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炎華繚乱 昊耀国女帝伝  作者: 悠井すみれ
燕はどこへ消えた
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16.振出しに戻る

 扉の外から、炎俊(えんしゅん)翰鷹(かんよう)皇子の声が聞こえてくる。翰鷹皇子の寝室での《時見》は、どうやら色良い結果にはならなかったようだ。


「そなたの目でも何も視えなかったのか? 本当に?」

「嘘を吐いても私に得はございません」

「だが──」

「お疑いとあらば、兄上が(はく)妃に囁いたことをこの場で申し上げる」

「そなたには情というものがないのか!?」

「私だって言いたくはないのです!」


(ああ、くだらない……!)


 炎俊は、律義かつ念入りに《時見》を行ったのだろう。翰鷹皇子と佳燕の睦言を、彼らの唇を読んで()()()()ほどに。でも、繍栄の話を聞いた朱華には、夫婦の会話を盗み()たところで何も有益な情報は得られなかったのは分かっている。その上でも、たとえ不首尾に苛立っているのだとしても、兄()のやり取りはあまりにも程度が低いような気がしてならなかった。


 尊いはずの皇子ふたりの足音が近づくのを聞きながら、朱華(しゅか)は額を抑えた。長椅子に横たわった彼女の傍らには、佳燕(かえん)の侍女の繍栄(しゅうえい)が心配顔で控えている。心労でやつれたところを朱華がさんざん問い詰めたからだろう、もともとはふくよかだったであろう頬が、今はげっそりとこけている。何もかもを聞いた後では、あまり同情する気にもなれないけれど。


(とう)妃様……」

「さっき言った通りに。貴女は何も言わないで良いから」


 心配顔の繍栄が呟いたのに対して、ほとんど唇の動きだけで命じる。この侍女に腹芸なんて期待していない。炎俊の方も、朱華の意図を察して動いてくれるかどうかは甚だ不安だけれど──どうにか上手くやるしかない。


(もう、面倒臭いったら!)


 繍栄の話を、炎俊に伝えなければ。その上で、また対策を練る必要がある。佳燕を連れ戻したところで、問題は解決しないということ。皓華宮を巡る騒動に、今以上に首を突っ込まなければいけないかもしれないということ。もしかしたら、ヤツは手を引くと言い出すかもしれない。既にして面倒がっているし、朱華にもその気分はよく分かるから無理もない。でも──それでも、できることなら佳燕を助けたい。

 炎俊を説得する理屈を頭の中で捏ねながら、朱華は長椅子に突っ伏した。そしてちょうど、扉を開く音がする。


雪莉(せつり)──これは、どうしたことだ」

「我が君様……申し訳ございません」


 炎俊が近づいてきた気配を察して、朱華はわざとらしく()にもたれかかった。こんなこと、ふたりきりの閨でもしないことだ。だから、炎俊は何かあると気付いてくれるだろう……多分。


「皓華宮があまりに眩しくて恐れ多くて……少し、気分が悪くなってしまいましたの」

「……それは大変だ。すぐに星黎(せいれい)宮に戻らねば」


 碧羅(へきら)宮で、何人もの妃たちとのやり取りにもどうにか耐えた朱華だ。今さら皓華宮で使用人たちに囲まれたからといって、怖気づくはずもない。あり得ない言動を繰り返した不審さは、幸いにも炎俊に伝わったらしい。どこか気味悪げに見下ろしてきたのは少し腹が立つけれど、朱華が望んだ言葉を返してくれた。

 恐らく炎俊には《闘神》の《力》も備わっている。だから、女にしては、そして細腕の割には力が強く、多分朱華を抱え上げるくらいは造作もない。でも、炎俊の手を借りて立ち上がる振りで、朱華はこれまた大げさによろめいて見せた。


「あ……」

「と、陶妃様……」


 朱華は()()()()()()繍栄に縋る。もちろん、動揺しきりの老女に体重を掛ける訳にはいかないから、絹の衣装の下では筋肉が攣って少し痛い。まあ、数秒なら耐えなくては。朱華は心身ともに健康そのものなのだから。


「……ごめんなさい、繍栄。手を貸して……支えてくださる……?」


 炎俊の方をちらりと見ながら侍女の名を口に出せば、()の眉が軽く上がるのが見て取れた。炎俊は、《時見》で繍栄の顔を視ているはずだ。こいつのことだから他所の宮の使用人の顔を一々気に留めたりはしないかもしれないけど──名前を聞けば、さすがに気付いてくれるだろう。

 果たして、炎俊は朱華ごと繍栄を抱え込んだ。不意に貴人に触れられた繍栄は小さく悲鳴を上げたし、朱華の方も、繍栄に炎俊の身体のこと──特に、胸の柔らかさ──が気付かれないかどうか、気が気ではなかったけれど。幸いに、皓華宮を訪ねるために盛装した炎俊の身体は、重く硬い刺繍を施された何重もの衣装に鎧われていた。


「兄上、申し訳ないが雪莉がこの有様だ。一旦出直すこととさせていただきたい。この者もお借りさせてください」

「その者は……だが──」

「誠に申し訳ない。失礼する」


 繍栄が佳燕の側近なのは、翰鷹皇子も承知しているはず。戸惑うような声を上げたのは、証人だか人質だかが連れ去られるのを良しとしなかったから、だろうか。でも、翰鷹皇子がはっきりと嫌だと言う暇を、炎俊は与えなかった。朱華も、今にも倒れそうな体を装って繍栄にしがみついていた。当の繍栄には、皇子たちに逆らって物申す度胸があるはずもないし──先の朱華の言いつけが、彼女を縛っているはず。

 と、いう訳で。朱華と炎俊は、繍栄を連れて皓華宮を後にすることに成功した。




 星黎宮に着いた炎俊は、気楽な格好に着替えるなり朱華を問い質した。


「──で、あの侍女は何を言っていたのだ」

「心配して欲しい訳じゃなかったけど、全然心配しないのね」


 同じく普段着に着替えた朱華は、念のために苦情を言っておくことにした。仮病だと分からないようだったらそれはそれで心配だけど、それでもひと言くらいは労いの言葉があっても良い気がする。


(あ、でも私もか……)


「あんたも、疲れたでしょ。あの皇子サマとふたりきりで、()()視させられて……」


 取ってつけたようだな、とは自分でも思ったけれど。一応、相手への気遣いを示すと、炎俊は例によって淡々とした表情で首を傾げた。


「うんざりはしたが、疲れてはいない。同じ部屋の、たかだか数日の間のことだからな。《時見》としては簡単なものだ」

「あっそう……」

「そなたも疲れてはいまい? 碧羅宮でも切り抜けたのだから」

「それはまあそうなんだけど、こういう時は声を掛けてあげた方が臣下も喜ぶと思うわ」

「そういうものか」


 炎俊が頷いたのは、どう見ても取り合えず、でしかなかった。けれどこれもいつものこと、そのうち分かるだろうと期待するしかない。それに、今はもっと大事なことがある。朱華は紫薇(しび)が淹れた茶をひと息に干してから、切り出した。


「皇子サマの寝室でも、収穫はなかったでしょ?」

「うむ。兄上から聞いたことの裏付けが取れたというだけで。白妃は懸命に他の妃を勧めているのに、兄上は聞く耳を持たないのだ」

「繍栄もそう言ってたわ」


 ちなみに、その繍栄は別室で休ませている。朱華の炎俊に対する口の利き方は、他所の宮の者には絶対に見せられないし聞かせられない。あの侍女を星黎宮へと連れ出したのは、これ以上話を聞くことが必要だからというよりは、朱華に何を話したかを翰鷹皇子に知られないためだ。あの方が全ての真実を知るのは──多分、まだ早い。もう少し事態を整理してからでないと、とても説明することはできないだろう。事態の整理も説明も、どうして朱華たちがやらなければいけないのかはさっぱり分からないのだけど。


「白家の思惑については? 白妃をどのように隠したかは知れたか? 私から働きかける余地があれば良いのだが」

「それなんだけどね……」


 こいつはどんな顔をするだろう、と思いながら朱華は小さく溜息を吐いた。怒るか、驚くか、その両方か。少しだけ、ほんの少しだけ炎俊が狼狽えたところを見てみたい気もするけれど、結局宥めて話を進めるのが自分の役目だと思うと、やはり憂鬱さの方が勝る。それでも、言わないことには始まらない。


「白家は()()してないんだって。佳燕様がいなくなったことに、白家は関係ないの」

「何……?」


 ゆっくりと瞬いた炎俊が気を取り直すまでの間に、朱華はもう一杯茶を啜り終えていた。


「だが、他の娘を引き受ければ白妃を返すと言ったのではないのか」

()()()()()のよ。三の君様が勝手にそう思っただけで」


 先ほど、皓華宮で繍栄を問い質したのと同じやり取りを、立場を変えて繰り返すことになる。何を言うかに迷うことはないけれど、虚しさはある。皓華宮に足を運んだのは──繍栄と会えたことを除けば──無駄だったようなものなのだし。翰鷹皇子の思い違いに、まんまと振り回されたことになる。


「ただでさえ、日頃からうちの娘を、って言ってたんだもの。本当にたまたま……間が、悪かったのよ」

「では、白妃を攫ったのは何者だ? 実家によることでないならば看過できる事態ではない」


 炎俊が眉を寄せて声を尖らせたところさえ、朱華は既に通り過ぎている。


「あのね、佳燕様はご自身で姿を隠されたの。……ご夫君から、逃げたのよ」


 考えてみれば──というか、翰鷹皇子を見ていれば、気付いて当然のことだったかもしれない。


(まあ、気付いたからって何ができたとも限らないんだけどさ……)


 険しい表情のまま、けれど呆然と固まってしまった炎俊を前に。朱華はまたひとつ溜息を零すと、繍栄から聞いたあの日の顛末を語り始めた。あの日──翰鷹皇子が主張するところの、佳燕が消えた日のことだ。

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