した《力》を持たない者もいただろう」

「殿下の覚え違いか()間違いだと……? でも――」

「それも、不敬ではあるだろうがな。しかしそれしかないだろう。そなたが事実陶家の姫であるならば、誤っているのは私の方だ」


 皇子の笑いを含んだ声を耳のすぐ傍で聞きながら、朱華は自身の()()を悟った。炎俊皇子が言う通り、何としても否定しなければならなかった。相手の言葉こそを嘘偽りだと断じたとしても。だって、彼女が本当の雪莉姫だとしたら、偽物などとは不当な糾弾に他ならないのだから。そうできなかったのは、そうすることを忘れてしまったのは、皇子の言葉が真実だったから。朱華の態度は、そのように物語ってしまっていたのだ。


「私……わたし……っ」


 皇子の腕には力が篭っている訳でもない。なのに、どうして喉を絞められているように苦しいのだろう。もう終わりだ、と諦めてしまったからだろうか。斬首か毒を賜るのか、それともやはり窒息させられるのか――どのような形かは分からないけど、既に死を間近に感じてしまったからだろうか。


「そなたは少し慌て過ぎだな」


 と、皇子の声が耳元で笑う。同時に、朱華の頭から(かんざし)が幾本か抜かれたようだった。髪がはらりと肩に落ち、頭が少し軽くなる――息も、少し楽になっただろうか。


「落ち着くが良い。陶家の目論見を暴くなら、他にやりようがあったはずであろう? そなたの返事次第では、私たちは良い関係を築けるだろう」

「何……何なの……?」


 何かを言おうとして、でも、この上取り繕う言葉など見つからなくて、朱華はただ喘ぐ。皇子の謎めいた言葉も、彼女の混乱を深めるばかり。


(良い関係? 何のこと?)


 偽の姫を押し付けようとしたと糾弾するなら、確かに閨に召す必要はない。陶家の者たちともども、裁きの場に引き出せば良いだけ。でも、追及を逃れることができる、なんて。都合の良いことも信じられない。皇子は返事次第、と言ったのだから。偽りを見逃す代償に、一体何を要求されるのだろう。


「……秘密があるのはそなただけではない。偽の姫よ、ちゃんと息をしろ」


 皇子の腕に力が籠り、朱華を一層近く強く抱き寄せた。すると双方の距離がさらに縮まる。ほとんど身体が密着して――相手の肢体の柔らかさとまろやかさが、朱華の肌に感じられる。


(え? ええ?)


 男物の、身体の線を隠す服を着ていては、見た目だけでは分からなかった。ほとんど抱き着くような格好になって初めて、朱華は気付く。()()の身体は滑らかな曲線を描き、腰はくびれている。そして、朱華がほとんど顔を寄せるようになっている胸には、確かな膨らみが感じられた。


「ようやく気付いたか。遠見の者は《目》に頼りすぎなのだ」


 朱華は一体どんな表情をしていたのだろう。炎俊皇子を名乗る()は、彼女を見下ろして大層愉しそうに笑っていた。

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