第5話
「逢瀬を始めて2月程が経った頃、私は身ごもったことに気づきました。あの人はとても喜んでくれました。そして、あの人の両親も大喜びでした。詐欺師に騙されかけていたことを知らなかったから、やっと跡取りの孫息子が出来るって。でも、その頃からあの人とその両親は対立しだしたんです」
彼女はそこで一息入れた。
「あの人は、私が子どもを産み次第、あなたと別れて、結婚したいと言いました。一方、あの人の両親は、それに反対でした。あなたの実家との商売上の付き合いがあるからです。私を愛人にしておけ、私の子はこちらで跡取りに相応しいように育てると言いました。そんな話をしている時に、降ってわいたのが、あの人の欧州出征でした」
彼女の言葉で、私はその頃のことをできる限り思い出そうとしたが、余り細かいことを思い出せない。
私が思い出すのは、子育てに追われている所に、いきなり夫の出征の話が飛び込んできたこと、その準備を慌ててしたこと、それから。
「その頃、あの人は言っていました。あなたが早く4人目を欲しい、と言い出して迫ってくる。自分は欧州に行くし、3人の子育てで大変ではないか、と言って、それとなく避妊をしているけど、夫婦なので躱しきれない、もしかしたら、妻も身ごもるかもしれないと。でも、欧州から還ったら、それでも君を妻に迎えたい、もし、両親や海軍が認めなかったら、海軍を辞めて、どこかに一緒に行こうと。どこまで本気であの人がそう言っていたのかはわかりませんが」
そう何となくムシが知らせたのだろう。
夫が欧州からもう帰って来ないのでは、そんな不安を私は急に覚えて、その不安から逃れたくて、夫に抱かれることを求めた。
それで、4人目を私は身ごもった。
「あの人は欧州に行く前に、私に遺言状を渡しました。私のお腹の子を自分の子と認知する、とだけ書いてあると言いました。実際、あの人が戦死したことを知って、遺言状を開いたら、その通りでした。怪しまれないように、両親と妻にも渡した。だが、妻の遺言状には君のことは書いていない。両親には事の発端から書いたものを渡してある。もしものことがあったら、どうするかは君に任せる、と言われました。生きて還ったら、君と子どもにハーモニカを吹くから、と言って一曲、ハーモニカを演奏して、ハーモニカを私に渡した後、あの人は私の下を去って行きました。それがあの人の最後の姿でした」
彼女は、相変わらず、海の彼方を眺めていて、その表情は私には見えない。
だが、その声は完全に震えていて、いわゆる涙声になっていた。
私は、夫が家から欧州へ出ていく時のことを懸命に思い出そうとしたが、余り思い出せない。
彼女のように詳細に語れないのだ。
私が思い出せるのは。
「そう言えば、最近、ハーモニカを家で吹かないわね」
「君が怒るから、外で吹いているんだ」
「あの時はごめんなさい。もう怒らないから」
「遺言状を念のために渡しておくよ。親子兄弟仲良くしてくれ、くらいしか書いてないけどね」
「ハーモニカが荷物の中に無いわね」
「ああ、軍艦の中にもうあるんだ。欧州に持って行って、そこで吹くつもりだから」
そんな断片的なことばかり。
家から出る時も、他の時の光景と入り混じったものを思い出してしまう。
夫をずっと愛してきた、と自分は思っていたが。
いつの間にか、私の心の中でも夫への愛は冷めていたのではないだろうか。
そんな疑問を私は今になって覚えてしまう。
そして。
確かに、夫の遺言状には、親子兄弟姉妹が仲良くするように、くらいしか書いていなかった。
だが、冬木君のことを考え合わせると裏の意味が分かってくる。
私に冬木君を大事にしろと裏で書いているのだ。
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