第八十一話
「ふう、完了しました。これであなたは私の奴隷です」
「ふ、ふざけるな!」
しばらくして作業を終えたアイグが立ち上がり、にっこりと宣言すると闇商人が怒鳴り声をあげる。自分の知っているやり方と違ったため、作業を見ていたが到底上手くできたとは思えず、あり得ないとアイグを睨み付けている。
「黙りなさい」
「っ!?」
すっと目を細めたアイグがそう告げると闇商人は口を開けなくなっていた。どれだけ叫ぼうとしても声にならず、ふがふがと吐息が漏れるだけだった。
「どうやら成功したようだな」
「すごいですねっ。契約魔法は難しいと聞いたことがありますよ!」
アイグの近くに戻ってきて、感心したようなアタルの呟きに、興奮気味のキャロが反応する。
「あいつは昔から何をやらせても器用だからな」
これまでのアイグのことを知っているアンザムは、なんでもないことのように言ったが、内心では彼が褒められることを自分のことのように嬉しく思っていた。
「ふう、これでなんとかなりましたね。彼は私の命令を聞かせて連れて行きましょう。そして、どこかの街の衛兵に引き渡しましょうか」
一息ついたアイグの提案に同意するようにアタルもキャロもアンザムも頷いた。
「それじゃ、俺たちの馬車で向かおう。この人数ならなんとか乗れるだろ。さすがに他のやつらまで全員連れて行くのは厳しいから悪いがここに放置だな」
そうしてアタルたちは馬車に乗り込んでいく。嫌そうな顔をしている闇商人も主人となったアイグの命令に逆らえず、縛られたままおとなしく馬車に乗っていった。
アタルたちが馬車で森を抜けていると、徐々に魔物や動物などの気配が戻って来たことを感じられた。
「森がもとに戻ってきたみたいですねっ」
「みたいだな。よかった」
アタルとキャロは御者台におり、穏やかさを取り戻しつつある森を眺めながら二人で話していた。
「しかし、あの魔物はなんだったんだ? 動きも見た目も普通じゃなかったぞ」
「あんな魔物の話は聞いたことないですね……お二人は何か聞いたことありますか?」
くるりと振り返ったキャロは後ろにいるアイグとアンザムに質問する。
「俺はないな。あんなのは見たのも聞いたのも初めてだ」
ゆるりと首を振ったアンザムはそう答える。そうなると一同の注目はアイグに集まった。彼なら色々と知っている。そんな予感があったためだった。
「……一つ思い当たることがありますが、それが先ほどの魔物と同一のものなのかはわかりません」
「それは一体どんな話なんだ?」
自信はない、そう暗に言っているアイグに対して、それでもいいというようにアタルが質問を重ねる。
「もう一度言っておきますが、この話はあの魔物を指すものなのかは不明です。その上で話しますが、この世界には魔の森と呼ばれる場所があるそうです。そこには我々が住んでいる場所にはいないような魔物がいるといわれています」
彼の話を聞いてアタルはキャロに視線を送るが、知らないのか彼女は首を横に振っている。
「ご存じないのは当然です。この話は我々エルフの里に伝わる昔話です。小さい子どもを叱りつける時に、悪さをすると魔の森に捨ててくるよ! なんて言われるくらいですから、ただの言い伝えだと思っていました」
それがアイグの心当たりだった。幼い頃はその存在を信じていなかったが、あの魔物を見た今になってみれば真実だったのかもしれないと思わされた。
「なるほどな。魔の森にいる魔物の特徴とかは伝わっているのか?」
興味深い様子でアタルが更に続けて質問する。
「地上にはいないと言われているのと、強さが桁違いだということくらいですかね」
それを聞いたアタルはぐっと眉をひそめた。
「それじゃあ、その森は……」
そう呟いてからおもむろにアタルは空を見上げた。つられるようにキャロも上を見るが、空は青く晴れ渡っているだけだ。
「いい読みですね。おそらくそうなのではないかとエルフの学者が言っていました。しかし、空の上にあるなんていう荒唐無稽な話に付き合うものは少なく、結局その研究もお蔵入りになったようです」
アイグは肩を竦めたが、それでもアタルはもしかしたら……と考えていた。
「この世界はまだまだ面白いものがありそうだな」
この話はここまでとなったが、嬉しそうに微笑んだアタルは誰にも聞こえない程度の小さい声でそう呟いた。
森を抜けたのはそれから数時間後のことだった。
「で、俺たちはとりあえず街に向かいたいんだが……どっちに行けばいいんだ?」
森の先は広い平原が広がっていて、その中に三本の道があった。地理に詳しくないアタルは馬車をとめて、この辺りに詳しそうなアイグに問いかけた。
「右の道は小さな村に繋がっていたはずです。村があるだけなので、他にめぼしいものはないと思います。左の道の先には洞窟があったかと思います」
「最後の一つは?」
最後の中央の道、それがどこに繋がっているか。それを話さず、なぜか黙ってしまったアイグの代わりに、アンザムの口から説明があった。
「真ん中はデカイ街に繋がっているはずだ。確かエルフ族領に入る手前の街だ」
出身地へと繋がる街ということもあって、アイグは思うところがあったらしい。少し暗い表情になっているアイグの肩をアンザムが励ますようにそっと叩いている。
「それじゃ、そこの街で闇商人さんを引き渡しましょうっ」
その時、キャロはそんな空気をあえて読まずに笑顔でそう提案した。
「そうだな、事情を話せば大丈夫だろ。それにしても、新しい街っていうのはワクワクするな。何か美味いものがあればいいんだが」
それにアタルも乗って話を膨らませていく。実際思っていたことであったため、これで少しでも気がまぎれればいいと考えたのだ。
「あー、なんだったかな。たしか名物料理があったはずだが……アイグ、覚えているか?」
「えぇ、それなら豆を使ったスープのことだと思います。ただの豆ではなく、特殊な栽培方法をとっているので、とても味が濃く甘みがあるんですよ」
話をふられたアイグもそのスープを気に入っていたため、その味を思い出し、いつしか表情が和らいでいる。
「そいつは楽しみだな。他にも美味いものがないか店をまわってみよう」
「そういえば、お二人はどちらに向かわれるのですか?」
話を聞いているとアタルたちはゆっくりとした旅を予定しているように感じたため、アイグがアタルへ質問をする。
「俺たちは獣人の国を目指しているんだよ。キャロの故郷に一度行ってみようと思ったもんでな」
「それはまた遠い場所を目指すもんだなあ。こんななりだが俺はこっちの生まれでな、一度も行ったことがないぞ」
威張ることでもないのだが、アンザムは胸を張って言う。それがおかしくてつい皆が笑顔になった。
「ふふっ、そうなんですか。……どんな場所なのかなあ」
故郷に思いをはせたのか、ふとキャロは遠い目をしていた。そんな彼女の頭をアタルは優しく撫でる。
「まあ、そういうわけで、別に急ぎの旅というわけでもないからゆっくりと楽しみながら向かうつもりだ」
それを聞いてアイグも納得する。遠い道のりだが、きっと彼らならばたどり着けるだろうと思ったのだ。
「それでは街についたら少し時間を頂けますか? 宿を決めたら、少し魔法のレクチャーをしましょう。せめてものお礼です」
そしてそんな彼らの助けになればというアイグの申し出は、魔法を覚えたての二人にとっては願ってもないものだった。
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