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炎華繚乱 昊耀国女帝伝  作者: 悠井すみれ
天遊林の日常
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5.本当の力試し

 夫のもとに運ばれるための輿(こし)をひと目見て、朱華(しゅか)は呆れの声を上げた。


「これは、どう見ても人が乗っているでしょう?」


 政務のために皇宮の表で夜を明かした炎俊(えんしゅん)の元に、着替えを運ぶのだと聞かされていた。その荷物に紛れる形で、彼女は天遊林(てんゆうりん)を出ることができるのだ、と。だからこそ崩れにくい髪型にしてもらったのだし、きっと荷車のようなものに押し込められるのだろうと想像していた。


 なのに、身支度を整えた彼女の前に運び込まれたのは、瀟洒に飾り立てられた肩輿(けんよ)だった。文字通り、下官が肩に担ぐ形のもので、貴人の移動に用いられるものだ。どう考えても、単に荷物を運ぶためだけに持ち出すものではない。

 艶やかな黒檀を使っているのは、北方の黒を基調にした星黎(せいれい)宮に属するものと示すためだろうか。装飾に使われた金銀も(いぶ)した控えめな色合いで、煌きよりは精緻な細工によって贅を凝らしているようだった。

 中を隠す幕に施された細やかな刺繍は、例によって《遠見》や《時見》を避けるための呪を兼ねている。とはいえ、それは厚めの布きれでしかない。力に頼らなくても、太陽の光の下で目を凝らせば、人が乗っているかどうかは傍目にも丸わかりだろうに。


(そりゃ、皇族の輿を立って見ることができる奴なんてそういないだろうけど……!)


 仮にも後宮の一角から、皇子のとはいえ妃が軽々しく出ても良いものなのか。不信と不安に眉を顰める朱華に、紫薇(しび)はきっぱりと首を振った。相変わらずおっとりとした微笑みに、言葉遣いもごく丁寧なものだったけれど。


「いいえ、長春君(ちょうしゅんくん)様にお着換えをお届けするだけです。長春君様が表にいらっしゃるのに、こちらからの輿に乗る者などいるはずがございません」

「……そういう()だということなのね?」

「皇宮での倣いでしたら、このような端女(はしため)ではなく、ご夫君様に聞かれた方がよろしいかと存じますわ」


 朱華がじっとりと睨めつけても、侍女の笑みは変わらない。後宮の暗黙の了解については、使用人の立場からは明言しかねる、ということらしい。


「さ、(とう)妃様。尊い御身に荷物持ちなど、大変心苦しくはあるのですが」

「私はこの輿には乗っていないわ。必要なものを届けさせるように手配しただけで。私は星黎宮に留まっていて、我が君のお帰りを待っている。そういうことでしょ?」

「はい。それ以外のことはあるはずがございません」


 炎俊に着替えを送るという話自体は本当らしい。ただし、他は嘘ばかりだ。朱華に布の包を手渡しながら、紫薇は白々しく建前の筋書きに頷いてみせた。


(政務をしながら女を侍らせる皇子もいるということだったわね……)


 つまりは、そういうことなのだ。後宮から女がそうそう出られるはずがないだろう、と朱華が考えたのは間違っていない。一方で、貴人に女を届けるのが滞っては不興を買いかねないし、多くの場合、女の方も易々と咎めることができない身分だろう。だから、皇宮の者たちは見て見ぬ振りを貫いてくれるということだ。


「《目》があったところで見えないことも多いのね、ここは」


 天遊林で《遠見》が利かない場所が多いのには慣れてきていた。貴人の私事に関わる部屋や建物に呪が施されているのは、朱華自身も利用できる隠れ蓑でもある。でも、例え《力》を発揮することができる場所だったとしても、()()()もの、見えたものをそのまま口にして良いとは限らないらしい。全く持って面倒だし――恐ろしいところだと、改めて思う。


「さようでございますね」


 しみじみと呟くと、紫薇は笑みを深めて頷いた。よく気づいたと、褒めてくれるような表情だった。少しずつ授業をしてくれているのだとしたら、この侍女も炎俊(あるじ)同様に結構な食わせ物かもしれない。


「ですから、いつどこで、何を視るべきかも、長春君様が教えてくださることでしょう」


 そして、これだ。紫薇はどうもあの皇子を高く買っているらしい。あるいは、朱華と仲良くさせたがっている。たとえ相手があの()でなくても、夫を信じるとか心を通わせるとか、そんなことは考えたこともなかったのだけど。だって、正体を隠して取り入るのに、心を許すことなどできるはずがないのだから。


(でも、大分思ったのと違うことになっているし、ね……)


 秘密を共有している、とは言うまい。朱華の秘密を暴いた上で、自身の秘密を強引に握らせるのが炎俊のやり口だった。選択の余地もなく引きずり込まれたのは、決して嬉しくもなんともないのだけど。でも、炎俊のお陰で(とう)家の操り糸から逃れることができたのも否定できない。


「そうね。心得というものをお聞きしてきましょう」

「はい。どうぞお気をつけて、行ってらっしゃいませ」


 不承不承ながらも頷いて見せると、紫薇は大層嬉しそうに笑っていた。




 朱華を乗せた輿は、何度も角を曲がり、時に坂をや階段を上下しながら進んでいるようだった。最初は頭の中に地図を描こうとしていた朱華も、すぐに諦めた。どう考えても、輿が辿る道のりは効率的に最短距離を行っているのではないようだったから。どうも、輿に乗る者を惑わせ、居場所を分からなくさせるようにしているとしか思えなかったから。


(これも、一種の用心なのでしょうね)


 皇子に侍るような女でさえも、完全に信用されてはいないのだろう。だって、仮にその女の皇子が帝位争いに敗れたとしたら、夫君を退けた別の皇子に仇なそうとしてもおかしくはない。女自身にその気はなくても、夫たる皇子が命じることだってあるだろう。だから、皇宮を移動する際は呪で《目》を封じた上で、内部の造りを記憶することも妨げているのだ。


 道を覚える努力を放棄すると、後は輿の揺れに身を委ねるしかなかった。担い手たちはどれも屈強な宦官で、角度のある坂でも危うさを感じることがないから良い。時おり輿が止まり、微かな人声が聞こえるのは、皇宮のあちこちにあるという門で止められているのだろう。星黎宮からその主のもとへ向かう輿が怪しまれるはずもなく、毎回ごくわずかなやり取りで進む許可を得られているようだったけれど。


 だから、無駄に曲がりくねりを繰り返した他は、多分順調な道のりだったのだろう。ついに輿が止まると、外から聞き慣れてしまった声が朱華に呼び掛けた。


「窮屈な思いをさせたな。()の我が宮へよく来てくれた」

「我が君……」


 宦官が幕を巻き上げた瞬間に、朱華の視界は晴れた。輿が置かれたのは、緑茂る院子(なかにわ)だった。肩から重荷を下ろした宦官たちが、皇子とその妃のために平伏している。目の前の炎俊が手を差し伸べているのは、輿から降りるのに縋って良いということだろう。でも、もちろん朱華の《目》が見るのは眼前の光景だけではない。


 院子を囲む建物の広さと間取りが、意識をすればすぐに朱華の頭の中に広がった。彼女にとっては炎俊の顔に焦点を当てるのと同じくらいに容易いことだ。それでも、ところどころぼやけて視えない場所があるのは、重要な書類を保管している場所とか、炎俊の私的な部屋ということだろう。朱華を迎えるためにか、茶菓の準備をしている様子の侍女もいれば、厨房で湯を沸かす下男は眠そうに欠伸(あくび)をしている。今いる場所、これから向かう場所の様子を事前に確かめられるのは朱華にとっては久しぶりで、ひどく安心するような感覚だった。それに――


(紫薇は人に会うから、と言っていたわね……)


 宮の中心部には、大きな卓を据えた大庁(ひろま)があった。その卓を人待ち顔で囲む者たちこそが、朱華が呼び出された理由、なのだろうか。外の連中に見られるからと、紫薇は気合を入れて彼女を装わせたのだ。その相手がどんな顔や服装や年頃なのか――《目》を凝らそうとしたちょうどその時、炎俊がぐいと朱華の腕を引っ張った。


「――見たか?」

「……はい」


 手を差し出されているのを無視していたのに痺れを切らしたのだろうか。よろめくように輿から引き出されると、悔しいことに炎俊の腕の中に収まる格好になった。端的に聞かれたことの意味は、くどくどと問い直すまでもない。常に油断することなく《力》を使うのは、朱華だけでなく炎俊の倣いでもあるはずだった。


「何人か、分かるか? 容姿は?」

「七人。文官の方が六人に、おひとりだけが武官のようですね。どなたもお若い――それに、権門の出身というようには見えないように思います。質素を好まれる方々なのかもしれないですけれど」


 見たものをそのまま口にするだけだから、朱華の言葉は淀みない。文官か武官の区別や年齢は、ひと目見れば分かることだ。ただ、出自や衣装の好みについては推測の域を出ないのだけど。


 ともあれ、朱華の答えは炎俊の意に適うことだったらしい。犬の子に対してでもするように、ぽん、と頭に掌が置かれる感触がした。


「さすがだな」

「恐れ入ります」


 紫薇が整えてくれた髪型が乱れるのを心配して、朱華は炎俊を軽く睨め上げた。けれど、例によって彼女の夫は女心に無頓着だった。妻を気遣う言葉などなく、試すような面白がるような笑みが降ってくるだけで。


「私が恃む者たちだ。察しの通り門地は低いが、それだけに《力》を見込んでいる。――それだけに、名家の姫の器を疑ってもいるようなのだが」

「では、あの方たちにわたくしの《力》をお見せすれば良いのですね」

「そうだ。できそうか?」


 挑発めいた問いかけは、見くびられているとしか思えなかった。だから朱華は唇に弧を描かせると、間髪を入れずに答える。


「ええ、もちろん」


 力試しなら天遊林でもさんざんやらされた。あの時、朱華の競争相手だった女たちは、嫌味ばかり達者で大した《力》を持っていなかったけれど――炎俊が認めた者たちが相手なら、きっと、もっとずっと歯ごたえのある遊びになるだろう。

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