妻からの手紙
私は白亜の瀟洒な家を眺めていた。
まだ新しくて、綺麗な家だ。
近くにガレージがあり、その中には一台の白色のエスティマが止まっている。
その家には大きな庭があり、たくさんの桔梗が咲き誇っている。
この家は、誰の家でもない。
私と妻の家だ。
妻と暮らすために、汗水流して、やっとの思いで建てた家だ。
妻は優しく、笑顔のよく似合う女性であり、それに美人でもある。
お前にはもったいないとよく友達にからかわれたこともあった。
そんな妻と出会ったのは、私が18歳の時だった。
私たちは同じ大学に通い、同じ学科に在籍していた。
新入生の時、お互い同じ講義を受けていたこともあり、名前だけは知っていた。
だが一度も話したことがなかった。
二回生に上がって、ある講義で妻と隣の席に座る機会があり、そこからよく話すようになった。
その夏には、妻とお付き合いを始め、卒業とともに私たちは結婚をした。
あれからもう10年が経つ。
この家を建てる前は、私の実家の近くで妻とアパート暮らしを6年間していた。
私たちはもう三十路になり、そろそろ家を建てたいと考えていた。
そんな時に、知り合いに土地を安くするから買わないかと誘われ、私たちはその土地に家を建てることにした。
私と妻の間には、子どもがいない。
結婚をする前に、2人で子供をつくらないと決めたからだ。
私たちのように、子供をつくらない家庭も珍しくないはずだ。
私は家の扉に手を掛けて、中に入ることにした。
「ただいま」
私は低い声でつぶやいた。
家の中は、とても静かだった。
いつものように妻の返事が返ってこない。
私は心のどこがで妻の返事が返ってくると思っていた。
でも、返ってこない。
それもそのはずだ。
もう、妻はいない。
もう、この世にいないのだから。
昨年の冬、積雪が多く、吹雪の酷かった去年の12月のことだった。
今は年が明けて、2月になったから、約2か月前のことだ。
妻の実家が山形にあり、その帰り道に妻は事故に遭って亡くなった。
海外旅行で買ったお見上げを山形の実家に渡して、この家に帰ってくる途中だった。
事故の原因は、対向車が中央線をはみ出して妻の車と正面衝突をした。
警察によると当時道路はホワイトアウトしていて、視界が暗澹としていたそうだ。
妻は衝突により、頭を強く打っていた。
即死だったことが警察の説明でわかった。
もう、、妻は帰ってこない。
いくら待っても、いくら願おうとも、もう妻は帰ってこない、、、
「寂しいものだな、、、」
私は重い哀愁を漂わせていた。
玄関で靴を脱ぎ、家に上がることにした。
リビングに向かい、まず部屋の電気をつける。
カバンを机に置き、外套をテーブルの椅子に掛けた。
私は周りの家具を見渡した。
カウチやテーブル、テレビ、キャビネットがどれも侘しさで溢れかえっていた。
私はリモコンを手に取り、テレビをつけることにした。
それからキッチンに向かい、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、一口飲んだ。
リビングに戻って、カウチに腰を下ろしながら大きくため息をつく。
テレビではお笑い番組が放送されていた。出演者が熱い熱湯に入り、取り囲んで見ている人間が哄笑している。
私はいつから笑わなくなっただろうか。
飲みかけの缶ビールを眼前のテーブルに置く。
妻がいたときはよく笑っていたな、と私は懐古する。
妻はドジでおっちょこちょいな所があり、よく私を笑わせてくれた。
「思い出すのはやめよう」
私はリモコンを手に取り、テレビを消した。
2階の寝室に向かい、クローゼットから寝間着とバスタオルを取り出す。
そして階下に戻り、お風呂場へ向かった。
寝間着とタオルを籠に入れて、着ていた服を脱ぐと、すぐにシャワーを浴びた。
嫌な記憶を流すかのように長いことシャワーを浴びていた、、、
それから何分か経ち、私はお風呂場を出た。
バスタオルで身体を拭き、持ってきた寝間着に着替える。
すぐにドライヤーで髪を乾かし、侘しさが漂っているリビングに戻った。
「いつもより長く入っていたのか」
リビングに戻った私は、壁にかけてあるアンティークな古時計を確認した。
時刻は、22時を過ぎていた。
またテレビをつけて、机に置いたカバンから携帯電話を取り出した。
携帯電話にぶら下がったストラップ左右に揺れる。
黒猫のストラップだ。
初めて妻から貰ったプレゼントだった。
私は妻のことを思い出し、また悲しくなった。
携帯電話の画面に目を向けると一件の着信履歴があったことがわかった。
どうやらシャワーを浴びている間に、電話がかかってきていたらしい。
母からのようだった。
「かけ直すしてみるか、、、」
実家の電話番号を打ち、電話をかけ直した。
コール音が鳴り響く
、
、
3回目でようやく繋がった。
「叶斗?元気にしてる?」
「うん、元気にしてるよ」
「何、どうしたの?」
「そうそう、手紙見た?」
「手紙?誰から?」
「奈々ちゃんからのよ」
私は驚いて、声が出なかった。
奈々ちゃんとは、私の妻のことだったからだ。
「叶斗、聞こえてるの?」
「ああ、聞こえてるよ、、、」
「どうして、、手紙なんか、、、」
私の頭は真っ白になりかけていた。
どうして今、、、
「奈々ちゃんのお母さんから預かったのよ」
「奈々ちゃんの勉強机の引き出しにあったそうよ」
「あんたに送ったはずだけど、ちゃんとポストみた?」
と早口で母がいった。
「今、見てくる!!」
すぐに電話を切って、急いで外にある郵便ポストへ向かった。
外はすっかり暗くなっていていて、とても肌寒かった。
赤い郵便ポストを開け、中を調べる。
茶色の封筒が一通だけ入っていた。
(これか、、、)
封筒の裏表を確認したが、何も書いていなかった。
私は急いで家に戻り、部屋のカウチに腰を下ろして、封筒から折りたたまれた紙を取り出した。
そして、その手紙を読み始めた。
『拝啓、この手紙は、かーくんに贈ります。
この手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にいないことだと思います。
手紙でごめんね。直接は恥ずかしかったので手紙で伝えることにしました。
私ね、あなたに出会えて、本当によかったよ。
ねぇ、、あなたは覚えてるかな?
初デートの日に、あなた寝坊して待ち合わせ場所に1時間も遅れてきたよね。』
「ああ、そうだったな、、、」
私の目に涙が浮かぶ。
『私ね。その時、絶対にこの人とは付き合いたくない!って思ったんだよ。
でもね、私がお手洗いから戻ってくる時に、あなたが野良猫に餌をあげてたのを見かけたの。
その時に優しい人なんだなって思って、私気づいたらあなたのこと好きになってたの。
知らなかったでしょ。あなたに初めていうんだもん。
なんか恥ずかしくなってきちゃった、、、
今鏡を見たら、頬っぺがリンゴのように赤いかもしれないわ。』
「ああ、照れてる君の顔が浮かぶよ、、、」
両手で顔を隠そうとしている妻の姿が目に浮かんだ。
『あとね、プロポーズの日は覚えてるかな?』
「ああ、覚えているよ、、、」
堰を切ったように目から一滴の水が頬を伝った。
手紙に雫が落ちて、文字が滲んでいく。
『花火のよく見える丘で、私にプロポーズをしてくれたよね。
私すっごくうれしくて、家に帰っても涙が止まらなかったの。
その時、指輪をはめようとしてくれて、落としちゃったのは覚えてる?
2人で一緒に、頑張って探したよね。
やっと指輪を見つけた時、2人とも汚れちゃってて、笑いあったよね。』
「ああ、、そんなこともあったけぇな、、、」
あの日のことをよく覚えている。
何度もプロポーズの練習したのに、肝心な時にやらかしたんだから。
駄目だ。涙が止まってくれない。
視界がぼやけて、文字が見えなくなっていく。
『ねぇ、あなたはちゃんと覚えてる?
あなたって忘れん坊さんな所があるから。』
「ああ、覚えてるさ、、、、、」
「君もドジなところがあるけどね、、、」
私は泣きながら、なぜか笑っていた。
『これ以上書くと、終わらなくなってしまうので、そろそろ終わるね。
かーくん。私あなたのいい奥さんになれたかな?』
「なれたさ」
『本当に?』
「ああ、本当だ、、」
『いろんな人に自慢したっていいんだよ』
「ああ、美人で可愛い奥さんだって自慢してやるさ、、、」
涙が止まってくれない。
手紙が涙のせいで破けそうになる。
『私、幸せだったよ』
「ぼくもだよ」
『私を愛してくれて、ありがとね。』
『最後にかーくん、大好きです!!』
「ああ、あああああああ」
「ああああああ、ああ」
私は泣き崩れた。
「ぼくも、、大好きだ。」
次の日、妻のお母さんから、妻が癌であったことを知らされた。
妻は末期の癌であったそうだ。そう長くはなかった。
妻は私に伝えないでほしいといっていたらしい。
ほんと、どこまでも優しい妻だ。
私はあの手紙を読んでいらい、もっと妻が好きになってしまった。
ふとした時に、笑顔でこちらを振り向く彼女の姿が浮かんでくる。