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炎華繚乱 昊耀国女帝伝  作者: 悠井すみれ
燕はどこへ消えた
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18.思わぬ再会

 翌日、朱華(しゅか)は再び星黎(せいれい)宮の外へ出た。とはいえ、今日は天遊林(てんゆうりん)の中、別の皇子の宮を訪ねるのではない。政務に出る炎俊に従って輿に乗って、後宮から皇宮の「表」の部分に足を踏み入れるのだ。

 とはいえ、もちろん炎俊の手伝いに同行する訳ではない。朱華の今日の役目は、庭園のどこかに潜んでいると思われる佳燕(かえん)を見つけ出すこと、だ。


 視界を二重の意味で塞いでいた、呪を施した幕が上がると、朱華の目の前に緑豊かな麗しい庭園が広がっていた。佳燕が姿を消したという一帯だ。建物と建物を繋ぐ回廊の幅は広く、輿を担いでいた宦官たちが平伏していてもなお、人の通行に支障はなさそうだった。炎俊が手だか気をまわしたのか、幸いに人影は見えないけれど。


(静かで綺麗なところね……)


 濃淡を微妙に変えた木々や草葉の緑は目に優しく、花々が彩を添えている。どこからか鳥の囀りも聞こえて──佳燕が景色を見たがったのも無理もない、と思えるような長閑(のどか)な光景だ。予想はしていたけれど、水のせせらぎの音が聞こえるのにも安堵する。これなら、少なくとも餓えて死ぬということはないはずだ。

 朱華の隣では、炎俊がしみじみと興味深げに呟いている。


「輿に乗った者を一端降ろす、というのは良い案だな。ことに、《時見》や《遠見》の者が手の中にいれば」

佳燕(かえん)様は案のつもりではなかったかと存じますが」


 何か悪巧(わるだく)みを考えていそうな面持ちの()に、朱華は一応釘を刺す。星黎宮での外のこと、念のために言葉遣いは()()()ものに改めている。

 今日の彼女は、侍女の簡素な衣装を身に着けている。炎俊皇子は、妃を伴ってなど()()()のだ。炎俊が政務を行う場ではそのように認識され、扱われることになる。一方の朱華は、身軽な恰好で心行くまで庭園を探索し、炎俊が宮に帰る時に拾ってもらえば良い。


(佳燕様のためなら別に良いけど……!)


 この先も、何かと怪しいことや危ないことを命じられては、困る。まあ、炎俊の方だって、わざわざ貴重な手駒を危険に晒したりはしないだろうとは思うけど。


「……件の御方のお姿は覚えてるから問題ございません。我が君様は、()くお勤めにお向かいくださいませ」


 本来は競い合うはずの、皓華(こうか)宮の妃のために、星黎宮の皇子が動いていること。妃が侍女の格好をして、こそこそと怪しげな動きをしていること。いずれも余人に知られるべきではないことだから、朱華は低く声を潜める。


「まだだ。人を呼んでいるのでな」

「人を……?」

「そなたはひとりきりで探すつもりだったのか。若い娘だというのに迂闊だな」


 自分自身も若い娘のはずなのに、炎俊は呆れた目を向けてきた。腹立たしく理不尽なことだと思う。確かに朱華はひとりで《遠見》を行うつもりだったし、その間は身近に迫る者に対しては無防備になるのも事実なのだけど。炎俊に女としての心構えを解かれるのは、絶対に間違っている気がしてならない。


「まあ、護衛をつけてくださるのですか。光栄ですわ」


 それでも、表向きは従順に感謝の言葉を述べてみる。内心では苛立ちに歯噛みしていることに加えて、首を傾げてもいたけれど。


(私のこと……それに、皓華宮のことを任せられる人? そんな人いるの……?)


 恐らく、妃はそう簡単に天遊林(てんゆうりん)から出歩かないものなのだ。少なくとも、表向きは。それでは後宮を設ける意味がなくなってしまうし、規律を破っていると知られれば、醜聞にも皇子の失点にもなるだろうに。


「うむ、時と場所を伝えたから、もう来るはずだが──」

「殿下!」


 炎俊の言葉を遮ったのは、低く太い男の声だった。朱華には聞き慣れなくて、思わず身構えてしまう。こちらに駆け寄る人影も、背が高くて大柄で足幅も広くて──比べると、炎俊はやはり女なのだと思わされる。

 その人影は、ふたりの目前に至ると滑らかに膝をついた。動きやすい構造の上衣と()、革の長靴(ちょうか)。武官だ。炎俊の麾下で、武官と言えば──


「お召しに応じて参上いたしました。臣にお声がけいただき、誠に光栄に存じます」

「あ……!」


 相手は、恭しく顔を伏せているが、朱華の目をもってすれば顔を()るのに何の支障もない。いかにも実直そうな顔を見れば、前に会った時の記憶が即座に呼び起こされる。

 炎俊が呼び出した護衛とは、かつて一度だけ会った(さい)弘毅(こうき)だった。




「私は政務に赴かねばならぬ。妃を頼んだぞ、蔡弘毅」

「ははっ」


 炎俊はごく無造作に命じると輿の中に姿を消し、朱華は「待て」を命じられた犬のような表情の蔡弘毅とふたり、取り残された。


「ええと……」

「官職は、校尉(こうい)を拝命しております。蔡校尉とお呼びください」

「そうですか。ありがとうございます」


 そもそも何と呼べば良いかも分からないことに気付いて戸惑っているのを察してくれたのだろう、蔡弘毅は武官らしいはきはきとして口調で必要な情報を与えてくれた。

 校尉、というのはどの程度の役職だっただろうか。拾挙(しゅうきょ)の合格者とはいえ、門地は低い者の肩書としては、高いのか低いのか。能力には相応なのかそうでないのか。分からないことは多いけれど、ただひとつ、はっきりしていることがある。


炎俊(あいつ)、また勝手なことして……!)


 蔡弘毅の手前、そして、いつ誰が通りかかるか分からない皇宮の只中とあって、地団太を踏むようなことはしないけれど。

 炎俊の魂胆は見え透いている。朱華の護衛などとは二の次で、この男との顔合わせの方が主な狙いだったのだろう。女同士の夫婦では子は望めず、朱華は炎俊の麾下から()()を選ばなければならない。炎俊が女だと気付いてしまった蔡弘毅は、絶好の種馬だということだ。皇子の癖に女の癖に、娼館の()り手婆のようなことをしてくれる、と思う。


(こういうことなら私だってそのつもりで来てたのに!)


 いつぞや怒鳴ったのと同じことを繰り返されては、炎俊の心の成長も怪しいものだ。これは後でまた叱らなければ、と思っていると──蔡弘毅が、跪いた姿勢からおずおずと声を掛けてきた。


「陶妃様……その、こちらで何をなさるのでしょうか」

「……その名で呼ぶのはお止めくださいな。我が君様からは何も伺っていないのですか」

「はっ、御身をお守りするように、とだけ──」


 男として、女である炎俊が好き──らしい、という奇特極まりない人間が蔡弘毅だ。主君の呼び出しでもあるし、さぞ喜んで参上したのだろう。


(私とナニをさせられるところかは、知ってるのかしら……?)


 蔡弘毅の顔に浮かぶのは控えめな戸惑いだけ、()()()()事情を知らされていたとしたら、もっと派手に照れたり動揺したりするのではないか、という気がする。ならば、この気の毒な男の想いが破れるのはもう少し先になるのだろうか。炎俊が言っていないことを、朱華の口から言う訳にはいかないし、第一はしたなさ過ぎる。


 問題は、今回の事件についても蔡弘毅は知らされていなさそうだ、ということだ。他所の宮の皇子や妃が関わる事情を、一介の武官に教えてしまっても良いものかどうか──


(ま、この人は佳燕様の顔を知らないしね)


 口も固いらしいから、後で炎俊からよくよく言っておいてもらおう、と。朱華は面倒を()に丸投げることにした。考えなければいけないこと、気に懸かることが、今の朱華には多すぎる。やらなければいけないことも。


「──逃げた小鳥を探していますの」

「小鳥、ですか……」

「我が君様の《時見》と私の《遠見》によると、この辺りにいるようです。探し当てるまで、おかしな人に見つからないようにしてくださいませ、蔡校尉」


 今の段階で一応はぼかして説明すると、朱華は回廊を下りて庭園と足を踏み出した。回廊の左右に庭が広がっている訳だけど、勘でまずは左を選んでみる。


「とう──姫様! 何をなさいますか!」


 呼び方で正体を現させるなと命じていたことを、蔡弘毅はちゃんと一度で覚えてくれたようだ。それでも、侍女の格好をした者を姫様呼ばわりは、不審に思われかねないけれど──真面目で忠実なのは、本当にありがたい。


「このようなことをなさって……その、御身の評判にも……」


 朱華がずかずかと庭の奥に入り込むのと対照的に、蔡弘毅の声は弱気だった。多分、皇子の妃が他の男とふたりきりになってはいけない、というようなことを心配してくれているのだろう。そのうち、閨でふたりきりになるかもしれないことを知らされたら、一体どんな顔をするのだろうか。


(意外と地面も平らだし歩きやすいわね……これなら、佳燕様でも隠れるのに苦労はないのかしら)


 蔡弘毅のことよりも、数日前にここを通ったかもしれない佳燕の足取りの方が、朱華にとっては大事だったけれど。


「あの……陶妃様……?」


 子犬が親を呼ぶような心細げな声で、蔡弘毅は呼びかけてきた。朱華を本来の位で呼んだということは、余人の耳を恐れる必要がない庭の奥に来ることができたということ。建物の屋根や壁が──少なくとも尋常の視界からは──完全に木々に遮られているのを見て取って、朱華はやっと蔡弘毅の方を振り向いた。ここまでくれば、()()を語ってもまあ良いだろう。


「蔡校尉──これは、我が君様にとってとても大事なことですの」


 こう言えば、絶対に相手が食いつくことを承知で、朱華は意味ありげに微笑んでみせた。

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