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炎華繚乱 昊耀国女帝伝  作者: 悠井すみれ
燕はどこへ消えた
33/74

11.《力》ある《力》なき者

  翰鷹(かんよう)皇子を見送った炎俊(えんしゅん)は、深々と溜息を吐いた。


「面倒なことになったものだ」


 この()のことだから、朱華(しゅか)の進言が気に入らないなら遠慮なく撥ねつけただろうし、兄皇子に対しても怯まず毒を吐いたのは目の当たりにしたばかり。だから、妃探しも皓華(こうか)宮への訪問も、本当に嫌なら断っていたはずだろう。そうは分かっていても、一応は夫である相手の渋面は朱華を動揺させた。半ば強引に話をまとめた自覚があるから、思わず言い訳めいたことも口にしてしまう。


「で、でも、佳燕(かえん)様を見つけられたらこっちにとっても得……なのは間違いないわよね? 三の君様には恩を売っておいた方が良いわよね?」

「仮に首尾良く行った場合でも、(はく)妃をあっさり兄上に渡したくはないな。せめて、帝位争いからは手を引くことを改めて約束していただかなくては」


 うっすらと、炎俊の口の端に浮かんだ微笑は、どこか寒々しくて怖かった。まあ、言っていること自体は妥当だとは思うけれど。妃さえいれば他はどうでも良いとまで言った以上は、至極簡単なことのはずだ。もしもその約束が成れば、炎俊の競争相手は上の皇子二人だけ、しかも彼らの知らないところで第三皇子の力添えも受けられるかもしれない。あくまでも上手くいけば、の皮算用でしかないけれど――その未来を引き寄せるために鋭意努力するしかない、のだろう。《時見》によってさえも、未来は変わるものだというらしいから。


 紫薇(しび)が淹れ直した茶を啜ると、喉が乾き切っていたのに気づかされる。初めて会う貴人に、予想を裏切られる用件に、押し付けられた難題に。翰鷹皇子の、佳燕の溺愛振りにもあてられただろうか。ほぼひと息に茶器を干したところで、朱華はしみじみと呟いた。翰鷹皇子とのやり取りを反芻する余裕も、やっと出てきたということだろう。


「あんたにも人の好き嫌いってあったのね……」


 しかも、仮にも目上の兄皇子に対して、あれほど反感をあからさまにするとは思わなかった。()のあの態度を咎めなかった翰鷹皇子は、やはり相当に心が広いのかもしれない。佳燕探しを依頼するのに、炎俊の機嫌を損ねたくないということもあったのだろうけど。

 朱華と同じく茶を飲み干していた炎俊も、少しは気が落ち着いたようだった。いまだ眉を顰めてはいたけれど、不機嫌の表明というよりは先ほどの言動を自省しているように見えなくもない。実際、傍目に心配になるほど兄皇子に対するこいつの態度は悪かった。


「翰鷹兄上が帝位争いに興味がないのは本当だろう。皓華(こうか)宮を取られたのでさえ意外に思ったくらいだ。白家に(つつ)かれて仕方なく、だろうとは考えていたのだが――本当に、妃可愛さだけが理由だとはな」


 いつもの淡々とした口調のようでいて、どこか弁解するような気配があるのがおかしくて、朱華は少し笑う。真面目な彼女には、翰鷹皇子の物言いが許せなかったらしい、と考えたのが当たっていたなら嬉しいくらいだ。良くも悪くも、彼女たちは夫婦として足並みを揃えることができつつあるのかもしれない。

 それに、皓華宮を取られる、という表現にも興味を惹かれた。帝位を争う皇子の序列は、宮の名で並べれば碧羅(へきら)辰緋(しんぴ)、皓華、そしてこの星黎(せいれい)と続く。場合によっては、朱華は違う宮に迎えられていたということもあるのだろうか。


「宮の順番って、やっぱり大事? ひとつでも上の方が良かったんだ?」

「星黎宮からも皇帝が出た(ためし)はあるから、気にする必要はないのだろうが。だが、そうだな……最初の立ち位置が良いに越したことはなかったな」

「ふうん」


 黒を基調にした星黎宮を手本に考えれば、皓華宮は多分白っぽい建物なのだろう。明るくて良いのか、こちらの方が落ち着くのか、朱華にはまだ分からない。まあすぐに分かることになるのだから、今考えても仕方ないのだけど。


「またお衣装を考えなければなりませんね。急なことで――おふたりとも、お疲れでしょうに」


 そう呟きながら、紫薇は餌付けのように新しい菓子を出してくれた。糖蜜にたっぷりと浸した焼き菓子だ。指や襟元を汚しかねないから、客にはとても出せないような、甘ったるい菓子だ。でも、脳と喉を焼く強い甘みが、今はありがたい。


「こうなった以上は早く済ませたいから仕方あるまい。視えるかどうかは分からないが――皓華宮を見てみれば、白妃をどのように隠したかの手掛かりは分かるかもしれない」


 翰鷹皇子の依頼に役に立つとしたら、炎俊の《時見》の力の方だろう。佳燕がどこに、どうやって攫われたのか、今の居場所の見当なりとつかないことには、朱華の《遠見》は役に立たない――と、思ったところで、朱華は首を傾げる。


(あれ、でも私の出番ってあるのかしら……?)


 攫われた佳燕は、いったいどこにいるのだろう。自力で出てこられないとしたら、監視されているのか閉じ込められているのか。いずれにしても、白家にまともに考える頭があるなら、《力》を避ける呪を施した場所や建物を選ぶのではないだろうか。


「ね、佳燕様が白家のお屋敷のどこかとか、白家が持ってる別荘とかに閉じ込められてたらどうするの? それじゃ視えないんじゃない? っていうか、私たちが口を挟んだら怪しいわよね?」

「……皇宮そのものから人ひとりを連れ出すのはさすがに難しい。白家ならば不可能ではないかもしれないが、兄上が折れた後は白妃を返すつもりではあるのだろう。ならば、不自然な出入りを繰り返すのは危険が大きいと考えるかもしれぬ」

「じゃあ、天遊林(てんゆうりん)のどこか……?」


 それなら翰鷹皇子が自ら骨身を惜しまず捜し歩いて欲しい、と思いながら朱華は炎俊に尋ねた。白家の他の姫の部屋――は、さすがにすぐバレてしまうかもしれないけれど。炎俊が答えてくれたのは、歯が痛くなりそうな甘い焼き菓子を、またひとつ憤然と平らげてからだった。


「兄上の麾下には《遠見》や《時見》はいないのだろう。少なくとも、妃の実家も絡んだややこしい話を打ち明けて協力を仰げる者は。もしいるなら、他所の宮に身内の話を持ち込むはずがない。だから、白妃を置いておく場所は呪で隠されてはいないかもしれない、とは期待できる」

「ああ……白家もその辺は分かってるでしょうしね。それに、普通の建物の方が場所を選ばなくて済むのかしら。要は人目につかなかったり、お姫様がいるとは思われないようなところなら良いってことだから……」

「結局のところ、見当が全くつかなければ《遠見》もさほど役に立たないからな。皇宮の建物や庭の陰のひとつひとつを視ていくなど無駄も良いところだ」

「探すのが人間ひとりだからね……」


 佳燕の華奢な姿を思い浮かべて、朱華は呻いた。《遠見》を使ったところで、そして意味ありげに隠された女を見つけたとして、顔を正面から視なければ探す相手かどうか確かめられないのではないか、と気づいたのだ。後ろ姿や肩の線で佳燕だと言い当てるのは――翰鷹皇子ならいざ知らず――朱華には無理だ。だから、皇宮を虱潰しに《遠見》で視て回るのは現実的ではない。


「面倒だと言った理由が分かったか」

「うん……ごめん……」

「引き受けた以上は致し方ない。兄上に恩を売るためにも最善を尽くす」


 今さらながらに事態を把握した朱華に、炎俊は据わった目で不遜なことを口にした。兄皇子に対しての非礼は咎めておくべきなのかもしれないけれど、生憎、気持ちも分かってしまうだけに言いづらい。決めたのは最終的には炎俊とはいえ、朱華も確かに後押しをしてしまっているし。


 間を持たせるために菓子をもうひとつ食べておくか、と思っていると、紫薇がごく控えめに口を挟んだ。


長春君(ちょうしゅんくん)様、白家は《時見》の家だったかと思いますが、間違いございませんでしょうか」

「そうだが……?」


 問われることもないのに紫薇が声を上げるのは珍しい。朱華がそう思うくらいだから炎俊はなおさら、だったのだろう。首を傾けた炎俊の表情は、どこか子供っぽくも見えた。


「皓華宮の御方は、白妃様は妃になるために育てられた姫君ではないと仰っていました。それが、私と同じような事情であるなら、守られていない場所にずっといらしゃるのは大変お気の毒かもしれません」


 紫薇の事情、と言われても朱華には何のことだか分からない。でも、炎俊が息を呑む気配で何かよほどのことがあるのだとは察せられた。だから不安で――怖くなる。炎俊が眉を寄せて、何かを考える顔つきを見せるのが、益々落ち着かない。


「……まさか。白家の者も()()()()者の扱いは心得ているだろう」

「はい。そう願いたいとは存じます。ですが、どうやら乱暴な手段に訴えるお家のようですから――出過ぎたこととは存じますが、つい……心配で」


 深く溜息を吐く紫薇の顔は憂いに満ちて悩ましげで、朱華の心を波立たせる。この侍女のことを多くは知らないけれど、炎俊以外の者のことを真摯に案じるのは意外だった。そうまで言わせる何が、佳燕と紫薇とに共通してあるのか――疑問の表情を汲んでくれたのか、紫薇の目が朱華に向けられ、そして悲しげに微笑んだ。


(とう)妃様にはお分かりになり辛いことと存じますが、《力》がない者にも色々ございます。《時見》や《遠見》なら、単に何も視えないだけならば良かったのですが」

「視えるのに、《力》がないってこともあるの?」

「はい。だって、視ることはできても、いつの時代のどの場所なのか、分からないのですから」


 天遊林で会った、炎俊が言うところの雑草の姫たちのことなら、分かる。でも、紫薇は彼女たちのような愚かさとも高慢さとも無縁に思える。どういうことか、と。疑問を込めて紫薇と炎俊とに交互に目をやると、主従は順々に口を開いて答えてくれた。


「紫薇は視るだけならば百年の時を越えることもできる。ただ、自身の意思で決めた時と場所を視ることはできない――むしろ、不意に過去や未来の情景に襲われる、のだとか」

「視たくないものばかりが見えるのですわ。親しい人の老いた顔に、恐ろしい病や怪我に見舞われる姿。いつかの時代の戦いや、毒を呑んで倒れた者や、無念を抱いて死んだ者。嵐でも火事でも、大勢の人が玩具のように流されたり燃えてしまったり……!」


 何かに取り憑かれたように自らの身体を掻き抱く紫薇に、いつもの控えめな優しさは欠片もなかった。呪で《力》を封じられた宮の中だというのに、見開かれた目は彼方の時にあった、あるいはあるかもしれない惨劇を視ているかのよう。


(ああ、そうか……宮の中なら……)


 紫薇の言わんとしていることが、不意に朱華の腑に落ちた。それに、ずっと心の片隅に懸かっていた、炎俊がこの侍女を信用する理由も、分かった気がする。


「そういう……嫌なことや怖いものを視ないためには、貴女は星黎宮(ここ)から出られないのね……?」

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