第七話
「それでは、こちらの書類に名前をご記入下さい。あの子が来ましたら、奴隷紋の儀式に移りましょう」
アタルは昨夜のうちにおおよその流れはグレインとギールから聞かされていたため、奴隷紋という言葉に疑問を持たなかった。バズの話を聞きながら必要な書類に目を通している。
「わかった。アタルっと」
この世界の言語は読み書きともに問題なく使うことができるように神に能力をもらっていたため、すらすらと読み進め、最後にサインをする。
「……はい、これで書類は完了です。あの子が来るまでに時間がありますので、奴隷についていくつか説明していきますね。奴隷紋の儀式は魔法陣と、主人奴隷の二人に血を使って行います。これを行うことで、奴隷は基本的には主人の命令に逆らうことができなくなります。死ねという命令であるとか、非道な仕打ちをした場合はそれに限りません」
奴隷を買うのが初めてのアタルのためにバズがなるべく丁寧に話す。この辺りは、奴隷紋が判断するというシステムになっていた。
「それと、主人が亡くなった場合どうするのか決めます。これはすぐにではなくても大丈夫なのですが、主人、今回で言えばアタル様ですね。アタル様がなにかしらの理由で亡くなられた場合、奴隷の扱いをどうするのかを決めて頂く必要があります。これは二人で相談して決めて、再度ここに来て頂ければ大丈夫です」
奴隷のその後については初めて聞いた話であった。契約してついて来てもらう以上、何かあった時の万が一の備えという事なのだろう。
「そうか……通常はどういう扱いにするもんなんだ?」
「そうですねえ、奴隷から解放するということもありますし、再び奴隷として奴隷商に返すこともあります。それ以外ですと、遺産を相続させるということも、稀ですが聞いたことがありますね」
いくつかの前例をあげた店主がそこまで話したところで、ノック音が部屋に響いた。
「失礼します」
先ほど指示を出された男とは別の女性が、部屋に入ってくる。今回買った奴隷が子供であったことから、気をつかって女性を選んだのだろう。
「準備が整いましたので、お連れしました」
女性に連れられてアタルが購入した奴隷がおずおずと怯えるように部屋に入ってきた。先ほどは薄暗くて子供という事しか分からなかったが、身支度を軽く整えられた状態を見るとどうやら女の子であると分かった。
「あ、あの、よろしくお願いします」
覚束ない足取りで近寄って来た彼女は主人となるアタルに頭を下げ挨拶をするが、その声はガラガラだった。劣悪な環境は彼女の声帯にも影響を与えていたようだ。
「あ、あぁ、よろしく」
見た目から幼い高めの声だろうと思っていたアタルはそのことに一瞬だけ驚いてしまい、そのことが彼女の表情により陰を落とした。こんな声だと知れば契約を破棄されてしまうのではないかという不安に瞳が揺れていた。
「そ、その、先ほどは言い忘れましたが、この子は喉もやられていまして」
話していなかったことを思い出した店主が慌てて言うが、特に気にした様子もなくアタルは首を横に振った。
「別に問題ない。驚いたりして悪かったな、俺がお前の主人になるアタルだ。よろしくな」
「わ、私はキャロです、よろしくお願いします」
アタルが一歩近寄り左手を差し出すと、彼女も慌てて残っている左手でそっと握手をする。差し出された手は骨ばっており、少しひんやりとしていた。
「それじゃ、早速奴隷紋の儀式っていうやつを頼む」
アタルはキャロの頭に手をぽんっと置きながら、店主に声をかけた。
「しょ、承知しました。それではこちらへどうぞ」
儀式は別の部屋で執り行うらしく、事務所を出て二つ隣の部屋へと移動する。その間、歩きづらそうなキャロにアタルが手を貸した。
「こちらの魔法陣の上に二人で立って下さい」
案内された部屋の床には魔法陣が記されていた。二人は促されるままに移動する。
「次に、こちらの用紙の主人の欄にアタル様の血を……」
アタルは差し出された針を指先にあて、その血を指定の場所に押し付けるとじんわりと用紙に血がしみ込んだ。
「キャロはこちらの欄に」
キャロも同様に、指定の場所に血を垂らす。針を刺した時に少し眉を寄せたが、泣く様子は見られなかった。
しばらく無言で用紙を見ていると、次第にそれは光を放ち、小さな球になる。まるできらきらと輝く飴のようにも見えた。
「さあ、あとはこれをキャロが飲み込めば完了だ」
一度アタルの顔を見たあと、キャロは恐る恐る光る球に手を伸ばし、思い切って飲み込んだ。
すると床に描かれた魔法陣が光を放ち、アタルとキャロを光が包んでいく。
「すごいな……」
「はい……」
視界いっぱいに広がるまばゆい光はほんのりと温かく、当の二人は呆然として見ていたが、やがて光が収まっていく。
「お疲れ様です。これで奴隷紋の儀式終了となります。あとはこちらの首輪をつけてやって下さい。それが奴隷の証になっていて着用が義務付けられていますので……それでは、アタル様、キャロのことをよろしくお願いします」
バズはアタルがキャロに首輪をつけたのを確認すると彼に深々と一礼をした。
「わかった。それじゃ、キャロ行こうか」
アタルは再度キャロに手を貸しながら店を後にする。覚束ない足取りには変わりなかったが、契約を済ませたこともあってか彼女は安心したようにアタルの手を握っていた。
最初はどうなることかとハラハラしていたが無事に商談が済んだ二人が完全に店から出るまでバズと店員は見送っていた。
「さて、キャロ。キャロの洋服を見たり、少し休んだりしたいとこなんだが……その前にやらなきゃならないことがある」
「?」
何をするのか想像がつかないキャロは小首を傾げている。
「まあ、わからないよな。とりあえず、ひと気のない場所に移動しよう……そのままじゃ歩きづらいよな。ほれ」
キャロは小柄で身長は140センチそこそこだったため、あっさりとアタルに抱えられることになる。いわゆるお姫様抱っこの形だった。姿が見られないように、布を取り出して彼女にかける。
弾丸格納機能と同様に、アイテムを亜空間に格納する能力をもらっており、そこに最低限必要そうなものを神がいれてくれていた。
「わ、わわ、アタル様」
「いいから、移動の間だけだ。帰ってくる時は自分で歩いてもらう」
慣れないお姫様抱っこに驚いたキャロが動いて逃げようとするが、アタルが有無を言わせないため、もじもじと居心地悪くしながらも抵抗をやめて大人しくすることにした。
移動中、奴隷を抱きながら歩いている様子に好奇の視線にさらされることになるが、アタルは気にせずに街から離れた場所へと移動する。
そのまま街から出ると草原地帯があり、さらに移動したところには大きな岩があったため、そこにもたれかかるようにキャロをおろした。
「ここならいいか」
「あ、あの……」
人通りのないこんな場所に連れてこられて一体何をするのだろうか? その疑問でキャロは不安になっていたが、奴隷という立場上、口にはできなかった。
「キャロ、聞きたいんだが……その怪我治したいか? 耳、顔、手、足もろもろ全部」
治るならば治したいに決まっている。キャロはそう思ったが、なくなったそれらを彼女は諦めている様子で、首を横に振った。一度壊れたものは元には戻らないと悟っているのだろう。
「……ダメです、治りません」
どういうべきか言いよどんだのち、キャロは痛々しい声でそう言った。
「治るとしたら?」
「……っ! 治したいです、でも、治りません!」
しゃがれた声でキャロは叫ぶ。その目には涙が浮かんでいた。どうしようもならないことを知ってなお、なぜそう聞いてくるのだと困惑してしまったのだ。
「オーケー、それが聞ければ十分だ。キャロ、会ってから間もないが……俺を信じろ!」
アタルはスナイパーライフルの銃身をキャロの身体に向けた。涙をいっぱいに浮かべたその瞳に銃口が反射して映っている。
ライフルを見たことがない彼女は自分が向けられているのが一体なんなのかわからなかったが、こんな自分でも買ってくれて優しく手を引いてくれてた彼が信じろと言ったその表情が真剣だったため、キャロはギュッと目を瞑って大きく頷いた。
次の瞬間、ほろりとこぼれた涙と一緒にバンッと大きな音が響きわたり、キャロは強い衝撃を受ける。
「痛いっ!」
そしてキャロは驚くことになる。衝撃にではなく、自分の声に。
「えっ、あれ? 声、あーあー、声が、声が出ます!」
先ほどまではなんとか振り絞って出していたが、それ以前に聞いていた自分の声に戻っていたのだ。そう、彼女は喉がつぶれていたのが嘘のように普通に声が出ていた。
「キャロ、声だけか?」
ライフルを脇に寄せたアタルに問われ、言われるがままに自分の身体をペタペタと触って確認していく。そしてみるみるうちに見開いたその大きな瞳は驚きと感動に染まっていく。
「あ、ああああぁあああぁ、うわあああああああああああん!」
次の瞬間、キャロは叫び声をあげながら涙を流してその場にうずくまった。
「強治癒弾は成功だったみたいだな」
先程アタルが放った銃弾の効果によってキャロの耳も手も復元されており、顔からは火傷のあとが消え、足の腱も元に戻っていた。もう一生自分の身体はだめだと諦めていた彼女は、心の奥底から湧き上がる喜びとアタルへの感謝でいっぱいになっていた。
大粒の涙を流しているキャロが泣き止むまで、一時間程度の間、少しでも安心させてあげられればとアタルは優しく彼女の頭を撫でていた。
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