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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

八岐大蛇 序章

作者: ソラナキ

「今宵は略奪成功を祝う宴じゃあ! 存分に呑み、喰らい、己が鋭気の糧とせよ! おまえたちの働きを、今後も期待しておるぞォ!」

『おおォォォォー‼︎』

 鬼どもの凄まじい怒声が、洞窟に響き渡った。

 此処は大江山。京の都からほど近く、ゆえに怪異が多く棲まう。この鬼どももその一派であり、首領に率いられ最近活気付いている盗賊団であった。

 その首領たる鬼は、全身が血のような赤色に染まり、樽ごと酒を呑んでいる。それを周りの鬼が囃し立てているあたり、頭領の酒呑みは名物のようだ。

 今しがた酒を呑み終えた頭領に、ひとりの鬼が近付いた。

 その鬼は一見人のよう。上等な着物を身に纏い、艶のある射干玉の腰まで伸びた黒髪と、豊満な肉体を持つ女の姿をした鬼。

 彼女——否、其れこそがこの鬼どもの副首領。名を茨木童子と言い、頭領の最も重要な家来である。

 茨木童子はその鈴が鳴るような、されど非常に艶かしいその声で、頭領を呼んだ。

「もし——酒呑さま」

「ん? なんじゃい茨木。儂は今忙しいぞ」

 そうおざなりに返した鬼こそが、この鬼どもの頭領、酒呑童子。今も酒を呑み馬鹿笑いし、それだけ聞けばどこぞの豪快な親父と思われるかもしれないが、これでもれっきとした妖である。それも京の都を恐怖に陥れている、大妖の一種なのだ。

「忙しい、なんて……ただ酒を呑んでいるだけではないですか。それのどこが忙しいのです?」

「ああ、うるさいうるさい。酒を呑むのが忙しいのじゃ。どうせおまえ、また儂に説教でもするんじゃろう? 宴会ぐらい楽しませろ」

 困ったような顔をする茨木童子。それを見たらしい配下の鬼が、ふたりを囃し立てるかのように笑い出した。

「おうおう、まぁた大将と姐さんの痴話喧嘩が始まるぞう! どーして素直になれないのかねえ!」

「貴様殺すぞ阿呆がァ!」

「ひえーっ、怖や怖や、許してくださいな大将!」

 洞窟に笑い声が響き渡る。酒呑童子も額に青筋を浮かべながらふんっと吐き捨てて酒を呑み始めた。

「だから話を聞いてくださいと……まったく、これだから酒呑さまは」

「ちぃ……これ以上はまた彼奴らが喧しいからのう。なんじゃい茨木、手短に済ませろよ」

 顔を綻ばせて「有難うございます」と告げる。照れ臭そうに頭を掻く酒呑童子をくすくすと笑うと、茨木童子はこう言った。

「酒呑さま。あなたは大江山に突如現れ、我ら鬼を平定し、それに留まらず盗賊団を結成して京の都を恐怖に陥れています。

 ……ゆえに疑問に思うのです。あなたは一体どこから来たのかと。私には、あなたの由来がわかりません」

 洞窟内が静まり返る。酒呑だけが居心地悪く酒を呑んでいて、荒々しく息を吐くとごんと音を立てて地面に樽を置いた。

「今更なんじゃい……わしの由来ィ? それ聞いてなんか意味があるのか。わしの過去なぞ、米俵でも手に入るのかァ?」

「そういうわけでは、ありませんが……いえ、良いのです。話したくないならば」

 茨木がはあと息を吐く。そのままちらちらと酒呑を伺い、またはあ……と長いため息を吐いた。

 一、二と、硬直した雰囲気が流れる。

「……ちっ、ああ、ああ! わかったわかった話してやる! こんなクソみてえな雰囲気の中で酒なんざ飲めねえわい!」

「まあ! ありがとうございます酒呑さま!」

 よく言うぜと配下の鬼から視線が集まる。逆らえないのを承知の上でこう言ったのだから、策士であることは間違いないだろう。

 茨木は視線を向けて彼らを黙らせると、酒呑に艶のある流し目を送った。

「急かすな……、ふん、まあ、そうじゃのう。まずここから話さねばなるまいか。

 わしゃあな、一応幼名がある。幼名は伊吹童子。意味わかるやついるかァ?」

 そう言うが、学のない鬼たちは首を傾げるのみ。

「伊吹……伊吹と言いますと、かの蛇崇拝の村でしょうか? かつて何者かに滅ぼされたと風の噂で聞きましたが」

 唯一反応した茨木がそう言う。その村は伊吹山の麓にあった村で、蛇を……それも荒神の類を祀っているとか、そんな噂がある村だ。

 酒呑は頭を掻くと、そうじゃと答えた。

「わしゃあそこの生まれじゃ。正確に言うとその村は、八岐大蛇やまたのおろちという化け蛇を祀っていた。まあ誰がどう見ても邪神の類じゃのう。忌まわしき神代かみよ化生かせいじゃ。

 洪水から生まれ、錬鉄に育まれ、大地から力を簒奪する反転した大地母神。蛇そのものと言える真性の化け物。そんな神を祀っていたのだから正気じゃあない。毎日毎日捧げものだの言って己が指を嚙みちぎり、ある納屋じゃあ男女で乱交騒ぎ。ある夫婦が蛇に還ろうだの言って殺し合っていたりもしたのう。汚らしくて反吐が出るわ」

 酒を呑み下し、酒呑は語る。

「地獄じゃったよ、あそこは。まさに魑魅魍魎の入った壺じゃ。互いに食い合って赤子を育み、狂いながらも命を尊ぶ。あそこまで行き着けば、もはや一種の異界じゃろうて。己の中に引きこもってるだけ、という点だけ見ればの話だけどなァ」

「随分、お詳しいのですね。それにあなたもその村の生まれなら、同じ狂気に呑まれていても不思議ではないのではないでしょうか」

 お気を悪くされたならすみません、と付け足す。しかし酒呑は気にした様子もなくこう言う。

「まあ、わしが普通の人間として生まれたならそうであったろうな。じゃがわしは、生まれついての魔。鬼として生を受けた。だからこそ、わしは狂気に呑まれなかった。

 まあそれは別にいいんだがの。……だが今でも気になっとるのが、わしを生んだ女のことじゃ。わしが京で盗賊団を作ったのは、その女のことを知るためだと言っても過言ではない」

 それに鬼たちがわずかに驚く。常日頃から悩みなどなさそうな豪快なおとこである頭領が、そんな目的を持っていたのか。

 茨木も例外ではなく、静かに目を見開いた。

「その女は、その村に生まれたひとりの狂人だった。同時に凄まじいほどの悍ましさと悼ましさを持った、その村の教主だった。

 こう語っておったそうだよ。私は、大蛇さまの御子を授かっているのだと。神代に私は、大蛇さまの肉であり血であったのだと。どう聞いても狂人の戯れ言、なれど不思議な圧があり、誰も女の言葉を無視できなかった。

 やがてひとりでに胎を膨らませ、ひとりで誰の力も借りずに子を産んだ。人ではない、本物の魔を。——それがわしだ、酒呑童子じゃ。

 いわば蛇の蘇り。神代の大化生……まあそう称されたのう。別にそれはどうでもいいんじゃがな、今でもたまに思い出すことがある。

 見たんじゃよ、昔から。断片的だったが、全身が包帯に包まれた女と、それに取り憑いた蛇のはなしを。あの女が語り、そして夢の中ですべて実際に見た。気色悪いという言葉さえ生温い、げに恐ろしきそのはなし

 さて、本当か嘘かは知らねェが——いっちょ、話すのも一興か」

 クク、と嗤う。

「果たして恋物語か否か、聞いて確かめてくれや。わしの根源、大元……わしを産んだ女の、妄執の如き物語を——」

 

 ——これより始まるは蛇と女の物語。純粋であることは間違いないが、されど善とは言い難く、悪とも断ずることはできず。

 泥ヶ(でいどろ)の闇に揉まれ砕かれ、その果てに何処へと消え逝くのなら、今此処に開くのも一興か。

 ゆえ、鬼の女とその配下どもは固唾を飲んで見守るのみ。酒呑は僅かに口角を上げて、己が知る物語を口に出した——

 

 

    ◇   ◆   ◇

 

 

「ほぉれ、勢いよく踏めよーっ! 手ェ抜いたら殺されるかんなァ!」

 威勢のいい男の声が、ふいごを踏む男たちの鼓膜に響く。それに負けないくらいの大きな叫びを返して、男たちは全力で鞴を踏んでいた。

 熱気渦巻くなんとやら、男たちにとってはそれすらも労働の後の酒の為の良い塩に過ぎなかった。上半身は着物を着ておらず、今も滝のように汗が流れ出ているというのに、その笑顔は実に晴れやかだ。

 彼らだけではない。他にもいくつかある踏み鞴では同じように汗水流して男たちが踏んでおり、なるほど実にやり甲斐のある仕事なのだと感じさせられる。

「いっち、にー、さん、しー! おらもう一回行くぞォ! せーの、おらァ!」

 そしてその中でひとり、号令をかける男たちがいる。彼らは、たとえるなら現場の監督のようなもので、皆がきちんとやっているか、サボってはいないかを仕事に参加しながら確認している。無論そんなことは誰にもできるはずがなく、優秀な実績があり、また並外れた体力がなければ到底務まらない仕事である。それでも給与はいいので、皆がこの仕事に就こうと頑張っているのが現状だが。

 その様子を見ている男がひとり。目は細く、大和人らしく髪は黒いが、目は烱々《けいけい》と金色に輝いている。また周囲の男たちに比べて妙に細い、といよりはしなやかで、普通の男とは思えない。

「あぁ、皆頑張ってくれているようだね」

 ねっとりした、妙な色気の漂う声。美声と言えるかもしれないが、一般的には粘着質と称される類の声だった。

 それに気付いたらしい休憩中の男が、手拭いで顔を拭きながらこう言う。

「へい、頭領。みんな頑張ってくれてて、良い感じに進んでます。んで頭領はなんでここに?」

「ん? ああ、なに、少々計算するのに疲れてね。ここに来ると気分が晴れるんだよ。君たちの働きは妹も良く知っている。蛇神さまも喜んでいるだろう」

「蛇神さまが? そりゃ嬉しいですわ。……でも、頭領の妹さんって、あんまり見たことないんですけど……」

 男の声に、頭領と呼ばれた男が苦笑いで返す。

「妹は、引っ込み思案だからね。それにこのたたら場の巫女として、神に仕える役目がある。そう人前に姿は見せられないさ」

「はあ、まあ、それなら良いんですがね。……頭領と一緒にこのたたら場を造った古参ならわかるのかねえ」

 頭領は彼らに笑いかけると、かつかつと歩いてたたら場を去る。足早に、静かに、着々と。

 

 ——其処はたたら場と呼ばれる、山をくり抜いて作った大きな製鉄所だった。木を燃やし、鞴を踏んで風を送り、その熱を以って鉄を作る。昼夜問わず、延々と、されど確かな実感がある、理想的な場所であった。

 男はそこの頭領をしている。男はこのたたら場を造った者であり、常日頃から経営で忙しい。しかし毎日、一日も欠かさずにたたら場を巡り、皆と挨拶を交わしているのだから、皆から慕われるのも当たり前であった。


 そんな彼には、妹がいる。頭領の妹となれば、見たことがある人間がいても不思議ではない。

 しかし誰も妹の姿を見たことはない。ただひとつわかっているのは、頭領の妹が此処で祀っている蛇神の巫女であること。それだけだ。

 

 たたら場を後にした男は、自らが住まう大きな屋敷に向かった。頭領であるので当然だが、その一部は常に開け放たれていて、普通に解放している。なので実際には男が貸し主の物件と言った方がいいかもしれない。

 男は家に入ると、入ってすぐそこにある階段を登った。きぃきぃと木で出来た階段が鳴り、登り終えればまたきぃきぃと、鶯張りの床が鳴る。

 煩わしくも思いつつ、口には出さずに廊下を歩く。もはや日当たらぬ周囲は暗く、ただ男の瞳だけが周囲を正確に捉えていた。

 そして男は、厳重に閉められた扉の前に辿り着いた。大して気負うこともなく、こんこんと軽い調子で扉を叩く。

「はぁい」

 そんな軽くも、少し妙な感じのする声が扉の奥から聞こえて、数秒後には重そうに扉が開く。実際、ぐぐ、ぎががと明らかに不吉な音が蝶番から漏れ出ている。

「あら、お兄様。どうなされたのです」

 そうして出てきたのは、端的に言えば非常に不気味なソレだった。

 全身ぐるぐる巻きの包帯、口や目は開いているもののよく見えない黒い孔が空いている。

 それなのに声は明るく、嬉々として兄を迎え入れている。声は充分美声と言えるが、外見が全てを無に帰していた。

 だがあまりにも見苦しいソレに、男は目をそらすこともなくこう言った。

「ああ、妹よ。あまり動くな、辛いだろうに」

「ふふ、今は大して辛くはないですわ。だって、蛇神さまが憑いて(、、、)いらっしゃるんですもの」

 男はそれを聞いて一瞬顔の表情が消えるも、すぐに元の笑顔に戻る。

「そうかい、良かったね。中に入っても?」

「ええ。構いませんとも」

 二人は仲睦まじく、部屋の中に入って行った。

 

 ——蛇は嗤う。何もかも。

 ——人は嘆く。蛇を、神を、理不尽を。

 よって宣言する。わたしは此処にいるのだと。へびは未だ、消えておらぬと。


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