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炎華繚乱 昊耀国女帝伝  作者: 悠井すみれ
燕はどこへ消えた
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23.仕切り直し

 朱華(しゅか)の問いに、佳燕(かえん)は頬を染めて俯いた。


「それは……あの……」

「どうか遠慮なさらないで。本心を打ち明けていただいた方が、良い案が出せるというものですから」


(あれ……? この反応は……?)


 口ではほとんど翰鷹(かんよう)皇子の悪口を促しながら、朱華は内心で首を傾げた。佳燕の表情は、夫君を悪しざまに言いかねて口ごもる、という雰囲気ではない。むしろ、慕っているのを打ち明けるのが恥ずかしくて堪らない、という感じではないだろうか。朱華は縁がなかったけれど、(とう)家の若い使用人たちが、誰が誰を好きだとか語らっている時はこんな顔をしていたような。でも、()()翰鷹皇子に対して、しかも一度は逃げた方が好意を抱いているとはにわかには信じがたかった。

 戸惑いに朱華が眉を顰めたのでさえ、佳燕を怯えさせたのかもしれない。儚げな佳人は、俯いて膝の上で指を(いら)いながら、囁く声で呟いた。


「その……私などに目を留めていただいたのは、大変嬉しいことだと思います。この上なくもったいないことだと……」

「そのようなことは、繍栄(しゅうえい)からも聞きました。そして、よく知らない世の者が考えそうなことでもあります。佳燕様ご自身は、本当にそのようにお考えなのですか……?」

雪莉(せつり)様、そんな……」


 佳燕は、朱華がひどい無理難題を申し付けたとでも言いたげに目を見開き、助けを求めてか繍栄の方に視線をさまよわせた。けれど、もちろん臆病な侍女に妃同士の会話に口を挟む勇気はないだろうし、何より佳燕本人に答えてもらわないと意味がないのだ。


「四の君様のことはお気になさらず。佳燕様をお探しした時点で、三の君様のご依頼は果たすことができていますから。ただ──できることなら、佳燕様もご納得の上でお戻りいただいた方が、皓華(こうか)宮の御方も喜ばれるのではないかというだけで……」


 佳燕の目が炎俊も窺ったのを見て取って、朱華は付け足した。炎俊自身は、佳燕の意思を問わずに翰鷹皇子に対する手札にする気満々だ。だから、少なからず嘘を吐いたことになってしまうのだけど。でも、炎俊は物言いたげに口元をわずかに動かしただけで、何も言わないでいてくれた。まだ、朱華に付き合ってくれるつもりはあるということだ。とはいえ、佳燕が煮え切らない態度を続けていたらどうなるか分からない。


「雪莉様……。あの、私などのために、ありがとうございます……!」


 祈るように見つめた朱華の想いが、届いたのだろうか。佳燕の目が潤み、唇からは震える声と深いため息が漏れた。落ち着きなく互いに絡まり合っていた指が、しっかりと握られて──そして、佳燕の細い声にもわずかながら力が宿った。


「もしも、正直に申し上げても良いのなら……その、図々しいとは思うのですけれど。私の長春君(ちょうしゅんくん)様を……お慕い、しておりますわ」

「はい」

「片隅に控えていた私のことを、見つけ出してくださいました。何の役にも立たない身ですのに、優しくしてくださいました」

「はい」

「雪莉様にはお分かりにはならないかもしれませんが、そして、雪莉様は違うのでしょうが。侍女や婢女(はしため)の類の者は、いちいち顔や名前を覚えてもらえるとは限りません。ことに、《力》があっても《力》がないも同然の、私のような者は」


 佳燕が思っているのとは違って、朱華は本来は婢女でさえない。娼館生まれの卑しい娘で、(とう)家にたまたま《力》を見出されただけだ。でも、佳燕の立場を知らないというのは事実だし、彼女自身とはまた違った苦労があるのだろうとは想像がつく。何より、せっかく佳燕が──訥々とではあるけれど──胸の内を明かしてくれたのだ。朱華はひたすら相槌を打つに留めて、余計なことは口にしないように自身に言い聞かせた。


(優しい方……間違いでは、ないんでしょうけど……)


 実際に会った翰鷹皇子を思い出すと、もっと違う形容が先に出るのではないかと思えてならないけれど。炎俊も、茶器を口に運びながら、少し首を傾げているけれど。


「ですから、『私』だけを見て、『私』だけを求めていただけたのは……夢のようなことでした」


 言い終えた時には、佳燕の頬は愛らしく赤く染まっていた。その表情で、分かる。決して、この場にいない翰鷹皇子を憚っての追従などではないということ。少々信じられなくはあるけれど、佳燕は、本心から夫君を慕っているということが。


「あの、でも、この繍栄からはお困りのご様子だったと……それに、それならどうしてあのようなことを……?」

「だって、私では皓華宮の妃に相応しくないのですもの……!」


 声高く叫ぶなり、佳燕は両手で顔を覆った。


「翰鷹様にお仕えできるのは幸せなことです。でも、私ひとりではあのお方を支えることなど叶わないのです。皓華宮まで得た方の重石になることなど望まないのに……だから、他の方をと何度もお願いしたのに……」


 白く細い指の間から、深く長い嘆息が漏れる。切々と、心を揺さぶるような震える声が、いっそ怨じるように訴える。今回の騒動に一方的に巻き込まれ、翰鷹皇子に思うところも()()()ある朱華でさえも、哀れに思わずにはいられない悲痛な声だった。


「皓華宮の片隅にでも置いていただけて、たまにお会いすることさえできれば、それでもう望外の幸福でしたでしょうに。どうして、こんなことに……私などがあの方の目に留まってしまったのは、間違いなのですわ……!」

「──つまり、義姉(あね)上は、兄上が道を誤るのを望まない、ということでよろしいか? ただひとりの妃にこだわるのではなく、立場に相応しい女を娶るように、と?」


(黙ってれば良かったのに余計なことを……!)


 でも、例によって炎俊には女心の機微は一切通じないのだ。翰鷹皇子は佳燕のせいで道を誤ったと言ったも同然の炎俊の言いざまに、朱華は密かに眉を吊り上げる。佳燕自身が相応しくないと言ったとしても、正面からそれを肯定してしまっては、あまりに気の毒だ。多分、炎俊としては兄嫁を貶めるつもりは全くなく、事実だけを述べているだけだろうからなお質が悪い。

 案の定、佳燕は怯えたように身体を縮め、目には明らかに涙が盛り上がった。それでも泣き出してしまわなかったのは、仮にも皇子に対する(おそ)れがあるからだろうか。


「は、はい……。私がいなくなれば、目を覚ましてくださるかも、とも思ったのですが──」

「ならば、今回のことは良い機会だっただろう。このまま星黎宮にお留まりあれ。義姉上は解放されるし、兄上も頭が冷えるだろう。御身の《目》のこともある。私は外に連れ出したりしないから安心なさると良い」


 炎俊が、佳燕の不安定な《力》について覚えていたことに、朱華は少々驚いた。紫薇(しび)と同じ、ということで気に留めていたのだろうか。でも、すぐにより驚くべきことが起きる。今にも倒れそうに顔色を青褪めさせながら、それでも、佳燕は炎俊に頷くことをしなかったのだ。


「あ、あの……とても、寛容で……もったいないお言葉ですわ……。あの、でも……」


(佳燕様……本当に、三の君様がお好きなのね……!)


 この臆病な方が皇子に対してでも、と言うのに、どれほどの勇気が要ったことだろう。炎俊の提案も、それ自体はそれほど冷酷なものではない──佳燕に隠れ場所を与えると言っている以上は、それ自体は歓迎すべきものだったのに。


「それでは、長春君様とは、もう──」

「会えば、兄上も諦めがつくまい。今、間違いだったと申されたではないか。過ちがあったなら、正さねばならぬ」


 なのに、炎俊には佳燕の必死の勇気は分からないのだ。どうして抗弁して煩わせるのかと、不思議に思っているに違いないであろう表情で、朱華の()は首を傾げる。その無邪気でさえある横っ面を引っ(ぱた)きたい衝動がこみ上げるけど──朱華だってさすがに皇子に手を上げたことはない。それに、佳燕の前でそのような暴挙ができるはずもない。


「それに、兄上は今回のことで帝位争いでは私に譲ってくださると約束された。皓華宮から出れば、誰を傍に置こうと多少度が過ぎようと、問題にはなるまい」

「そんな……っ!」


 佳燕が悲鳴を上げた理由は、一体何だったのだろう。自身のために、夫が帝位を諦めたからか──そういえば、佳燕は翰鷹皇子がそもそも帝位には興味がないのを知らなかったらしい──、夫と再会できるのがいつになるか知れないと告げられたからか。いずれにしても、佳燕のこわばった表情は、彼女が炎俊に対して心を閉ざしたと告げていた。助け出され保護された感謝が、夫から遠ざけられて閉じ込められる恐怖に取って代わられたのだ。


(もう、これじゃダメじゃない!)


「長春君様!」


 焦りと苛立ちに駆られて、朱華は今度こそ大声を上げていた。炎俊は逆の方向に首を傾げるだけで、佳燕の方こそびくりと身体を震わせるたのが、理不尽に思えてならなかった。朱華は、この方の味方をしたつもりなのに!


「一度に仰られても、佳燕様もすぐにお心を定めることなどできませんわ。三の君様と佳燕様は相思相愛でいらっしゃいます。それが分かっただけでも良いではありませんか!?」

「雪莉。だが──」


 炎俊の言いたいことは、分かる。良かったことを探しても、この場合はあまり意味がない。翰鷹皇子の頑なさは厳としてあって、事態を解決らしき状態に持って行くには、あの方の説得が不可欠だ。そして、それはどうにも不可能に思えてならないし、可能だとしても面倒なのは絶対に間違いない。


「お疲れのところ、すぐにこのような話を持ち出したのは軽率でございましたわ。せめて一晩なりと、ゆっくりお休みいただくべきでした」


 だから、今は作戦会議だ、と朱華は目で炎俊に伝えた。佳燕や、後で知らせる翰鷹皇子が邪推する余地がないよう、彼女たちは当面また同じ閨で休むことはあらかじめ話し合っている。


「私も、長春君様には労っていただきたいですもの。()()()()()に、なりたいですわ……?」


 じっくりと言ってやりたいことがある、と。暗に伝えると炎俊が軽く眉を顰めた。面倒くさいと思ったに違いない。だが、朱華だっていちいち小言めいたことなど言いたくはない。あまりにも心無い言動を見かねて仕方なく、なのだ。


(ひとりでゆっくり眠れると思ってたんだけどね!)


 薄暗い閨の帳の内で、きっとまた深夜まで語らうことになるのだ。そしてそれは、決して甘い睦言ではない。


(こいつと睦言なんて、それはそれで身の毛もよだつけど!)

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