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炎華繚乱 昊耀国女帝伝  作者: 悠井すみれ
燕はどこへ消えた
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21.確保

 佳燕(かえん)(さい)弘毅(こうき)の居場所は、《遠見》の視界によってだけでなく、耳から入ってくる情報によっても知れた。絹を裂く悲鳴が木々の向こうから響き、《遠見》をしながら走る朱華(しゅか)の脳を揺らしたのだ。


「きゃあ──っ」


(ああ、まるでこっちが人攫いみたいじゃない!)


 朱華は心中で頭を抱える。というか、走りながら実際頭を掻きむしる。侍女らしく見えるように、慎ましく結った髪が乱れるけれど、構ってはいられない。星黎(せいれい)宮で、皓華(こうか)宮で。心のうちの不満や苛立ちを態度に表すことができる機会は稀なのだから。炎俊(えんしゅん)に対してでさえ、かなり気を遣って言葉を選んでいるのだ。誰も見ていないこの瞬間くらいは、好きなように叫ばせて欲しい。


 蔡弘毅の足は獣のように速く、回廊をどうにか越えて、もみ合う──というか、男の腕の中から逃れようと足掻く女の姿が朱華の尋常の視界に入った時には、彼女の肺は破裂しそうになっていた。蔡弘毅は、貴人の妃の身体になるべく触れないように口を塞ぐという難事を試みていてくれる。ついでに、上手いこと回廊から目につかない木陰に移動してくれてもいる。見せつけられたばかりの身体能力によって、佳燕をしっかりと捕えているのは良いのだろう。でも、佳燕の顔色は蒼白で、懸念していた通り、事情を話す前に意識を失ってしまいかねない。

 だから、朱華は頭がぼうっとするのを懸命に堪えて、精一杯の声を張り上げた。


「──佳燕様! どうか落ち着かれて……!」

「──っ」


 新手の刺客とでも思われたのか、佳燕の涼やかな目が見開かれ、涙を浮かべた。口こそ蔡弘毅の手に塞がれているけれど、喉が声にならない悲鳴を上げて攣ったのが見て取れる。あまりに哀れな狼狽ぶりに、朱華は必死に声を紡ぐ。全力で駆けたせいで上がった呼吸のせいで、彼女の方こそ窒息しそうな気はするのだけど。


「覚えていてくださいますか!? 星黎宮の者です。無事な場所にご案内いたします。長春君(ちょうしゅんくん)様はいらっしゃいません。繍栄(しゅうえい)も、御身を心配しておりますから……!」


 佳燕の悲鳴を聞きつけて駆け付けて来る者がいるかも、と思うとなるべく自身の身元を明らかにしてしまう単語は口にしたくなかった。炎俊がやっと娶った妃という物珍しい立場を、この方が覚えていてくれることを期待するしかない。


「…………」


 怯え切った子兎のような目で、佳燕は朱華を見つめる。まるで、彼女が狼ででもあるかのように。でも──辛抱強く距離を保って見守るうちに、佳燕の目にじわじわと理解の色が浮かんでいった。それを見計らって、朱華は手を放すように蔡弘毅に目で命じる。大声を上げる恐れさえなければ、佳燕を逃がすことなどもはやあり得ないだろう。


 蔡弘毅の腕から解放されると、佳燕はその場にへたり込んだ。立っていることさえままならないのかと、朱華は慌てて駆け寄る。


(とう)妃様……? どうして……」


 佳燕が、支える朱華の袖に縋る仕草はあの繍栄を思わせた。もちろんその指は老侍女よりも細く白く──繍栄には悪いと思うけど──守って差し上げなければ、と思わせられる。恐らくは朱華より幾つか年上に見える方に対して庇護欲めいたものを感じるのは、多少、失礼なのかもしれないけれど。とにかく、佳燕の背をさすりながら、朱華はできるだけ優しい声を繕うと務めた。


「三の君様が、我が君を頼られたのですわ。我が君には《時見》、私には《遠見》の《力》がありますから。──でも、ご心配なさらないで! 我が君は佳燕様に同情なさっています。皓華宮にはお帰りにならなくても良いんです。お気の済むまで、星黎宮にいていただけますから……!」


 翰鷹(かんよう)皇子に言及した途端、佳燕の目が不安に揺らいだのが分かって、朱華は慌てて言い添えた。炎俊が慈悲深い人柄であるかのように語るのは、かなり心が痛むことではあるのだけど。でも、少なくともあいつだって納得づくでのことだ。兄君への嫌がらせが最大の目的だとしても、佳燕を悪いようにしないはず。というか、朱華がさせはしない。

 決意は、朱華の手に力を宿らせた。抱きしめられるような格好に驚いたのか、佳燕の目が朱華をじっと見つめて来る。


「あの、本当に……? なぜ、そこまで──」

「最初は、三の君様のご命令でしたから。でも、皓華宮でお話を聞くうちに……その、間を取り持つ者が必要な気がしてならなかったものですから」


 どうしてこんなことをしているのか、朱華自身にも分からないのだ。簡単に済ませようとすれば、他にも選択肢はあったはず。ただ──それでは落ち着かないから、としか言いようがないだろうか。炎俊や翰鷹皇子への呆れが、あの兄妹と同じ行動をとってはいけないと思わせるのかもしれないし、雪莉(せつり)に合わせる顔がないと思ってしまうのかも。そもそもの話で言うなら、朱華にとっては侍女の装いをして宮の外をうろつくのは、多分佳燕が思うほどの手間ではない。


(でも、そうと申し上げる訳にもいかないしねえ)


 多くを語ることができないで曖昧に微笑むと、佳燕は心底不思議そうに首を傾げた。それでも、抱きしめる身体からは力が抜けているのが分かる。だから──最低限の程度は、信用してもらえたと思って良いのだろうか。




 佳燕は、やはり使用人の宿舎に身を寄せていたらしい。主人の怒りを買って追い出されたのでしばらく身を置かせて欲しい、と。代わりに炊事や繕いものなんかの手伝いをする日々は、佳燕にとっては慣れたもので、もしかしたら皓華宮の女主人の立場よりも、よほど過ごしやすかったのかもしれない。


「主の勘気も収まったゆえ、執り成しをしようと迎えに来たのだ。ここの者たちには迷惑をかけたな」

「はあ、それはよろしゅうございました」


 蔡弘毅が述べた建前の物語を聞いて、使用人の長にあたる者は釈然としない顔をしながらも平伏した。皇宮の清掃を引き受ける下層の婢女(はしため)は、自分たちの領域には明らかに不釣り合いな姫君が去ることには心から安堵しているようだった。真実は別のところにあると気付いてはいるのだろうが、気にはなるものの知って良いことではないと分かっている、というところだろうか。賢明なことだと思う。


(厄介ごとになるかもしれないのに匿ってくれてたのは、ありがたいわよねえ)


 繍栄にも見た、下の立場の者たちの気弱さと優柔不断さからして、訴える先が分からなかったというだけかもしれないけれど。見たところ、佳燕は心労で窶れてはいるものの、衣食住に不自由していた気配はなかった。


「……夜に(うな)されておいでだったので、よほど恐ろしいことがあったのかと……いえ、お戻りになられるのは誠に喜ばしいことと存じますが」


 侍女の姿の朱華よりは、武官姿の蔡弘毅に任せた方が良いだろうと、彼女は佳燕の手を握って後ろに控えている。婢女の長の言葉に、佳燕の指に力が篭ったのは──紫薇(しび)や繍栄が言っていた、《時見》の暴走というやつだろうか。たとえ周囲の者には恵まれて、命を繋ぐこと事態には困っていなかったとしても、この方はここでは長く生きることはできないのだ。だから、皓華宮だろうと星黎宮だろうと、天遊林(てんゆうりん)の内側に落ち着き場所を見つけていただくしかない。


「そなたたちの厚意には感謝する。後ほど布や米を届けさせよう」

「それは──誠にありがたいことでございます」


 佳燕が世話になった分の衣食の埋め合わせと、口止め料ということで相応の品を渡すように、とは朱華の助言だった。炎俊に頼めば造作もないことだろう。あの女も、こういうところで手間を惜しみはしないと思う。


「我が君様にも使いを送りました。さぞ喜ばれることでしょう」

「ありがとうございます」


 蔡弘毅は朱華たちを見下ろして微笑んだけれど、佳燕はできるだけ朱華の陰に隠れようとするかのように身体を縮めた。さっき、獣の勢いで迫られて捕らえられたのがよほど恐ろしかったのかもしれない。朱華も──怖いとまでは言わずとも──初心で純真で実直な人、と認識していた男が突然見せた鋭い表情を思い出すと不思議な気分がする。


(会っておけて良かった、んだろうけどさあ……)


 今回の件があった以上は、朱華が閨を共にする候補としては蔡弘毅が最上位に来る。ふたりきりで会って言葉を交わした以上、その他の顔も名前も曖昧な連中よりは親しみやすい。炎俊がどこまで計算しているのか──あの女の手の内で踊らされているのかと思うと、面白くない気が、しないでもなかった。




「あ、来た──いらっしゃいましたね」


 その炎俊は、すぐに迎えの輿を差し向けてきた。《遠見》で見慣れた輿を確認した朱華は、佳燕の手を引いて隠れていた木陰から回廊に出る。


「まずは星黎宮でお休みくださいませ。三の君様にお会いするのは後日でも構いませんでしょう」

「え、ええ。ありがとうございます……」


 朱華としては、もはや佳燕の母親にでもなったような気分だった。翰鷹皇子はもちろんのこと、何かと気遣いの足りない──それゆえに佳燕の信用を損ないかねない炎俊とこの方を対面させるのは不安が大きい。彼女が何かと先回りをして、怖がらせることがないようにしなくては


(なんでこんなことしてるのか、分からないけど!)


 苛立ちと、この先への不安に波立つ朱華の内心を他所に、輿の垂れ幕からひょいと顔をのぞかせた炎俊は、ごく軽く言ってのけた。


「人目につくから挨拶はいらぬ。早く乗るが良い。雪莉(せつり)は私の膝に、白妃は隣に詰めてもらおう。蔡弘毅はよくやった」

「え──あの、それは、あまりにも……」

「ありがたき幸せでございます」


 炎俊の──夫以外の皇子の、隣の席を示されて、佳燕は絶句した。対する蔡弘毅は、感謝に堪えないという表情で平伏する。目立つなという主命を、ある意味無視する格好で。三者三様の反応は混沌として、朱華の頭痛をいや増すのに十分すぎる効果だった。


(もう、話が進まないったら!)


「佳燕様、本当に、本当にご心配なさらないで。輿を増やしては目立ってしまうから仕方ありませんの。長春君様の御手は、私がしっかりと抑えておきますから。ご夫君に面目の立たないようなことには、決してさせませんから……!」

「陶妃様……ありが──」

「何をしている。早く乗れ」

「はい、長春君様。ただいま」


(今行くわよ!)


 上辺の笑顔とは裏腹に心の中で吠えてから、朱華は佳燕を促して輿に納まった。良いように使われた蔡弘毅は、回廊に捨て置く形で。

 佳燕に言ったことの手前、星黎宮につくまで炎俊の手を握っていなければならないことに気付いたのは、輿が動き出してからだった。

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