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炎華繚乱 昊耀国女帝伝  作者: 悠井すみれ
偽の姫、天遊林に入る
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4.皇子との対面

 皇子たちの宮は、(とう)家の屋敷や百花園(ひゃっかえん)のどの建物にも増して厳重な呪が施されている。だから朱華(しゅか)の目を以ってしても内部の様子を窺うことはできなかった。その場所に遠見の焦点を合わせようとしても、靄がかかったように形を捉えることができなくて。視界の四方が靄に囲まれている感覚は、朱華にとっては落ち着かないものだった。彼女の目は、いつもなら望めばどこまでも見通すことができるのだから。


 今、炎俊(えんしゅん)皇子の招きによって朱華は北の星黎(せいれい)宮に足を踏み入れた。隠されていた場所を目にすることができて嬉しいとかすっきりしたとか感じは、あいにくない。とはいえ(ほう)あたりが当てこするように、朱華は生まれの卑しい孤児に過ぎない。陶家で礼儀作法を仕込まれたとはいえ、人の性根はそう変わるものではない。世の民の多くがそうであるように、朱華も皇室だの貴族だのにさしたる敬意は持っていない。皇室の権威の由来となる《力》が朱華のような小娘にも備わっているのだから、敬えと言われてもぴんと来ない。


 恐らくは、ひどく不敬な感慨なのだろうけど――そういう訳で、皇子を待つようにと通された部屋は、朱華にかつていた娼館を思い出させた。卓上に用意された杯や、やたらと大きな寝台からの連想だ。もちろん、酒肴も調度も、市井の娼館と比べることなど許されないような上質のものなのだろうけど。ただ、女が男を楽しませる場だということは共通している。


「まあ、やることは同じだしね……」


 呟きながら、朱華は酒杯の縁を指でなぞった。伝わるひんやりとした感触は、翡翠だろうか。深い翠に、わずかに差した薄紫の色が美しい。――と、そんなこともさらりと言えるように、彼女は仕込まれてきた。何なら有名な産地についての逸話もひとつふたつは浮かんでくる。でも、今夜ばかりは求められるのはそんなことではないだろう。

 ()()()()のことを考えて朱華は少し震え、けれどすぐに自らを奮い立たせた。


(大丈夫……見たこともあるし……)


 遠見の《力》を使うまでもなく、娼館にいればその手のことを見聞きするのは日常茶飯事だった。陶家での教育にも閨での作法は含まれていた。どう振る舞うか、指や口や舌をどう使うか。さすがに()()ということはなかったけれど。


()()をやるのが雪莉(せつり)様じゃなくて良かった。そう思えば良いのよ)


 強がりではなく、そう考えて朱華は少し笑う。権力争いなんてバカバカしいし、陶家の何もかもが気に入らないけど、あの方だけは別だ。容姿と《力》を競う物騒な花園に、雪莉はまったく相応しくない。だから天遊林に入ったのが朱華で良かったのだ。




 物心ついた頃から、朱華は色々なものを()()きた。失せ物を探し当てて感謝されたこともあれば、お前が盗んだんだろうと殴られることもあった。知っているはずのないこと――誰と誰が密会しているとか、あるべきでない金品のやり取りとか――をぽろりと漏らしては褒められたり、口止めに菓子をもらったり、あるいはやはり殴られたりもした。

 偶然や覗き見ではなく、確かに朱華に不思議な《力》があるらしいと認めると、娼館の主はいかに彼女を使って金儲けするかを考え始めたようだった。百花園で姫君たちとやったような余興を、金を取って見世物としてやるとか。物好きの金持ちに売るとか。だから、主人が陶家の使いと商談をしているのを()()時、朱華はああ買い手が現れたのか、としか思わなかった。

 陶家で、姫の身代わりとして天遊林に入れと言われた時はさすがに驚いたけれど、贅沢な暮らしを喜ぶことも、大罪に巻き込まれるのを嫌だと思うこともなかった。どの道金でやり取りされる身の上で、人生の何かを選ぶことなどできないと、分かっていたから。


 でも、あの方は――雪莉は、大きな目に涙を浮かべて朱華に詫びたのだ。


『わたくしのために、ごめんなさい』


 そう言われて、朱華はぽかんと口を開けてしまったものだけど。どうやら、とても優しいあの方にとって、金で身の上をやり取りされるということは大層哀れむべきことだったらしい。陶家でなくても、いずれ誰かしらに買われていた身のこと、朱華にそんな悲壮感などなかったのに。むしろ、下賤の者に名と立場を奪われようとしている雪莉の方こそ、あの屋敷では肩身の狭い思いをしていたのに。


 雪莉の優しさを、恵まれた姫君の甘えと感じて苛立ったこともあった。でも、陶家の屋敷で、朱華に朱華として接してくれるのはあの方だけだった。家名のための駒ではなく、金で買った道具ではなく。だからいつしか、朱華と雪莉の間には友情のような絆が芽生えた、と思う。あるいは、朱華の方からすれば、自然な敬意というか庇護欲というか、そんなような感情が。


 朱華が皇子の妃を目指すのは、陶家のためでは断じてない。かといって自身の栄達や権力や、贅沢な暮らしにも興味はない。朱華が――逃れる術はないとはいえ――恐るべき大罪に手を染めて怯まないのは、これしか雪莉を救える道が見当たらないからだ。

 皇子の寵愛を得て、子のひとりかふたり、できれば男児を産めば、彼女()()にひれ伏す者も出てくるだろう。そうなれば陶家の者たちを恐れる必要はない。雪莉をあの屋敷から救い出して、任せられる夫君を皇子に選んでもらって、権力争いなどとは無縁な、平凡でも平穏な幸せを掴んで欲しい。できれば朱華も、雪莉の近所に住んで占い師の真似事でもして暮らしたい――とは、あまりにも都合の良い夢だけど。


(少なくとも、絶対にバレるようなことにはならないように、ね……!)


 朱華が通されたきり、閉ざされたままだった扉の外に人の気配を感じて、背筋を正す。例によって()()ことはできないけれど、彼女の夫になるはずの皇子がすぐ傍まで来ているのだ。


雪莉姫(わたし)を召したのは陶家の後ろ盾が欲しかった? 遠見の《力》の評判が耳に届いたのかしら。それとも私の顔を()()気に入った、とか?)


 炎俊皇子の関心がどこにあるかによって、朱華が取るべき態度も変わるのだろう。それを、見誤らないようにしなくては。こればかりは、《力》の有無も強さも関係ない。娼館で、陶家の屋敷で、人の顔色を見て立ち回ってきた経験が、役に立つはずだった。


「炎俊殿下のお成りでございます」


 触れを聞いて、朱華はその場に額づいた。尊い立場の相手に対する最上級の敬意を示すために。目の前に迫った床には、多種多様な木材と石材を磨き上げ組み合わせて精緻な模様を描かれていた。貴人が踏みつけ通り過ぎるだけの場所にも、気が遠くなるような手間暇と金がかけられているのだろう。


「そなたが雪莉姫か。会えて嬉しく思う」

「もったいないお言葉でございます。恐悦至極に存じます」


 恭しく淑やかな声を作って答えながら、頭上から降る声の涼やかなことに少し驚きながら、朱華は皇子の姿を()()。間諜を遠ざけるための呪も、同じ部屋に入ってしまえばもう効果を及ぼさない。遠見といえど、遠くの物事を視るだけの力ではない。要は、常の視界では見えないものに、いついかなる時でも焦点を結ぶことができるのが遠見なのだ。例えば、平伏した体勢から、自身を見下ろす青年の容姿を確かめることだって朱華には容易い。


(なんだ……意外と優男じゃない)


 気に入った女を、その日のうちに閨に召そうとするような男だ。だから、何となく脂ぎったいかにも好色そうな姿を思い描いていたのだけど。こっそりと()()炎俊皇子はすらりとした細身の若者だった。切れ長の目に、白い頬。形の良い薄い唇が朱華の装いを見てか微笑んでいる。知らない者が見れば、都で人気の役者とでも思うだろうか。ただ、覇気というのか、人を跪かせる自然な傲慢さは、たしかに皇族の一員なのだろうと思わせる。


 これが、朱華の夫になる男。彼女が運命を託さざるを得ない男なのだ。

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