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炎華繚乱 昊耀国女帝伝  作者: 悠井すみれ
天遊林の日常
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11.争いの在り方

 (えい)州の《遠見》を成功させた後は、朱華(しゅか)はほとんど微笑む置物として過ごした。炎俊(えんしゅん)と官吏たちが熱心に議論を戦わせるのを横目にして。彼女の知識では口を挟む隙を見つけることはできなかったからだ。

 武官である例の(さい)弘毅(こうき)も、朱華同様に置物に徹していた。といっても退屈を持て余す風ではなく、炎俊の顔を熱心に、食い入るように見つめていたから偉いものだ、と思う。もちろん朱華も熱い目線を夫に向けている――演技を、しているのだけど、蔡弘毅の方はどうなのだろう。忠誠の表れか、存在を誇示しようという意図なのか、それとも――


(男が好きな男も、そりゃいるけどさ……)


 炎俊を見つめる蔡弘毅という男の眼差しは、演技も打算もなく熱いような気がする。まるで、恋でもしているかのように。その手の趣味の男の存在は娼館で見聞きしたことがあるし、炎俊は見た目は線が細い白皙の青年だから騙される者もいるかもしれない。()()()()感情ゆえの忠誠なのだとしたら腑に落ちもする。炎俊が見抜いた上で登用したなら慧眼でさえあるかもしれない。そうすると、蔡弘毅がひたすら気の毒に思えてくるけれど。手練手管で貢がせるのは娼婦もそうだけど、忠誠を貢がせる()に引っ掛かってしまうなんて。


 まだよく知らない相手のことを勝手に哀れみながら、朱華はひたすら微笑みを浮かべ続けた。




 星黎(せいれい)宮に戻る輿(こし)は、炎俊と同乗することになった。


「重くはないでしょうか……?」

「女ひとりが増えたところで何も問題はない。そなたなど羽根ほどにも感じないであろうさ」


 平伏する担い手の宦官たちを見下ろしながら、炎俊はこともなげにそんなことを言う。そういう炎俊自身だって、さほどの重さはないだろうに。でも、この女が自身を女に数えないのにももう慣れてきた。だから異を唱えることで時間を無駄にしたりはしない。


「……では、失礼いたします」


 一応は宦官たちを気遣ってそっと腰を下ろした朱華とは裏腹に、炎俊は遠慮なく輿に乗り込んできた。ふたりが乗っても、確かに内部には十分な余裕があって、せいぜい衣装の袖が触れ合うくらいなのは良かった、のだろうか。それでも、閨の中よりもよほど狭い空間にふたりきりだから、少々落ち着かなくはある。

 外の者の目と耳を遠ざける帳が下ろされると、炎俊は朱華の頭をぽん、と撫でた。官吏たちを下がらせて、これから宮に帰るだけとなった今は、髪型が崩れるのを心配する必要もないのだけど、でも、やっぱり犬の仔扱いされている気がしてならない。


「宮まで眠っていると良い。あちこち視たから疲れただろう」

「別に、大丈夫よ。あんただって同じじゃない」


 輿は既に動き出し、規則正しい振動が朱華を揺らしている。言われてみれば、ふかふかとした座席に座り込んだまま動きたくない、というような疲れもあるし、眠気も忍び寄ってきている。けれど朱華は気力を振り絞って首を振った。だって炎俊は涼しい顔をしているのだから、自分だけ寝るのは何だか悔しい。寝顔を見られるのは、閨の中だけで十分だ。


「強がりでないなら頼もしいことだ。(とう)家ではせいぜい絵札当てしか教えられなかったのだろう?」

「まあね。でも、さっき言った通りよ。視ようと思えば視えるんだもの、大丈夫だって」


 《遠見》に拠らずとも、炎俊は朱華の内心を見透かすことができているに違いなかった。彼女を見下ろす微笑みは、称賛するより面白がる色が濃かったから。無理をするな、とでも言いたげな表情には反発もあるけれど――でも、噛みつくより先に言うべきことがあると、朱華はちゃんと覚えている。


「……遠くを視られたのは楽しかったわ。ああいう見方もあると教えてくれて……ありがとう」

「自在な《目》を持つ者は私にとっても貴重だからな。楽しめたなら何よりだ」

「今日集めた人たちだけじゃなくて、役人は沢山いるんでしょ? 私の出番ってあるの?」


 炎俊の政策は、誰でも同じように視ることができるようにすること、つまり、《力》の強弱に関わらず一定の質で情報を集められるようにすること、らしい。

 朱華が永州までの(しるべ)として辿った石塚も、まさにその一環で設置されたものだとか。どうやら並み程度の《遠見》だと距離や方角を把握するのが難しいのは本当らしい。でも、たとえ自身が視たのがどの場所か確信が持てなかったとしても、《遠見》の視界に目印を見つけることができれば特定はぐんと楽になる。

 朱華には信じられないけれど、厄介なことに《力》の弱さを恥じてもっともらしい嘘を拵える者もいるという。そういう場合にも、第三者による検証がしやすくなるのは確かに利点だ。


 炎俊と側近たちは、皇都と通じる街道に限らず、州内のあちこちに塚を建てる予定なのだという。《時見》の者たちのためには、月や日によって異なる色と意匠の旗を掲げることも炎俊たちは検討していた。もちろん費用も手間もかかるから、効率とも相談しつつ様子を見ながら、ということだけど。


「あと、名家の方々の出番も。……試挙(しきょ)出身の人たちや下級官吏は多分あんたを歓迎するんでしょうね。でも、歓迎()()()人たちも、大勢いそう」

「私は賢い妃を持ったようだ。幸せなこと」


 炎俊が本心から言っているのではないのは明らかだから朱華は眉を顰めた。否、本心なのかもしれないけれど、子供が簡単な計算をこなしたのを褒めるような物言いだからなお悪い。この程度の考えも働かないと思われているなら、随分と舐められたものだ。朱華自身の――ひいては雪莉(せつり)の身の安全にも関わることなのだから、気になって当然のことだ。

 だから、また犬の仔に対するように頭を撫でようとしてくる手を避けて、夫である相手を睨む。身動きするのは、輿の担い手たちにとっては迷惑だったかもしれないけれど。


「誤魔化さないでよ。今はまだ四番目だから相手にされてないのかもしれないけど。ずっとその位置にいる訳にはいかないんでしょ?」

「そう、確かに。名家と呼ばれる者どもは、力を削がれる恐怖を感じるかもしれないな」

「じゃあ……!」


 碧羅(へきら)宮で会った妃たちの、美しくも底が見えない笑みを思い出すと朱華の体温は一気に冷えた。今はあの方々も炎俊を好意的に見ているようだけど、夫君や実家を脅かす存在と見做されたらどうだろう。


(どうしてそう他人事みたいに言えるのよ……!)


 炎俊が平然とした笑みを崩さないのが不思議でならない。自身の危険はもとより、朱華も陶家も巻き込むかもしれないのに、どうして悪びれた風も見せないのかも。皇族というのが人に頭を下げないものだとしたら、やっぱり朱華はこの女を信用することなどできそうにない。


 朱華の目が険しくなったのに気付いているのかいないのか、炎俊は顔を前に向けたまま唇を動かす。目に映るのは帳に折り込まれた紋様だけだろうに、朱華には見えない景色が見えているのだろうか。そうだとしたら、《遠見》や《時見》によるものではなく、この女が思い描く国の未来だとか(はかりごと)の絵図なのだろう。つまりは、朱華にはどうやっても窺い知ることができないものだ。だから、その片鱗なりと掴もうと、朱華は()の横顔に目を凝らした。


昊耀(こうよう)の歴史は血腥(ちなまぐさ)いものでもある。帝位争いの形が変わったように、先人は一応の対策も考えてはいる」

「対策って?」

「四つの宮を占める皇子のうち、誰かひとりでも欠ければ全ての宮の主を入れ替えることになる」

「へ……?」


 ひと言も聞き漏らすまいと神経を尖らせていたはずなのに。炎俊の言葉を理解しかねて、朱華は自分の耳を疑うことになった。炎俊は第四皇子と聞かされていて、つまりは皇帝の四番目の()()だとごく自然に理解していたのだけど。この言い方だと――


「……皇帝の子供って四人だけじゃないの!?」

百花園(ひゃっかえん)を設けておいて、それだけなはずがないだろう。顔も名前も曖昧だが、()()を待っている人数は両手の指では足りないはず」


 ちょうど良くと言うか悪くというか、輿が急な角を曲がり、朱華は身体の均衡を崩して炎俊に身を寄せる格好になった。邪魔そうに身体を押し退けられながら、間近に迫った白い顔を睨め上げる。


「聞いてないんだけど!」


 輿がどこを通っているか、朱華は知らないし視ることもできない。だから一応は声を潜めて、それでも精一杯不快と憤りを声と目線と表情に込めた。炎俊は軽く肩を竦めただけだったけれど。


「身代わりの姫になど大して期待していなかったのだろうな。とはいえ義姉(あね)上方ならともかく、百花園の雑草どもならばそなたの知識と大差ないはず。要は見た目さえ美しければ良いのだから」


 百花園にたむろしていたような女たちと妃たちでは格が違う、と。朱華も考えたのは当たっていたらしい。でも、喜ぶことなどできるはずがない。朱華は雑草扱いされていたのだから。そして、その程度の知識しかないのに繚乱たる花々の間で競わなければならないのだから。

 暗澹として目眩がしそうな気分を味わいながら、朱華は炎俊を問い質した。


「……欠ける、っていうのは!? 死んだら、ってこと?」

「そうだ。対立する兄弟の手によって殺されたと自然に考えられるためだ。肉親殺しの疑いがある者に帝位を渡す訳には行かぬ」

「事故や病気でも?」

「そのように仕組まれた恐れもあるからな。そもそも四人に選ばれる時点で心身共に健康でなければ務まらぬ」


 輿の振動と、炎俊が纏うほのかな香を感じながら、朱華は瞬いて沈思した。炎俊が語るのが真実ならば、随分と()()()倣いのように思える。皇子たちが骨肉の争いを繰り広げることがないように、との意図なのだろうから。


「じゃあ――」

「とはいえ反逆はさすがに話が別だ。過去には、簒奪を目論んだ皇子が処刑された例もある」

「そ、そうなの……」


 炎俊の()()がバレても大したことにはならないのではないか、と聞こうとしたのを先回りされて、朱華は口を(つぐ)むしかなかった。女が皇子を名乗っているのは、叛逆に相当するのだろうか。妃やその実家にも累が及ぶような罪と見做されるのだろうか。前例があるか否かを尋ねるのは、揺れる輿の中では憚られた。厚い帳はふたりの声を吸い込んでくれるのかもしれないけれど、宦官たちの耳目がすぐ傍にいるということなのだから。第一――前例がないのだとしたら、皇帝や他の皇子たちが目溢ししてくれる方に賭けるのは分が悪い。


「そなたの力が必要になるとしたら義兄(あに)上たちとの牽制のし合いにおいて、だろうな。義姉上たちと会って分かっただろうが、中々厄介な方々だから」

「……ええ。それは、すごくよく分かったわ……」


 何だかんだで、炎俊は聞いたことには答えてくれたらしい。どうして朱華が必要なのか。何をさせるつもりなのか。絶対に順番は間違っているし、知識が増えても全くと言って良いほど喜びも満足感もなかったけれど。

 結局、朱華と炎俊が秘密で縛り合った関係だということに変わりはないのだ。そして関係を進めて信頼し合えるかというと――どうだろう。まだ、朱華が知らないことが多すぎるのではないかという気がしてならなかった。


「……やっぱり、少し寝るわ……」

「そうすると良い」


 急に疲れが押し寄せた気がして呟くと、炎俊は少し笑ったようだった。朱華はもう目を閉じて、相手の顔も見たくない気分だったから、分からないのだけど。

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